海外での卵子提供を決意

乳がんを乗り越え、海外での卵子提供を決意 今こうして我が子と過ごせることが 私達夫婦にとって何より大切なこと。 卵子提供という道を選んでよかった。

「自分の卵子では妊娠は無理かもしれない…」そう感じた時、 ずっと「ダメだろうな」と思いながら続けていた不妊治療を やめようと決意したTさん。

高齢出産、乳がん治療の中断という 不安のあるなか、海外での卵子提供への道を選択していったのです。

乳がんの手術と治療で 妊娠もドクターストップ

表情豊かに笑い、ママのお 腹を元気にキックする 4 カ月 の赤ちゃんを抱きながら、出 産までの道のりを話してくだ さったTさん。彼女の穏やか な笑顔からは想像できないほ ど、そこにはさまざまな決断 がありました。

「 38 歳で結婚するときに乳が んの手術をしたんです。子ど もが欲しかったので 1 年で治 療はやめたんですけど、術後2 年後検診までは妊娠しない ようにと医師からの指示があ りました」

乳がんの治療をやめてから 再び生理が戻るまで半年以上 かかり、そこから自然妊娠し たものの流産を経験。 41 歳か ら始めた不妊治療でした。

フルタイム勤務で働くTさ んにとって、最初に受診した 病院は不妊治療と仕事との両 立が難しい状況でした。

「それに結果もかんばしくな くて。卵子が採れず、 1 個採 れても受精しない。『だめで した』とあっさり言われ、あ なたの年齢なら仕方がない と。どうしたらよいのか聞く と、『やり続けるしかない。

10回採卵したら 1回ぐらい は』と言われたのですが、 1回の採卵ですごくお金もかか るので、このまま治療を続け るのは難しいと思いました」

そこで、仕事帰りに通える 別の病院をネットで探しまし たが、そこでもよい結果を得 られず、その一方で甲状腺の 機能低下症の診断もあって不 妊治療自体が延び延びになる など、先の見えない日が続き ました。

自分の卵子での妊娠に 限界を感じ、新たな道へ

こうして 10回以上採卵し て、移植につながったのは 2 ~ 3 回ぐらいだったと振り返るTさん。以前の病院の妊活 イベントで誰かが話題にして いた卵子提供のことが頭をよ ぎったといいます。

そんな折、九州にある S 産 婦人科医院のウェブサイトに 卵子提供のことが書かれてい るのを見かけ、一度話だけで も聞きに行こうと院長先生に メールを書いて受診すること になりました。

S 医院では初診のいろいろ な検査を経て、院長先生の問 診を受けました。「うちで一 回採卵して、自分の卵子で やってみませんか」という先 生の言葉に、再び採卵を決意 し、臨みました。乳がんの手術と治療で 妊娠もドクターストップ

その時たまたま自然に育っ ていた自己卵を 1 回だけ採卵 したものの、結果は「やっぱ りだめ」。Tさんは自分の卵 子では無理だと痛切に感じた といいます。

「 S 医院に行ったのが 43 歳。 本当に時間がないと思って。 私は乳がんの治療を中断して いるので、万が一再発したら そこで不妊治療も終わりだ と、焦っていました」

S 医院の院長先生からは、 「自分の意思で行くのなら、 行ってみなさい」と卵子提供 を実施している台湾のホンジ クリニックを紹介されまし た。先生の言葉に「この先治療を進めるのは自分次第。強 い意志が大切ではないか」と 思ったTさん。当時は今より もずっと卵子提供の情報が少 なくて揺らぐ気持ちもありま したが、どうせダメだろうと 思いながら不妊治療を続ける ことはやめ、卵子提供を受け ることに決めました。

自信あふれる先生の言葉で 安心して海外での治療に

メールでアポイントを取 り、夫婦揃って仕事の休みを 取って台湾へ。ホンジクリ ニックの張宏吉院長は「昨日、 私は我が子とゴルフに行って きたんだよ。あなたたちもそ うなりますよ」と二人に話さ れたそうです。

「これまで治療を続けても先 が見えなかったのに、とても 前向きな先生の言葉で気持ち が変わりました。台湾は日本 語もよく通じるし、クリニッ クには日本人スタッフが何人 もいるので、海外だから不安 ということはなかったです」

その後、Tさん夫妻の血液 型やある程度の条件に合うド ナー(卵子提供者)をホンジ クリニックの看護師さんと選 び、マッチング検査を経て決 定します。日本では地元の病 院の先生に「台湾の病院で卵 子提供を受けるので、ホルモ ン値だけを診てほしい」とお 願いし、受けていただくこと に。ホンジクリニックに提出 するための必要な検査も済ま せ、移植の態勢が整いました。

ところが、依頼した 1 人目 のドナーは卵子が採れたもの の胚盤胞まで育たず移植がで きないという結果に。続く 2 人目のドナーでもご主人の凍 結精子との受精卵が育ったと ころで渡航して受精卵を移植 したものの着床に失敗。Tさ ん夫婦はとてもがっかりして しまい、病院を信頼する気持 ちさえ揺らいだといいます。 しかしここで諦めたらそれで 終わりだと気を取り直し、出 産する年齢が遅れてしまうと 焦る気持ちをおさえ、再度チャ レンジするためクリニックに 新たなドナーさんを探しても らうようにお願いしました。

3 人目のドナーは、多くの 採卵に成功しました。受精卵 が順調に育ったことで、Tさんも再び渡航の準備に入りま す。生理のあと、地元の病院 で子宮内膜の厚みが増したこ とを確認できたら、ホンジク リニックに連絡して移植日を 決めます。夫婦で渡航し、移 植が無事にすみました。

「移植後、 2 週間で判定日が 来るんですけど、最初は数値 もすごく低くて心配でした。 日本の先生は『だめかもしれ ない』、台湾の先生は『薬を 飲み続けて』と見解も異なっ ていたんです」

その後無事に着床が確認さ れ、ようやく一安心できたT さん夫妻。産科の先生には「高 齢だし、甲状腺のことも心配 だし、卵子提供というのもあ るからリスクが高いよ」と注 意を受けていたので、太らな いように体重管理に努めてい ました。その甲斐があり、妊 娠の経過はトラブルもなく比 較的順調に進みました。そし て、つわりは大変だったもの の 9 カ月まで仕事も続け、と うとう出産の日に。自然分娩 で、陣痛が起きてから数時間 で生まれるという安産でした。

我が子と重ねてゆく時間。 卵子提供を選択してよかった

今は幸せそうに赤ちゃんを 抱くTさんも、無事に生まれ るまでは不安が大きかったと
言います。

「両親やきょうだいは、私の 体のことをずっと心配してい ました」

高齢での出産、加えて卵子 提供という未知の選択に、家 族の心配は無理もありません。
「やはりある程度の年齢に なったら自分の卵子での妊娠 は難しいのではないかと思い ます。考え方は人それぞれで、 自分の卵子でなければという 人がほとんどだとは思います が、台湾に限らず外国では卵 子提供は行われています。お すすめします、とはいえませ んが、絶対に悪いことではな いと伝えたいのです」

やさしくて落ち着いた印象 のTさんですが、その時の行 動力には驚いたとご両親には いわれたそうです。

「最初は卵子提供に反対してい た人も、生まれてきたこの子 を見たらそんなことは忘れて しまっているんです。不妊治 療の間はその瞬間ごとにいろ んな思いがありましたが、そ れを通り過ぎ、我が子と楽し く過ごしていると、記憶は薄 れてきている気がします。遺 伝子のこと、自分に似ていな いことなんて気になりません」

これからゆっくりと紡いで ゆく親子の時間の中で、Tさ んのその思いはますます強く なっていくことでしょう。

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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