特別養子縁組という出会い

人生はケ・セラ・セラ!   特別養子縁組という出会い

高度不妊治療を続けるも 41 歳で閉経。 しかし、そこにあったのは絶望ではなく 「解放された」喜びと新しい出会いでした。

趣味に遊びに好きなことをやりつくし、次は「結婚」「子育て」 という新しい経験を楽しもう!

そんな思いで挑んだ子どもへの思いは 度重なる婦人科疾患と早発閉経により、一度消えかけ…。

「家族って血の繋がりがすべてじゃない」、そんな夫婦の物語です。

人生を楽しく生きたいのに、 次々に発覚する婦人科の病

「自分を一言で表すと、楽観的 で気負わない人間かな。先のこ となんて誰にもわからないで しょう、アハハ」とほがらかに 笑いながら愛息の O ちゃん( 1 歳半)を見つめる M さん( 43 歳)。 まだ分別もつかない年齢とわ かっていても「 O ちゃんを産ん でくれたお母さんが別にいるん だよ、と常に話しています」と 語るように、二人は特別養子縁 組の里親と里子の間柄です。

「育児って、人間としての生き 方などを“教える”ものなの かなと思っていたけど、何の ことはありません。家事の延長みたいにバタバタする毎日 が続く感じで」とどこまでも 明るい M さん。

「こんな感動の ない私の話で、誰かが幸せに なるきっかけになれば――」

大学時代、あまりにひどい 月経痛で救急車で運ばれるほ ど婦人科系に問題を抱えてい た M さん。子宮内膜症のせい だとわかりましたが、当時は あまり薬に頼りたくないと何 年も漢方を飲み続けました。 体を温め、健康に気を使って いても毎月生理中は倒れると いう生活を繰り返していた 27 歳の頃。いよいよ訪れたクリ ニックで「なぜここまで放置 していたの」と呆れられ、大 病院の J 病院を紹介されて即手術。かなり重症のチョコレー ト嚢胞だったそうです。

手術後、病気とうまくつき あいながら大好きなパリに1 年暮らすなど人生を謳歌して いた M さん。つきあう人には すべて自分の持病と「たぶん 子どもはできにくい」という ことをはっきり伝えてきた M さんでしたが、 35 歳になると、 またもひどい生理痛に悩まさ れ、起き上がれなくなり、つ いには会社も辞めるほどに。

自分の体調に不安を抱えつつ も、それを理解してくれる H さ ん( 44 歳)と2011年に結婚。

「夫が、できれば子どもが欲し いと言ったので、子づくりに チャレンジすることに。私はいてもいなくてもいい、楽し ければどっちでも歓迎だった んです」

数カ月のタイミング法を経 て、チョコレート嚢胞の手術を した J 病院に行くと「子宮腺 筋症」との診断が。こんな状 態では妊娠できるわけがない、 体外受精すら難しいと指摘さ れました。この時すでに 38 歳。 楽観的な M さんもさすがに悠 長に構えていられないと、体 外受精専門の S クリニックへ。 右の卵巣がうまく働いておら ず、最初の採卵からすでに苦 戦。 M さんは「卵管水腫」と いう状態で着床しにくくなっ ているとのことでした。それ でも 7 度の体外受精に挑戦し、1 度の妊娠を経験します。

「結局は流産で。それから何軒 かほかの病院をあたるも、あ なたの状態じゃもう無理って、 何度か通うと断られるんです。 AMH の値から卵子もほぼ採 れないとわかっているし、そうこうしているうちに 41 歳にな り、生理が止まりました。検 査の結果、閉経した、と」

あまりにも早すぎる年齢で の閉経。しかし実姉も同じ 41 歳 で閉経していたので驚きはな く、真っ先に感じたのは「やっ と治療から解放される!」と いう喜びでした。

「子どもが欲しくないわけじゃな い。でも治療は本当に…面倒く さくて。そう、悲しいとかつら いとかじゃなくて。治療にかか るお金は働けばなんとでもなる。 でも治療のために費やした時間 は戻ってこない。これで毎月私 を苦しめた生理もこない。私は 次に進めるんだ!って嬉しくな りました」と赤裸々に語ります。

虐待事件に胸を痛める日々。 里親になる決意と出会い

閉経するということは M さん の遺伝子を受け継ぐ子はもう望 めないことを意味します。しかし M さんは「自分や夫の血を分 けた子じゃなきゃ家族じゃな い、という価値観がまず私には ありません」と熱く語ります。

「私が暮らしたフランスでは 婚姻関係すら事実婚で、彼ら は人種も肌の色も違う子ども を受け入れ、みんなで育てて いる。それだけでなく、養子 縁組に一番興味をもったのは 連日報道される幼児虐待の ニュースでした」

診療を断られた病院で「養子 を検討してみては」といわれて いたこともあり、閉経と診断さ れて3カ月後には東京都の児童 相談所を訪ねていました。二人 は里親や養子縁組についての見 識を深めるため、さらに3カ月 後に行われた里親研修にも参加 し、講義を受けたり乳児院を訪 れるなど、半年前まで不妊治療 に足掻いていたとは思えないス ピードで進んでいきました。

そして閉経宣告からほぼ1年 後、ついに「里親認定証」が交付され、ここから2年の間に「ご 縁」があれば子どもとのマッチ ングが行われます。

M さん夫妻は面談で「男の子 でも女の子でもいい、外国人で もかまわない。でもいずれ同じ 戸籍に入れることができる特別 養子縁組がしたいので、その法 律が認められる6歳以下の子な らどんな子でも受け入れる」と 伝えていました。

すると里親認定からわずか1 カ月後に児童相談所から連絡 が。それがまだ生まれたばかり の O ちゃんと M さん夫妻の運命 の出会いでした。

子育ては 「人育てプロジェクト」。 ゆっくり愛を注いでいく

「あまりに早い展開に笑ってし まったほど」と、その時の二 人の喜びは計り知れないもの があります。

まずは児童相談所の担当者 からの説明があり、その後乳 児院を訪れ初対面。 M さんの 感想は「ふにゃっとしてる、 ですね(笑)。正直まだ現実味 がなくて。でもいつも寡黙な 夫がやたらウキウキしていて。 そしてベッドに並んで寝てい たどの赤ちゃんより可愛く見 えたのは確かです」と笑顔。

そこからは面会が週三回から 少しずつ増え、担当者を介さず 直接「家族」だけで会えるよう になり、1時間外出、半日外出、電車に乗せてみる、家に1泊す る、1週間滞在する…とふれあ いの時間をゆっくり増やしてい きます。そして初対面から3カ 月経つと、 O ちゃんはもう乳児 院には帰ることはありません。

M さん夫妻の家で寝起きし、二 人からの無償の愛を思いっきり 受けることができるのです。

「私が里親研修や乳児院で見聞 きして一番衝撃を受けたのは、 子どもたちは乳児院で平和に 暮らしているけど“自分のも の”はひとつもないこと。洋服、 おもちゃ、そしてスタッフから の愛もすべて共有。だから 20 歳になっても大人と一緒に寝 たいと甘える子どもがいるそ うです。里親を通じて、子ども はひとりの人間として人対人 で関わって愛情を注ぐべきだ と気づきました」と M さん。だ から M さんは O ちゃんのこと を「息子」ではなく「彼」と呼 びます。自分が子をもったので はなく「あくまでも社会の“人 育てプロジェクト”の一員だか ら」と考えているそうです。

「不妊治療がうまくいかない= 里親に、という考えは少し違う と思います。子どもは所有する ものではなく、ご縁があって一 緒に生きていく仲間」

この春から O ちゃんの保育園 生活が始まり、自らも仕事を再 開した M さん。いつかはこの体 験を本にしてみたい、と「人育 てプロジェクト」は順調に進ん でいるようです。

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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