7回の人工授精、 5 回の体外受精、そして妊娠 ハードな仕事との闘い、退職…
ひとつひとつをクリアし、 ようやく新たな命を授かりました。
看護師として 30 代後半まで 第一線で働いていた海さんは 繰り返す日勤、夜勤、ストレスと闘いながら 不妊治療をスタート。
一旦生活をリセットした末、 今年ようやく嬉しい妊娠へ…。
結婚を機に早くから 不妊治療を意識
救急病院でもある病院の消化器科の主任として、ハードな毎日を送っていた海さんが結婚したのは 35 歳の時。ご主人は 4歳年下です。30 代半ばであること、そして伯母様にお子さんがいなかったことから、自分も不妊の可能性があることを意識していたのだそうです。
「主人には、私は赤ちゃんができにくいかもしれないから、子どものことは早めに考えてほしいということは日ごろから伝えていました。だけど、主人はそのうちできるだろう…と楽観的に考えていたようです」
結婚後、約半年間は排卵検査薬を使いながら自己判断でのタイミングでトライしたものの、結果は思うようにいきません。海さんは、すぐに不妊治療クリニックへの通院を決断します。
「クリニックは、症例数が多いことをポイントに選びました。症例が多いということはあらゆる治療に対応できて、また次の治療に移行するルートも整っているということですから。また、料金的なこと、先生が複数いること、治療方針がしっかりしていることも判断の基準にしました」
症例数が多く、家からも通いやすいクリニックを見つけた海さんは 37歳から不妊治療専門クリニックに通うことになりました。
ようやく兆候が見えた妊娠 しかし、化学流産に…
病院でのフーナーテスト、 ホルモンチェックなどを踏まえた結果は、特に目立った問題はなく、自然妊娠も望めるということ。しかし、海さんは人工授精の選択をします。ご主人は「特に拒否するわけでもなく、でも協力的というわけでもなく…」だったといいます。そんなご主人に採精をお願いすると「え? 今?このタイミングで?」となかなか理解が得られなかったことも。ご主人に、今置かれている状況や、治療の厳しさを懇々と説得したこともあったそうです。
「雑誌や不妊治療をしている人のブログを見ていると、すごく協力的なご主人もいて、なんで?と思うこともしばしばありましたね…」と海さん。
そんななかで人工授精がス タートしますが、その人工授精もなかなか思うようには進みません。夜勤が続き、溜まっていた仕事のストレスとご主人の理解不足も重なり、ある時とうとうご主人への不満が爆発。
妊娠への思いや治療のつらさを吐き出した海さんに、今まで腰の重かったご主人が病院へ付き添ってくれることに!
「 5 回目の人工授精の日曜日、はじめて夫が病院に同伴してくれました。待ち時間の長さとか…わかってくれたんじゃないかな」と海さん。
その 5 回目の人工授精の後、はじめて着床の陽性反応が出たものの、状況は思わしくなく…結果は、化学流産。ご主人もこの時は相当がっかりした様子だったとか。
「化学流産はしてしまったけれど、着床はできる、ということがわかったので前向きにとらえていくことにしました。実はこの時点でステップアップをすでに考えていました」
体外受精へステップアップ。 そして退職の決断
人工授精から体外受精へのステップアップを決めた海さん夫妻。病院へ通う回数もどんどん増え始めます。
「不妊治療で病院に通わなければならない日は、自分で誰かに頼んで仕事のスケジュール調整をしなければなりませんでした。とにかくクリニックに行く日中は昼間をあけなければならないので、夜勤を連続して入れることもしょっちゅうで…。もう身体はボロボロで悲鳴を上げていましたね」と振り返ります。
また、職場内での妊娠報告や、お友達の妊娠報告もたびたび…、年齢的、精神的な重圧も重なってきました。そんな状況のなかでも、なんとかスケジュールをやりくりしての体外受精がスタートします…が、なかなかこの体外受精も、採卵、移植までは進むものの、妊娠までは進みませんでした。
消化器科病棟の主任として第 一線で働いていた海さんもさすがに心身ともに限界に。とうとう昨年末、一度退職することを決意しました。
違う道も考えはじめたとき 嬉しい妊娠の報告
田舎に暮らすご両親に退職や不妊治療のこと…すべてを話すことに躊躇したという海さん。しかし、どうしても赤ちゃんを産みたい!その強い気持ちが新たなステップへ導いていきました。
「退職してからはすべて時間を思い通りに使えるようになったのでぐっとストレスがなくなりました。ジムに通ってエアロビをしたり、体質改善をする時間も持てるようになりました」
時間のストレスが減ったものの、体外受精の結果は思うようにはいきませんでした。体外受精の間に、再び人工授精もはさみながら治療は続きます。
「 4 回目の体外受精がダメだった時にはさすがに滅入りましたね。ある程度お金を貯めて退職したものの、だんだん貯金にも底が見え始め、自分に残された時間もより強く意識するようになって…。この治療がダメ だったら、趣味のダイビングを再開してもいいし、ペットを飼うこともいいかもしれない…ネガティブに考えず夫婦二人で暮らすということも悪くないんだ、って思うようにしました」
そのころからご主人にも変化が見え始めたのだとか。
「今まで何度言ってもやめなかった喫煙をとうとうこのころやめたんです。そして、仕事仲間に“マカがいいよ”って勧められて飲み始めたり、本当にびっくり!あれだけ嫌がっていた採精も、少しでも新鮮なものがいいのなら病院に行くよといって、病院まで来てくれたり、意識が今までと違うのが目に見えてわかりました」
5 回目の体外受精は 5 月に採卵し、 6 月に凍結胚盤胞移植。グレードはけっして良いものではなく、あまり期待はしていなかったそうです。しかし移植後6 日目の中間報告でHCGが 50 近くの値に。院長先生から「着床していますよ」と思いがけない言葉をかけられました。
「主人はとにかく楽観的なので、きたか!って(笑)でも、私にはまだまだ信じられませんでした」。
祈るような気持ちで過ごした、一週間後の本判定。とうとう海さんの子宮には小さな胎嚢が!待ちに待った妊娠です。ご主人は素直に喜んでいたものの、海さんにとってはここから先もまた不安の始まり…心拍を聞くまではまだわからない、もしかしたら不育症では…?心配は尽きません。
不安の日々を過ごしながらも、不妊治療クリニックは突然ともいっていいくらい、あれよあれよという間に卒業へ。ここからは、産婦人科への通院がスタートです。つわりも始まり、いよいよママへの道が始まった海さん。
「妊娠が確定したとはいえ、その後も何かあるんじゃないかって…いろいろな症例をネットで検索して(笑)検索魔になっていましたね。でも、妊娠中期に入り、ようやく気持ちが落ち着いてきました」とママになる嬉しさが少しずつこみあげてきたようです。
「不妊治療を通して、女性として当たり前のようにできると思っていた妊娠ができないことの辛さ、ストレスがよく分かったつもりです。看護師として学ぶこともたくさんありました。看護師さんにやさしくされて、自分はできていたかしら?なんて思ったり。復帰してもこの経験はきっと役立つだろうと思っています」