不妊症と認めたくない

「若いから大丈夫」と、過信していた──。

体外受精に踏み切れなかったのは、 自分自身と向き合おうとしなかったせい。

不妊症と認めたくない気持ちがあったのかな。「早くママになりたい!」と願った 20 代。

しかし、思わぬ現実を突きつけられます。

そして、やっと小さな命を授かった今、 カナさんの“これまで”を振り返ります。

若いうちに結婚すれば、 すぐ授かると思っていた

子どもが大好きなカナさん(仮 名・ 31 歳)は、小学校教諭の経 験もあり、ご結婚後も、幼稚園 の事務員、時には補助保育士と して、幼い子ども達に接する仕 事を続けています。

「自分の子どもも早く欲しい、 と思っていました。年齢が高く なるほど妊娠しにくくなる、と いう知識もありましたし、 20 代 のうちに結婚・出産したいとい う願望を強く持っていました」 とカナさんは言います。

そこで、 25 歳で婚活をスター ト!

翌年に出逢ったのが、同い年のご主人です。

警察庁勤務 とあって真面目そのもの。

「優し くて、明るくて、子ども好き。きっ と良いパパになるはず」と、 2 度目のデートで、すでに結婚を 意識されたとか。

1 年半の交際期間を経て、 2011年秋に結婚。お互い に健康。

結婚すれば、すぐに 赤ちゃんを授かるに違いない と思っていたのですが、現実 は違いました。

「姉も結婚後すぐに赤ちゃんを 授かりましたし、友人たちも結 婚の翌年には母親になっていた のですが、私は半年過ぎても何 の兆候もなく、そこで初めて“何 か問題があるのでは?”と疑いを持ちました」と、カナさんは 振り返ります。

さっそく婦人科を訪れましたが、 「若いから大丈夫。しばらく様子 をみましょう」と漢方薬を処方 されただけで、検査もなかった とか。

納得できず、2つめに訪 れたのは不妊外来のある婦人科。

「エコーで見る限り、子宮内膜 の厚さも満点。男性側に問題が あるのでは?」と言われ、夫に も検査を受けてもらいましたが、 異常なし。

「原因不明」との診断 に、途方に暮れました。

自らを“不妊症”と認めたく ない気持ちもありましたが、「早 く赤ちゃんに会いたい!」とい う思いが勝り、2012年の初冬に、カナさんは不妊治療専門 クリニックの扉を叩きます。

20代からの不妊治療は、 理解してもらえない?

「不妊治療専門クリニックでの 検査の結果、TSHの値が高 く、橋本病と診断されました。

“私が病気?

こんなに元気な のに?”と、ショックを受ける と同時に、“もっと早くにこの 病院に来て検査をしていればよ かったのに”と思いました。

治療を勧められ、大きい病 院へ。

そこでは、「妊娠を急 ぐなら薬を飲んだほうがい い。

でも、一度薬を飲み始めたら、一生薬を飲み続けなけ ればならない」と言われ、カ ナさんは悩みました。

なんとか自分で克服できない ものかと、試した健康法は数知 れません。

足湯や入浴を欠かさ ず、腹巻や靴下で体を温めるこ とから、布ナプキン、ホットヨ ガ、ルイボスティー、ザクロエ キス、リフレクソロジー、ヒプ ノセラピー、カウンセリング、 さらには神頼みまで、“良い” と聞いたことは、できる限りや りました。

その甲斐あってか、 半年後にはTSHは正常値に!

しかし、喜びもつかの間。今 度はTRH値が高いことがわか ります。

薬を飲んで下げても、薬をやめればすぐに数値は戻っ てしまう。

排卵誘発剤も飲み始 めたものの、LUF(黄体化未破裂卵胞)が起こることが多く、 不妊専門クリニックでもなかな か結果を得られないことで、カ ナさんは精神的にも追いつめら れました。

ここで参加したのが、同じ不 妊の悩みを持つ女性が集まるお 茶会でした。

ところが、「 30 代後半から 40 代の女性が多く、“ 20 代のあな たはまだまだチャンスがいっぱ いあっていいわね”と言われ、 かえって傷つきました」とカナ さん。

職場や周囲の人の反応も 同様で、

「まだ 20 代。焦らなく ていいんじゃない?」

「若いん だから、そんなに必死にならな くても」などと言われることが 多く、

「早くママになりたい!」という気持ちを、理解してくれ る人はいませんでした。

それでも、 2 度目に参加した お茶会では、良い仲間に巡り合 えました。

「不妊治療はつらく て当たり前!   弱音を吐いても いいんだよ」

「自分の人生なん だから、他人の言葉に左右され ちゃダメ。

若いうちに頑張った ほうが絶対良いはず」

そんな言 葉に励まされて、昨年、人工授精にステップアップし、 3 回 チャレンジ。

「これできっと妊娠できるは ず!

と思っていたので、残念 な結果に激しく落ち込み、治療 をやめることにしたのです」

卵巣年齢の高さが、 体外受精へと向かわせた

仕事を抱えながらの不妊治療で、心身ともに疲れ切ったカナ さんを労わり、ご主人は旅行に 誘ってくれたのだそう。

「治療 はつらいけれど、こんなに優し い夫、こんなに子ども好きの夫 をお父さんにしてあげられない なんて」と、カナさんの心は揺 れ動きました。

「治療をやめる前に、自分の卵 巣年齢が知りたくなって、AMHの検査を受けることにしまし た。

“どうせ高いに違いない、結 果を聞くのが怖い”とこれまで 検査を避けてきたのです」

結果は、実年齢より 8 歳も高 い 38 歳レベル。

「やはり」とい う気持ちと、「まさか」という 気持ちが入り混じり、ご主人の 前で号泣したといいます。

しかし、ご主人は「これで、 体外受精に踏み切れるね」と、 前向きな言葉をかけてくれま卵巣年齢の高さが、 体外受精へと向かわせたした。

カナさんは、体外受精 には抵抗がありました。

「こ の年齢でそこまでしなければ ならないのか」という思いも あり、もしもそれで妊娠でき なかった時のショックを想像 すると、恐ろしくて踏み切れ ずにいたのです。

「私の卵巣年齢は 38 歳、タイム リミットは近いのだと、腹をく くりました。

やるからには質の 良い卵子をたくさん採るぞ!

と気持ちを切り替えました」と カナさん。

鍼治療も始め、ウォー キングも毎日 1 時間と努力した 結果、採取できた卵子は 22 個!

胚盤胞まで至った 9 個を、凍結 保存することができました。

移植から 5 日目、仮判定で着 床が認められたのはカナさんの 誕生日直前。

その 2 週間後、本 判定で妊娠が認められたのはご主人の誕生日直前。最高のプレ ゼントに、夫婦ともに喜びの涙 を流したといいます。

3 年間の治療を経て、やっと 願いを叶えたカナさんですが、 取材の前の週には出血があり、 切迫流産の危険から緊急入院し ました。

つわりも重く、来春の 出産予定日までは気が抜けませ ん。

移植の日からずっと、「お 願いだから、しがみついてい て!」と、カナさんはおなかの 赤ちゃんにエールを送り続けて います。

「つらいことの多い治療期間で したが、夫の頼もしさ、家族の 優しさ、支えてくれた方々のあ りがたさを痛感し、感謝の気持 ちでいっぱいです。

この経験は、 これから母親になる私を、人と して一回り大きく成長させてく れたと思いたい」

 

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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