不妊治療は夫婦の共同プロジェクト

3回転院して、ようやく自分にあう先生に出会えた

不妊治療は夫婦の共同プロジェクト。

頑張りすぎてストレスを溜めたりしないよう、 気遣い合い話し合いながらトライしてきました。

子どもが欲しかったエミさんは、年齢が 40 歳近かったこともあり、 結婚とほぼ同時に不妊治療を開始。

冷え性を克服するため、食事改善や漢方、ヨガなど やれることはすべてトライ。

そこにはご主人の支えがありました。 ジネコもご夫婦で愛読してくれていたそうです。

40歳目前での結婚。 急いで治療スタート

約 1 年のお付き合いを経て 結婚したのは2015年 7 月 のこと。その時、ご主人は 40 歳、エミさんもまもなく 40 歳 になるというころでした。子 どもが欲しくて結婚したこと もあって、婚姻届を出したそ の足で不妊専門クリニックへ 通院し始めました。

約1年の間に 10 回ほど人工授 精を試みましたが、まったくう まくいきませんでした。
「年齢的にも体外受精を始めた ほうがいいと、先生に何度か すすめられたのですが、怖く てなかなか踏み切れませんで した。ただ、2人目の不妊治療中の友人がステップアップ するというので、その言葉に 刺激され、私も勇気を出して 体外受精を始めました」

しかし、通院していたクリ ニックは低刺激周期採卵法の み。妊娠にはいたりませんでし た。そこでエミさんは2016 年の後半、別のクリニックに転 院します。ほぼ同時期に、勤め ていた会社も辞めました。

「WEBデザインの仕事をして いたのですが、クリニックへ 行くたびに半休を取らなくて はいけなくて、会社に迷惑を かけるのもつらかった。クリ ニックでの待ち時間も長いし、 子どもがなかなかできないか ら焦りばかりが募って。思え ば、仕事をしながら不妊治療
していた時期が、精神的に一 番きつかったですね」

3つ目の病院で ようやく妊娠できた!

転院したクリニックでは最初 から体外受精にチャレンジ。た だ、それもまたなかなかうまく いきません。採卵して先生に 「100点満点」とお墨付きをも らった卵でも移植すると着床し ませんでした。

そこへ通い出して約 1 年後、 2個のグレードの高い卵が採れ ました。先生から「胚盤胞移植 ではなく、分割胚にしましょう」 と言われてそうしたら着床がう まくいき、妊娠。しかし、 8 週 を過ぎても心拍が確認できず、結局流産してしまいます。

「ただ、実は妊娠がわかる少し 前から、別のクリニックへも通 い出していたので、流産をきっ かけにそちらに絞って通院しま した。先生のすすめもあって、 そこからヘパリン注射も始めま した」

3 カ所目のクリニックでは 4 回目の採卵で4個の卵が採れ て、そのうちの 2 個が胚盤胞に なりました。そして、その1つ を移植したら、ようやく妊娠し ました。

「ここのクリニックは、排卵誘 発が高刺激のアンダゴニスト法 だったので、注射が本当につら くて。もうやりたくないって思った時にうまく卵が採れたので ホッとしたのをすごく覚えてい ます。結局、約 3 年かかりました。 ただ、最初のクリニックにずっ と通っていたらたぶん私、妊娠 できなかったと思う。先生によっ て全然考え方も違うし、自分と の相性もあるから、うまくいか ないなと思ったらすぐ病院を替 えることも大切だなと思います」

ご主人の当事者意識が 不妊治療の支えに

不妊専門クリニックへの通院 と同時に、エミさんは後悔のな いよう、やれることは何でもや ろうと思い、いろいろなことにトライしています。

「まず、もともと冷え性だった ので、体質改善のため、漢方を 始めました。鍼もほぼ同時期で したね。鍼は私に合っていたの か、体がポカポカしてすごくリ ラックスできてよかったです」

仕事を辞めてからは気持ちに 余裕も出てきたため、ジムやヨ ガ、マッサージ、エステにも行っ たそう。「妊活と称して結構い ろいろ楽しんでやってました」 とエミさん。

サプリも栄養解析をしてくれ る先生を探し、そこへ通って処 方してもらっていたそう。「そ こで言われたのは、私はリー キーガット症候群で、小麦粉の アレルギーがあるから、グルテ ンが腸壁を傷つけている。だか ら、よいサプリを飲んでも体に 吸収されていないのではないか と。対策として食事改善をすす められたので、小麦粉を摂取し ないようにして、食事内容もず いぶん変えました。薬膳教室に も通いました」

実はこうしたことを積極的に やったほうがいいよとすすめて くれたのがご主人でした。
「そもそもの体が健康でないと せっかくの高度生殖医療も役 に立たない。彼女はもともと 冷え性だったので体質を整え ることがすごく大切だと考え ていました。そのために役立 つことだったら、何でもすべ てやってほしかった」(ご主人)

ご主人は、不妊治療は夫婦が力を合わせて行う共同プロジェク トだと考えていました。ゆえに 自身もサプリを飲んだり、ジム で運動したりして常に万全な体 調管理を心がけていたそうです。

とはいえ、大変なのも負担が 大きいのも明らかに女性のエミ さんのほうです。

「彼女が頑張ると言ってくれる 限りは、僕も諦めないし、応援 し続けると決めていました。た だ、頑張りすぎてストレスを溜 めてしまったら逆効果になって しまう。彼女の心の負担になる ようなことは決してしたくない と思っていました」

二人とも 40 歳を過ぎていたこ ともあり、子どもができるかど うかはわかりませんでした。「そ れでも少なくとも、不妊治療と いう、今まで経験したことのな い、新しいことに挑戦したり、 努力している自分たちを肯定し たいという思いも強かった」と、 ご主人は振り返ります。

「ダンナさんが、本当に自分の ことのように不妊治療をとら えて、全面的にフォローして くれたからこそ、私も心がく じけそうになっても頑張ろう と思えました」

不妊治療仲間も 安心させてくれた

ご主人だけでなく、実はエ ミさんには心強い存在がいま した。ともに不妊治療で苦し むお友だちです。

「何度、採卵してもうまくいか なくて、さすがに後半、ちょっ と疲れてきた時があったんで す。でも、 44 歳の友だちが妊娠 したというのを聞いて、すごく 希望がもつことができ、もう少 し私も頑張ろうという気持ちに なりました。逆に一度流産した 時は、周りが結構、流産してい たので、私もするかもと覚悟す ることができました。だから、 流産してもそれほどショックで はなかったんです。自分一人で 抱え込んだりせずに済んだの は、こうした“妊活”仲間のお 陰でもあるんです」

また、不妊治療中に引っ越 しをしたり、正常胚が採れて 移植する直前には、「妊娠した らもう旅行もできない」と思っ て、NYへ出かけたそう。「そ んな気分転換もよかったので はと思います」とご主人。不 妊治療で、自分たちの生活を がんじがらめにすることなく、 時折、ほかのことを楽しんで みるのも大切なんだとエミさ んに気づかされました。

取材をさせていただいたのが 予定日まであと 2 カ月を切った 頃でした。華奢な体に少し膨ら んだお腹を触る姿に優しさと幸 せがあふれています。

「妊娠しても不安ばかりが募っ て。 28 週の壁を越えたあたり からようやく安心できるよう になりました。今は無事に生 まれてくれることだけを祈っ ています」(エミさん)

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

不妊治療に関するドクターの見解を取材してきました。本サイトの全ての記事は医師監修です。