養子縁組に目を向けたら光が

最後の移植前、これで不妊治療はやめようと決めて養子縁組に目を向けたら光が見えました。
「私たちにはもっとやれることがある」と。
子宮外妊娠、父親の急死、リウマチ、卵巣炎などを経て、44歳で最後の移植を前に、不妊治療の終わりを決めたシノさん。
現在は養子縁組や里親について調べ、前向きに検討しています。

焦り始めたのは40歳になってから

シノさん(44歳)は保育施設にパート勤務、ナオトさん(40歳)は保育士。結婚はシノさんが32歳の時でした。お互い子どもが好きでしたが、子づくりに関しては急いでいませんでした。「結婚して2年目に子宮外妊娠を経験しました。悲しかったですが、いつかまた授かるだろうと思って、それからも自然の流れに身を任せていました」

さすがにシノさんが焦り出したのは40歳を過ぎた頃。不妊治療を始めることにし、ナオトさんにも協力を求めました。

最初は近所の大学病院へ。タイミング法から入り、人工授精を4回行いました。その矢先、シノさんのお父様が急逝してしまいます。「父親に孫の顔を見せてあげられなかった悲しさと後悔にさいなまれて。あまりに精神的ダメージが大きかったせいか、関節リウマチを発症してしまいました」

リウマチはホルモンバランスにかかわるので初期段階で食い止めたほうがいいと医師に言われ、そちらの治療を優先することに。「1年かけて治療を行い、その後半年間、寛解状態を維持できたので妊活を再開しました」

体外受精を始めた頃はワクワクしながら治療

本腰を入れて治療をするため、不妊の専門クリニックへ転院。ここでは体外受精から始めました。「42歳から43 歳になる年でした。採卵は2回、1回目は受精せず、2回目は受精しましたが、分割停止で移植できませんでした。AMHは低かったのですが、自己注射はリウマチの時の経験で慣れていたし(笑)、体外受精を始めた当初は、これでもう妊娠できるんだと思ってワクワクしながら治療と向き合っていました」

 ところが、採卵から10日後、急に下腹部に激痛が走り、歩けないほどになってしまいます。「内科や婦人科へ行ったのですが、痛みがおさまらず、救急病院へ行きました。そこで卵巣が腫れていて危ないから入院したほうがいいと言われました。できれば入院したくなかったので、痛み止めの点滴を打ってもらい、抗生物質をもらって帰宅しました」

救急の医師曰く「採卵で抗生物質が足らなかったのではないか。それで炎症を起こし、腫れたのでは? それしか考えられない」と。そのことを不妊クリニックの医師に伝えたところ否定されてしまいます。「採卵への恐怖と、クリニックの医師への不信感から、もう一度転院することにしました」

ラスト1個の卵が治療の終わりを告げた

次のクリニックでは採卵6回、移植は計4回行いました。今回は1回の採卵で1~3個の卵が採れました。グレードも悪くなく、受精卵もできていたのですが、なかなか着床しませんでした。「移植3回目で2個戻しを行ったのですがコレもダメで。着床すらしないことが悲しかった。それもあってか、残りの卵が1個、移植もあと1回という状況になった頃、『もう治療は終わりかな』という気持ちがすっと私の中に降りてきました」

とはいえ、「妊娠して妊活終了」という結末しか考えていなかっただけに「授かることができなかったという終わり方」を受け入れるのに時間がかかりました。シノさんは毎晩泣きました。

そんなシノさんの気持ちを切り替え、“次”を考え始めるきっかけとなった出来事がありました。「移植3回目が陰性だとわかった時の私の落ち込みはすさまじく、職場でも明るく振る舞っていたつもりだったのですが、仕事でミスしたり、赤ちゃんを連れてくるお母さんにあからさまに嫌な顔をしてしまって。そんな私を見て職場の同僚が『実は私も不妊治療していたけれど、子どもに恵まれなくて特別養子縁組をしたのよ。気休めかもしれないけど、説明会もあるから行ってみたら』と話してくれたんです」

ナオトさんに話したところ、意外にも前向きな反応でした。

「僕は子どもは産めない。でも、育てたい気持ちは変わらないよ、と。じゃあ、一度行ってみようということになり、児童相談所主催の特別養子縁組の説明会に二人で参加しました」

私たち夫婦にはもっとできることがある!

実は妊活中、夫婦仲が悪くなり、離婚の話し合いをしたこともあったそうです。「私の気持ちのアップダウンが激しかったんですよね。イライラしている時は夫が何を言ってもカンに触り、怒鳴ってしまったり。夫を父親にしてあげられないのが申し訳なくて、離婚しようと口走ったり。夫は子どもが欲しくて結婚したわけじゃないと言ってくれましたが、子ども好きと知っていましたから複雑でした」

それが特別養子縁組について二人で考えるようになってから、「ここまで話が合うのか! と驚くぐらい」意見が合うそうです。「講習会や研修などに一緒に参加しているので話がしやすく、会話も増えました。ようやく同じほうを向けた気がします」

4回目の最後の移植の結果が陰性だった時もすでに特別養子縁組を検討していたので、冷静に受けとめることができたそう。

「特別養子縁組は最短でも1年半かかると児童相談所の担当者に言われました。でも何とか実現して、その後は『里親制度』で子どもを預かりたいと思い始めています。夫も同じ。最近は二人で『私たちにはまだまだできることがあるよね』と話しています」

つらい出来事も明るく話してくれたシノさん。そんなシノさんを優しく見守るナオトさん。特別養子縁組と里親を新たな希望ととらえ、前へと進む素敵なご夫婦です。

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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