里親になることで得られた新たな人生

意地をはらず、力を抜いて考えて里親に。

不妊治療で苦しみ続けたことが嘘のよう。

今は「元気なお母さんでいたい」が目標です。

「血のつながりなんてどうでもいい、私は 産みたいより育てたいんだ」。

そう気づいたS美さんは 養育家庭(里親)になる道を選択しました。

今は日々子育てに奮闘する“普通のお母さん”です。

顕微授精から始めた 不妊治療だった

「高度医療が発達しているがゆ えの弊害だと思うのですが、不 妊治療もやめられないんですよ ね。『次はイケるかも』という 期待を延々持ち続けてしまえる んです。しかも、やめてしまっ たら先が見えなくなってしまう ので、なかなか終止符が打て ない」。そう語るのはS美さん ( 44 歳)。まさに自身がそうだっ たと言います。

「でも、授からないのであれば、 少し力を抜いて産みたいのか、 育てたいのかと考えてみては。 後者だったら私は里親を選んで もいいと思います」

S美さんは 31 歳の時、職場の同僚で同い年のT男さんと結 婚。もともと子どもが大好きで、 すぐにでも子どもが欲しかった のもあり、早々に会社を辞めて 妊活を始めました。

「 30 歳を過ぎていたので、念の ため、夫婦揃って検査を受けた んです。そうしたら主人のほう に問題があって……。精子がい ないというか動いていなくっ て。自然妊娠どころか体外受精 も無理。不妊治療は思いがけず 顕微授精からのスタートになっ てしまいました」

ショックを受けたのはS美さ んよりもむしろT男さん。著し く落ち込んでいましたが、仕事 を辞めてまで子どもが欲しいと いうS美さんの思いを汲んで協 力してくれました。

しかし、顕微授精を 4 〜 5 回、 試みるもまったく成果が出ませ ん。S美さんは悩みましたが、 思い切ってAID(非配偶者間 人工授精)に踏み切ることに。 ある不妊治療の電話相談に問い 合わせて聞いたところ、「AI Dでの妊娠率は2%程度」と言 われましたが、ほかの手が浮か びません。とはいえ、ここでも T男さんは苦しみます。

「他人の精子で妊娠するわけで すから、男として悔しかったし、 つらかったはず。それでも子ど もが欲しいという私のために承 諾してくれました」

約6年の間にAIDを 10 回以 上。もうダメかと思っていた矢 先に妊娠。しかし、喜んでいた のもつかの間、3カ月で流産してしまいました。

ボランティア先で幼児の 切ない笑顔に心動かされ

「終わりが見えないなかで不妊 治療を続けてきてそんな結果に なってしまって。この先どうし ていいのかもわからないし、あ の時ほど苦しくてつらい時期は なかったです」

流産から呆然自失の日々を 過ごしていたS美さん。ある 日、何か子どもにかかわるこ とをしようと思い立ちました。 ネットを検索すると近くの乳児院でボランティアを募集し ていました。すぐ申し込み、 ボランティアを始めました。 そして、そこでのある出来事 が大きな転機になるのです。

「具合が悪くて泣きはらして顔 が真っ赤なのに、大人に抱い てほしくてけなげに笑顔を見 せる子どもがいて。その切な い笑顔を見ていたら涙がとま らなくなってしまって、ああ、 こういう子を救える人になり たいって思ったんです」

意地でも自分の子どもを産 むというのではなく、違う子 でもいいから育てたい。そう 思ったS美さんはすぐ乳児院 の方に相談し、里親登録をす ることにしました。

S美さんの気持ちの切り替 えは早かったのですが、T男 さんはさすがに追いついてい けません。「反対だ、とはっき り言われました」。

そんなT男さんの心が変化し たのは会社での飲み会がきっかけだったそうです。

「 60 歳近い取引先の人が、子ど もがいなくて犬の話ばかりを する。それはそれでいいと思 うけれど、俺は寂しい、やは り子どもが欲しいと思ったと 言い、里親になることに賛成 してくれたんです」

この時点ではもうS美さん は不妊治療をきっぱりやめる と決断していました。

2人目の受け入れで 本当の意味で里親に

S美さん夫婦は早速、すでに 里親になっている人たちの話が 聞ける「養育家庭(里親)体験 発表会」に参加。児童相談所で も話を聞き、里親登録。すると 比較的早い段階で紹介されまし た。まもなく小学生になるとい う男の子です。

「小学校の入学もあったので、 短い期間に交流を重ねて、委託 されてすぐ区役所へ行ったり、 ランドセルを買ったりと慌ただ しく入学の準備を進めました」

そこまではよかったのです が、いざ一緒に暮らし始めると、 言動や行動にいくつか気になる ところが出てきました。

「相性がよくなかったんだと思 います。私も疲れがどんどんた まっていき、主人も口には出さ ないものの、つらそうで。しか たなく3カ月を過ぎた頃、施設 に引き上げてもらいました」

しかし、 1 年後、S美さん夫 婦は気持ちを切り替え、再び里子を受け入れます。

「最初の子とはうまくいかな かったけど、やはり子どもを育 てたいという気持ちに変わりは なかったので。驚いたことに主 人も同じでした。ごく当たり前 のこととして、次の里子の受け 入れを望んでくれていましたね」

紹介されたのは2歳ちょっ との男の子、Y君。最初の3 カ月は施設へ通い、面会を繰 り返しました。顔を見てもく れなかったY君が、 1 カ月ほ どでS美さんにはなついてく れたと言います。

「お喋りの上手な子で、慣れて くるとどんどん自分から話して くれるんです。ただ、主人には なかなか慣れてくれなくて(笑)。 でも、時間をかければ大丈夫か なとは思っていました」

自宅へY君を連れてきて、晴 れて新しい生活が始まりました。

お母さん大好き! その一言で毎日癒やされて

現在、里親になって約 4 年。 Y君も 5 歳半になりました。 初めてのことへの抵抗が強く、 最初の頃は食事、入浴、スー パーでの買い物など何をする にも大泣きするなど手間取る ことが多かったのですが、今 はまったくそんなことはあり ません。それどころか好き嫌 いもなく何でも食べるし、お 風呂も一人で入るし、洋服も 自分で着られます。

「一つひとつできることが増えボランティア先で幼児の 切ない笑顔に心動かされていくのが嬉しいですね。勉 強も好きで、こちらが言わな くても自分で勉強しています。 九九ももう覚えたみたい。好 奇心旺盛で耳から入った知識 もすぐに吸収してしまう。幼 稚園でトランプ大統領の話を してたって聞いた時にはさす がに驚きましたが(笑)」

Y君はすくすくと育ち、周 りからも愛される存在になっ ています。家では毎日「お母 さん大好き」と言ってはS美 さんの後をついてまわってい るそう。人からは「性格も顔 もS美さんにそっくりだね」 とよく言われるそうです。

「一緒に暮らしていると自然に 似てくるものなんですね。主 人にも少し慣れてきて、一緒 に銭湯へ行ったりしています。 主人もYが可愛くてたまらな いみたいで、よく喜びそうな お土産を買ってきますよ」

不妊治療中はどんどん友だ ちが減っていきました。でも、 今はY君を通して知り合った ママ友も増えてよくお酒を飲 んだりしているそうです。

「治療中のつらさ苦しさが嘘 のよう。今は賑やかに楽しく 暮らしています。多少苦しい ことがあっても全然平気です。 とにかく元気なお母さんでい たいですね、Yのためにも」

*貧困や虐待、実親の病気など、実家庭 で生活できない子どもを、公的に育てる 仕組みが「社会的養護」です。

社会全体で子どもを育てる、子どもの ための制度で、家庭に一時的に預かり育 てるのが里親です。

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

不妊治療に関するドクターの見解を取材してきました。本サイトの全ての記事は医師監修です。