どうして私が?不妊症なんて思いたくない!

どうして私が?不妊症なんて思いたくない!

28 歳で早発閉経と診断。

AMHが 0 ・ 01 でも わずかな可能性を信じて 治療を続けました。

子づくりを始めようと思った矢先、軽い気持ちで受けた 検査で、早発閉経の疑いを指摘されたアヤコさん。

不妊という言葉さえ知らなかったところから、 長い治療の旅が始まったのです。

何気なく受けた検査で 大きな不安が生まれ…

大学の同級生だったアヤコ さんとご主人は、卒業して別々 の会社に就職し、 2 年たった 頃、自然の流れで結婚。

子ど もは欲しいと思ったらすぐに できると思っていたので、し ばらくはきっちり働こうと、 お互いに仕事を頑張っていま した。

28 歳になってそろそろ子ど もをと考え始めた頃、友人に 月経サイクルを入力して健康 状態をチェックするサイトを 紹介され、つけ始めました。

それまで生理のことを意識す ることがなかったアヤコさん でしたが、生理の終わりかけ の出血が 1 週間続くことを友 人に話すと、それは長すぎる から検査したほうがいいと勧 められます。

近所の婦人科に行き血液検 査を受けると、「FSHが異常 に高い数値なので、大きい病 院で検査したほうがいい」と 言われ、紹介状を渡されまし た。

病名を告げられたわけで もなく、ただ何かの数値が高 いとだけ言われ、よくわから なかったアヤコさんは、紹介 状を勝手に開けてみました。

そこに書かれていたのは“早 発卵巣機能不全の疑い”とい う文字。

「これは何?」すごく 不安になって、泣きながら家 に帰りました。

不妊専門病院で 早発閉経の診断

当時は不妊という言葉もよく 知らず、これは何かの病気なの かと思い、紹介状を持って総合 病院へ行きました。

3 カ月間い ろいろな検査をしたけれど、病 名がつかないまま検査結果を 持って元の病院へ。

すると「う ちでは不妊治療はできないから…」と言われます。

「そこで初めて“私って不妊な んだ”と認識しました。検査し ている時からうっすらと感じて はいたのですが、気づかないふ りをしていたんですね」

それでも不妊治療専門の病 院には行く勇気がなく、近所 の少し大きい婦人科へ。

数回 通ってみたものの治療らしい ことは何もしませんでした。

「これは不妊治療専門の病院に 行かないとダメかもしれない」 と思い、これまでの検査結果 を持って、初めて不妊治療病 院を訪れました。

さらに 2 回 の血液検査した後、ついに「あなたは早発閉経だと思います。

閉経が始まっている病気です」 と宣告されたのです。

その日はアヤコさんの妹が 初めての赤ちゃんを出産した 日で、自分の診察のあと、実 家近くの病院にお祝いに向か う約束をしていました。

早発 閉経といわれ、絶望し号泣し ながら電車に乗って妹の病院 に向かいました。

そこでご両 親の顔を見たとたん廊下で泣 き崩れ、病室には入れません でした。

父に励まされ 前に進む勇気が

それから数日間、実家で泣 きながら過ごしていたアヤコ さんは、ある朝、出勤前のお 父さんに声をかけられます。

「お父さんは、アヤコが笑って 暮らしてくれることが一番う れしい。泣かれるのが一番つ らい」と。

後ろを向いていた けれど、その声でお父さんが 泣いているのがわかりました。

その時、アヤコさんはハッ と目が覚めたといいます。

「泣 いていても何も変わらない。 私、元気にならなきゃ」と。

アヤコさんは早速行動に移 りました。インターネットで 早発閉経のことを調べている と、ある大学病院に「早発閉 経外来」があるのを知りまし た。すぐにセカンドオピニオ ンをもらいに行きました。

し かしそこでも早発閉経という 診断が。AMHを調べると 2 回計測して、 0.1 未満と 0 ・ 01 未満。それでも医師は「妊娠 できる可能性はありますよ」 と言ってくれました。

その大学病院に転院し、人 工的にホルモンを取り入れる ことによって黄体期、卵胞期 などの月経周期をつくるカウ フマン療法を始めました。

毎 日薬を飲み続けて、卵胞がで きる兆候があったら注射で育 て、採卵するというプロセス です。

しかし薬を飲み続けて も 2 年間は全く卵胞ができま せんでした。

やっと 1 つ育っ てきた卵胞も採卵したら空胞だったのです。

IVAという新しい技術に 望みをかけてチャレンジ

3年近く同じ治療を続けて いた2014年の春、医師に 「そろそろ違う人生も視野に入 れたほうがいいのでは」と言 われます。

それはつまり、子 どものいない人生ということ。 もう諦めないといけないのだ ろうか…。

涙があふれました。

家に帰ってご主人とも話し、 やはり二人とも「まだ諦めら れない」ということに。

前年の 12 月ごろIVAという 新しい技術が発表されていまし た。

卵巣機能不全の人の卵巣を 摘出し、そこに原子卵胞があれ ば体外で活性化し、卵管に戻す という治療です。

このままの治 療で難しいならIVAが受けら れないかと聞いたところ、ちょ うど 9 月にキャンセルが出たの でそこで受けられるとのこと。

アヤコさんはすぐに予約を取り ました。

初めて採れた卵が 奇跡の命となって

IVAの予約した後もホル モン治療を続けていると、な んと翌月に卵が育ち、初めて 採卵に成功。

体外受精して凍 結し、 9 月のIVA手術後に 移植することに。IVAでも 卵巣内に原子卵胞が見つかり、凍結できました。

そして IVAのあと、ホルモンで子 宮内膜を整え凍結胚を移植し ました。

体外受精で移植し成功する のは 30 代で約 3 割と聞いてい ました。

最初からそんなにう まくいくはずがないと思って はいたけれど、アヤコさんは 移植直後から胸の張りやむか つきを感じ、「これは妊娠した かも」という予感があったそ う。

診断を待ちきれず市販の 妊娠検査薬を使うと、うっす らと陽性の線が。毎日 1 回検 査をしていると、どんどんそ の線が濃くなっていったそう。

診察で「着床していますよ」 と言われた時、予感が実感に 変わりました。

昨年 11 月にアヤコさんは女 の子を出産しました。 3 年間 の治療は長かったけれどご主 人との絆が深まったと振り返 ります。

「主人は私がつらい時、いつも 寄り添ってくれました。主人と ならたとえ子どもができなくて も幸せかもしれないと思った頃 に、子どもを授かることができ ました。奇跡ですね」


IVAで摘出した卵巣は現 在も凍結してあります。

二人 目に挑戦するどうかは、生ま れた子どもとご主人との時間 を大切にしながら、ゆっくり 考えていきたいと今は思って います。

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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