自分を応援する〝処方箋〟の実践と、 気持ちの切り替えを大切に

原因がわかっても、なかなか結果は出なくて……
自分を応援する〝処方箋〟の実践と、 気持ちの切り替えを大切にしました。

原因を見つけて改善してもなお結果が出ずに苦しんだ日々を乗り越えて、長女を出産してから2年。どんなにつらくても自己流の”処方箋”で2人目治療を頑張ってきたY・Wさんファミリーは今、新しい命の誕生を心待ちにしています。

「焦らなくていい」と 言われても……

大学時代の同級生の紹介で出会った Yさん(40歳)とご主人のJさん(39歳)。初対面からなんとなくウマが合い、「ノリと勢い!!」 で結婚を決めたそう。「産むなら早く、できれば2人欲しい」と、結婚後すぐに妊活を開始。基本的に生理は順調で婦人科系の心配をしたことがなかったYさんでしたが、自分なりに基礎体温を測ってタイミングをとっても妊娠の兆しがないことに少しずつ不安を感じるようになります。
婦人科の先生に相談すると「まだ焦らなくてもいいですよ」と言われたそうで、タイミング指導を受けることにしましたが、排卵誘発剤のひどい副作用に悩まされます。Jさんは「まだ1年しか経っていないんだから」とあまり心配していなかったようですが、年齢と妊娠率を調べて焦りも感じていたYさんは、 31歳を過ぎた頃に不妊専門クリニックへ の転院を決めました。

原因が判明し、ようやく スタートラインに立てた

血液検査と卵管造影検査では明らかな不妊原因が見つからなかったものの、主治医から「脳下垂体からホルモンが分泌されず、妊娠が阻害されているかもしれない」「稀に腫瘍でホルモン自体が分泌されないこともある」と言われ、大学病院で脳ドックを受けますが、 やはり異常なし。ところが、再度受けた血液検査で、2種類の甲状腺ホルモンの「数値の幅」という新たな不安要素が判明しました。「通常の生活では支障はないけど、流産の確率が高くなる数値だと言われて…。脳ドックも驚いたけ ど、まさか甲状腺ホルモンという言葉を聞くことになるとは思いませんでした」。それでもYさんは「ようやく妊娠のスタートラインに立てた」と前向きにとらえます。

不妊治療はいったんお休みして、甲状腺ホルモンを妊娠に適した数値に改善するため毎朝チラーヂンRを服用。お墨付きがもらえるまでの期間はJさんの検査に充てることにしました。「最初はあまり乗り気じゃなかったみたいだけど、私が脳ドックを受けたり、甲状腺の病院に通ったり、毎日薬を飲んで体温測って…って頑張っているのを見てくれていたからか、検査当日は素直に行ってくれました(笑)」精液検査の結果、精子の運動率と奇形率を指摘され、「自分も原因の一つだったんだ…」とショックを受けた様子のJさん。サプリを服用し、仕事のストレスを溜め込まないなど、Jさんなりに努力するようになっていったそうです。

初めての採卵、初めての移植で待ちに待った長女を出産

「結婚して3年くらい経つと周囲から子どものことを言われる機会も多くなり、職場で悩みを打ち明けても高齢出産した芸能人の例を挙げられたらそれ以上は何も言えなくて。こんなに頑張っているのにどうして結果が出ないのか。子どものことは考えているし、できれば早く産みたいのに…」。悪気がないのはわかっていても悲しさと悔しさがこみ上げて、1時間以上泣き通したこともあったそうです。
それでも「いつか妊娠できる」 と信じて治療を続けたYさん。甲状腺の数値が改善したのを機に再びタイミング法を試したのですが、やはり結果は出ません。その頃「Wさん夫妻の場合、不妊治療せずに自然妊娠する確率は7%で人工授精だと11%、体外受精ならもう少しだけ確率が上がる」と、主治医から衝撃的な言葉を聞かされます。当時は保険開始前だったため高額の体外受精を受けることにはためらいがあった二人。11%に賭けて「自費でも何とかできる」人工授精にステップアップ。3年後、医師から強くすすめられて体外受精へのステップアップを決意しました。

通院するクリニックの提携薬局で漢方を処方してもらえることを知り、人工授精と並行して漢方相談にも通っていたYさん。当帰芍薬散を軸に数種類の漢方を服用して「卵活」にも取り組んでいたそう。「できることは何でもやろうと思って。そのおかげなのか、初めての採卵で卵子が6個採れて、そのうち2個が胚盤胞まで育ってくれました」採卵前はまたしても排卵誘発剤の影響で心身ともに不安定になったりもしたそうですが、初めての採卵で育ってくれた胚盤胞移植で念願の第一子となる女の子を出産。 それから2年後、国内で不妊治療の保険適用が始まった年に、2人目の不妊治療を再開しました。

自分で自分をねぎらうための”処方箋”で前向きに

「薬の影響や治療内容、ストレスの発散方法などがわかったうえで臨めたから、心の負担は長女の時の3分の1でした。採卵の痛みに耐えたあとは外食でおいしい料理をいっぱい食べる。あまりにもつらい時は一人カラオケで自分の感情をすべて出し切ってから帰宅する。 自分の処方箋を作って、自分をねぎらっていましたね」とYさんは 語ります。
移植しても流産を繰り返し、「どうして?」と心が押しつぶされそうになったこともあったそうですが、そんな時でも前向きになれたとっておきの方法を教えてくれました。「受精卵になった、移植してお腹にきてくれた、その時点であなたは私たちの家族。生まれることはできなくても私たちはあなたを愛してるよって思うようにしたら気持ちがスーッと軽くなって。私たちが会いたいと強く願う気持ちはきっと届いているはずだから」
そして、4回目の移植で着床した 小さな命はその後の激しい出血で絶対安静になった時期も乗り越えて、5月に出産の日を迎えました。「あの時の涙は必ず何かの糧になるはず。私の体験が、今、つらさや不安を抱えて治療している人の役に少しでも立てればと思います」

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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