4つの医療機関を転院

不妊治療、うつ病を乗り越えて手にした「未来」 4つの医療機関を転院した 10 年。

「医師に見捨てられたの?」呆然とした日々に 漢方サロンとの出合いが光をくれました。

「結婚すればいつか自然に子どもはできる」 そう思っていた日常は、突然ストップした生理により一変。

さおりさんが「高プロラクチン血症」と診断された日から つらく長い治療のトンネルを抜けた 10 年を語ってくれました。

ある日突然止まった生理。 高プロラクチン血症と診断

室内を駆けまわるおてんばな 愛娘 K ちゃん( 1 歳 8 カ月)を 追いながら「今は子育てにへと へと」と微笑むさおりさん( 39 歳)。当たり前に思える「我が 子といる幸せ」を手に入れるま での、つらく長い 10 年間を語っ てくれました。

小学校教諭として大好きな子 どもたちに囲まれ過ごしていた さおりさんは、 28 歳の頃同じ教 員として働くひとつ年上の D さ んと結婚。「じきに赤ちゃんが できるかもね」とコウノトリを 待ちながら、仕事に情熱を燃や していました。しかし、ある日 突然、前兆もなくさおりさんの生理が止まります。

「いたって健康で、婦人科系の 病気になったこともなかったの で驚きました。おかしいな、と 思いながら2~3カ月が経過。 恐る恐る A 病院を訪ねました」

検査の結果は、高プロラクチ ン血症。下垂体でつくられるプ ロラクチンというホルモンの値 が上がることで、生理不順や排 卵異常などを引き起こし、妊娠 しにくくなるため、妊娠を希望 している女性にとって放ってお けない症状でした。さおりさん はすぐに数値を下げる薬を飲み 始めました。

「この薬の副作用の吐き気がひ どくてつらくて…。でも不思議 ですね、子どもたちの前にいる と、シャンとしていられるんです。反動で、家に帰ったらぐっ たり。仕事を休んで家で一人副 作用と闘うより、学校にいるほ うが私には合っていました」と 笑います。

このプロラクチンの数値を正 常にするために半年ほど投薬の 時間をかけ、いよいよ不妊治療 のスタートラインに立ったさお りさんご夫妻。若い二人はまず タイミング法からチャレンジし ていきます。

順調にも思えた病院通いです が、さおりさんは A 病院のピリ ピリしたムードがどうしてもな じめなかったそう。

「受診は流れ作業。医師に怒ら れないよう、事前に勉強して、 こう答えよう…ってまるで受 験生みたいな診察に嫌気がさして。1年そこそこで友人か らのすすめがあった B 病院へ 転院しました」

長くつらい治療に心が疲弊。 ついに「うつ病」を発症

B病院は医師やスタッフが親 身に話を聞いてくれ、メンタル ケアも充実。いい病院だとわ かっていても、通院することに だんだん居心地の悪さを感じる ように。

「 B 病院は不妊治療専門の病院 ではなく、普通の産婦人科だっ たので待合室にたくさんの妊婦 さんがおられて…。それを見る のがつらくて」

精神的に疲れたさおりさんはしばらく治療をお休みした後、 3軒目となる C 病院で不妊治療 を再開。初めての人工授精に チャレンジしました。

最初の1~2回は「初めてだ からうまくいかなくても仕方な い」と前向きだった治療も徐々 にその回数が増え、6回目、7 回目となると「ここまでやって もダメなの?」と精神的に追い 詰められます。医師から「よい 卵が育っていますよ」といわれ、 喜んで、そして妊娠できなかっ た事実にがっかりして――。そ の繰り返しに、さおりさんの 繊細な心を絶望が支配してい きました。

そして人工授精 10 回以上を数 え、長くつらい治療に耐えられなくなったさおりさんの心の糸 が切れてしまいました。うつ病 という診断でした。

しかし、うつ病と診断されて も、教員という仕事は天職。さ おりさんは休まずに1年半の闘 病を続けました。心療内科に通 い、抗不安薬を飲む日々。子ど もたちの前では笑顔でいても、 家に帰れば涙して。今は不妊治 療のことは考えられない、考え たくない…そんなふうに過ごし ていた時、なんと自然妊娠が発 覚。予想していなかったことに 驚き、喜ぶさおりさんご夫妻。

「でも、6週目で心音がなくなっ て…。流産は悲しいことですが、 うつ病にもかかわらずその子は 私のお腹に来てくれた。『私は妊 娠できる、産める』という強い 希望をもらいました。その子が 命と引き換えに、私に立ち直る 強さをくれたんだと思います」

その後、 C 病院の医師から 「もううちでできることはな い。この病院を紹介しますか らそちらで頑張っては?」と、 誰もが知る不妊治療で全国的 に有名な E 病院への転院をす すめられました。

「私にとって最終宣告を言い渡 された気分でした。最後の砦、 ここでできなければ私はもう 妊娠できないんだ、と」

医師に見捨てられたような 気持ちになったといいます。

絶望、希望、絶望を繰り返 すさおりさんにとって「自分 にとって最後になるかもしれ ない」という覚悟の治療が E 病院で始まりました。

諦めかけた希望。 漢方サロンとの運命の出合い

病院でもまずタイミング 法、次に人工授精を経て、つ いに夫婦にとって初めての体 外受精にステップアップする ことに。今までとは違い、さ おりさんにとって覚悟のいる 治療でした。

体外受精を行ったのは計3 回。1回目は分割の進んだ受精 卵を戻すも着床せず。2回目、 3回目は採卵できても分割すら できず、さおりさんの足はそこ ですくんでしまいました。
「もし4回目もダメだったら… もうあなたは人間としてダメだ よって宣告されるみたいで次を 考えられなくて」

夫の D さんも、うつ病からよ うやく抜け出したばかりのさお りさんを心配し、もう不妊治療 のことを考えるのはやめようと 言ってくれて、今までできな かった普通の生活を取り戻すか のように遊びに仕事に「人生を 楽しむ」ことにしました。

そんな時、飛行機の機内誌 で目に止まった漢方サロンの 「不妊と漢方」に関する記事。 たまたま地元に近いサロン だったこともあり「エステ感 覚で行ってみようかな」と足 を運んでみました。

医療機関での不妊治療はもう つらい、でも違うアプローチな ら、期待して裏切られることも ないかもしれない…。そんな思 いで通いはじめたサロンは、居 心地のよさやスタッフの「大丈夫、できますよ」という温かい 言葉など、壊れかけていた心が ほぐれていくような場所でした。

「整体を受け、漢方を処方して もらい、本当にリラックスでき ました。病院通いだった時はつ らかった通院が、ここで過ごす 1時間は楽しみで仕方なかった ですね」  半年間、ひたすら楽しんで 癒やされて…ただそれだけ だったのに、なんとさおりさ んは自然妊娠という最高の喜 びを手に入れたのです。初め て婦人科を受診し、 10 年近く 経とうとしていました。

「4軒も病院を変え、うつ病に もなった私。今までやってきた 治療を全否定するつもりはあり ませんが、まさか半年のサロン 通いで自然妊娠できるなんて」

嬉しい半面、流産の経験から しばらくは慎重に様子を見続け、 ようやく 8 カ月の時に女の子と 診断され、望んだ未来がすぐそ こにあることを実感したのです。

「私はE 病院で子どもができ なければもうおしまいだと自分 で思い込んでいました。でも病 院じゃないチョイスもあるんだ と、私の経験を通じて皆さんに も知っていただきたいんです。 もちろん子どものいない人生で もいい。自分の思い込んでいた 以外の道が実は回り道であり近 道であることもあるんですね」

現在、漢方サロンに通いながら 2 人目にチャレンジ中のさお りさん。明るい未来を信じ「つ らくない」不妊治療を続けてい くつもりです。

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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