“精子”が原因、その時夫は?

“精子”が原因の不妊とわかった、その時夫は?

「僕のせいだから」と舅姑に言ってくれた夫に感謝!

こんなに正直で、思いやりのある夫だからこそ、「この人の子どもが欲しい!」と、より強く思いました。

「愛する人の子どもを産みたい!」のは、当然の心理。

でも、愛する人が傍にいてくれる、それだけで十分。

子どもがいなくたって大丈夫!

でも、授かったラッキー!

35 歳で妊娠を諦めた夫婦に訪れた幸運の物語です。

赤ちゃんを授からない、 思い当たらない不妊原因

マヤさん( 36 歳)は岡山県 のご出身、2歳年上のご主人 は兵庫県出身。

お二人の出会 いは 11 年前の東京、青年海外 協力隊の試験会場でした。

「感 じのいい人だな、と僕のほう から声をかけました」とご主 人。

マヤさんも「見かけはクー ルなのに、話をしたら楽しい 人で」と、そこからお付き合 いが始まったとのこと。

残念 ながらマヤさんは試験に通り ませんでしたが、ご主人は 1年後にトンガ王国への派遣が 決定。

なんと、出発 3 日前に 入籍されたのだそう。

赴任中 の 2 年間は、マヤさんもトン ガと岡山を行ったり来たり と、慌ただしい新婚生活のス タートでした。

帰国後、ご主人は東京で再 就職。 8 年前に新居を構えて から漠然と「そろそろ赤ちゃ んが欲しいな」と、マヤさん は思い始めました。

この時点 でマヤさんは 28 歳でしたが、30 歳を過ぎても妊娠の兆候は ありませんでした。

「漢方薬を服用したり、体を温める工夫をしたり、ネット などの情報を頼りに、自分で できることは何でもやってみ たのですが、それでも授かる ことはなく、 33 歳になって不 妊治療専門のクリニックを訪 れました」とマヤさん。

栄養士の資格をもつマヤさ んは日頃の食事内容には自信 があり、生理痛が重かったこ とから学生時代から婦人科に も通っていました。

婦人科で は特にトラブルを指摘された ことはなく、不妊の原因は思 い当たらなかったのです。

不妊の原因は“僕”と かばった夫に惚れ直し

受診した永井マザーズホス ピタルでも、原因はわかりま せんでした。

「ご主人も検査さ れては?」と促されて調べた ところ、精子の量、運動量も 思わしくないと判明。

「僕のほうに大きな理由があ るのではないか、ということ でした。脚の付け根に静脈瘤 が見つかり、それが原因では ないかということですぐに帝 京大学病院を紹介していただ き、手術を受けました。

それ でも改善されず、このままで は自然妊娠は難しいだろうと いうことで、顕微授精に切り 替えました」と、ご主人。

「夫もつらかったことと思い ます。

それでも、忙しい仕事 の合間を縫って真面目に不妊 治療に取り組んでくれて、と てもありがたく思いました。

夫は長男ということもあり、 なかなか孫ができないことを 心配してくれていたお義母さ ん、お義父さんに、“マヤのせ いじゃないんだ”と夫のほう から説明してくれて、私をか ばってもくれた。

惚れ直した 瞬間でしたね(笑)。

こんなに 優しい人の子どもならきっと いい子に違いない、この人の 子どもを産みたいと、よりいっ そう、子どもが欲しい気持ち が強くなりました」と、マヤ さんは振り返ります。

マヤさんは、クリニックに 通い始めた 33 歳で仕事を辞め、 不妊治療に専念することに決 めました。

それでも、顕微授 精を何度か繰り返してもなか なか授からず、しだいに気持 ちが荒んでいきます。

「 35 歳からは高齢出産になり ますし、妊娠率はもっと低く なるはず。それまでに授から なければ、もう授かることは ないだろうと、勝手に思い込 んでしまったのです」と、マ ヤさん。

仕事を辞めたことで 時間を持て余し、頭に浮かぶ のはまだ見ぬ赤ちゃんのこと ばかり。

すれ違っただけの妊 婦さんを妬み、友人の出産も 喜べず、マンション内に響く 赤ちゃんの声に耳を塞ぐ日々 が続き、感情を抑えきれずに ご主人に八つ当たりすること さえあったといいます。

「子どもの虐待のニュースな どを目にすると、“そんな酷い 親の元ではなく、ウチに生ま れてきてくれればよかったの になぜ?”と憤りました。

完 全に、心が病んでいたと思い ます。

自己嫌悪に陥り、この ままでは夫婦仲まで危うくな りそうで、 35 歳を区切りに不 妊治療をやめる決心をしたの です」と、マヤさん。

テニスをしたり、お酒を飲 んだり、趣味嗜好も似た夫婦 だから、子どもがいなくたっ て大丈夫。

夫婦二人きりでも 楽しく暮らせるはず。子どもがいない人生もアリだよね、 だから、これで最後にしよう と挑んだ顕微授精で── 妊娠!

感涙がこぼれました。

子がなくても良い人生 そう割り切った時……

それでも出産日を迎えるま で、ずっと不安でした。

心か ら喜べたのは、昨年の 7 月、 元気な女の子が誕生してから、 やっと。

赤ちゃんの笑い声が 部屋中に響くたびに、じんわ りと幸せに包まれます。

「今思うと、なぜ 35 歳という 年齢にとらわれていたのか な?とも思います。

でも、あ の時は、あのまま不妊治療を 続けるのが怖かったのです。

顕微授精の費用は高額で、ギャ ンブルのように、注ぎ込むほ どにやめられなくなりそうな 気がしました。

これだけお金 を使ったのだから元を取りた い。

子どもを授かるまでやめ られない!

という泥沼には まりそうな気がしたのです。

そこで、ふと子どもがいない 人生を考えたとき、“夫婦二人 きりで楽しく過ごすなら、老 後に海外旅行できるくらいの お金は残したいな”と、とい う思いに至りました。

“これだ けの治療費を払えば、必ず赤 ちゃんを授かる”といった保 証はありません。

不妊治療費 を巡って、夫婦がぎくしゃく するのも本末転倒だと思います。

夫婦仲良く、思いやるこ とができれば、その先はなる ようになる。

そして、なるよ うにしかならない」と、マヤ さんは腹を括ったのです。

「夫も努力してくれている。

顕微授精で、あとは着床しだ いという時は、私にも問題が あるのでは?と思い悩む。

お互いに、“ごめんね、私(僕) のせいかも”と気まずい空気 が流れるのも耐えられなくて ね」と回想するマヤさんです が、妊娠後は景色が一変!

「世の中の人がこんなにも優 しいなんて! と、毎日感激 の連続です。

電車で席を譲ら れたり、ベビーカーでの移動 で手を差し伸べられたり、夫 婦ともに関西出身ですが、子 どもを通して友人が増えたり とラッキーなことばかり!

赤ちゃんは幸せを運んでくれ る、まさに天使!」と、お二人。

それでも、不妊に悩む人が 今も多いことは忘れません。

かつては自分も、赤ちゃんを 抱いて微笑む母親を羨んだこ とがあるから。

「子どもを授か ることは当たり前のことでは なく、奇跡なのだ」と身をもっ て知るからこそです。

「私たち夫婦は“たまたま” 幸運だっただけ。

どうか読者 の皆さんにも、奇跡が訪れま すように」と、マヤさんは心 から願います。

そして、「不妊 治療より、まずは夫婦の絆を 大切に」とも思うのです。

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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