何度も流産してしまう方々に

何度も流産してしまう方々に、少しでも希望をもってもらえるなら 1人目を自然に授かったから、次も当然…?

10 回以上の流産を経て授かった私だからこそ、2 人目不妊や不育症で苦しむ人に話したいこと。

やっと妊娠したと思っても、常に超えられない6〜9週の壁。

原因不明という診断に「必ず原因がある」と自ら行動に移し、 望みをかけた数度の転院、それでも流産を繰り返したサチさんが、 ようやくたどり着いたのは、不育症の新たな治療法でした。

編集部に届いたメールが、 取材のきっかけに

「 2 人目不妊、不育症で何回 も流産してしまう方々のお役 に立ちたい。経験をお知らせ したい」。ジネコ編集部宛て にメールが届いたのは今年の 夏。差出人のサチさん( 40 歳) が2人目を出産するまでに経 験した壮絶な日々は、文面か らも伝わりました。

取材依頼をして自宅に伺っ たのは残暑の厳しい9月。出 迎えてくれたサチさんは透明 感があって笑顔がとても素敵 な女性です。腕に抱いている のはすくすくと元気に育って いる次女のモモカちゃん。その2ショットを見る限りでは、 大変な経験をしてきたように はとても思えませんが、この あとに聞く話の内容は、とに かく過酷。そして、最後は「サ チさん自身の命があって本当 によかった」と心から思わず にはいられませんでした。

“普通にできる” 第二子計画のはずだった

今年結婚 10 年目を迎えたサ チさんとタケシさん( 41 歳) は3年間の交際期間を経て結 婚。当時、職場で大きなプロ ジェクトを担当していたサチ さんには、結婚=退職という 選択肢がなく、同じ県内ながら片道2時間の距離での週末 婚から二人の生活はスタート したそうです。

サチさんの仕事が順調に終 わり、お互いの両親からも「い つまで別居を続けるの?」と 心配されるようになったこと もあり、退職と引っ越しを決 意。新しい職場も決まり、 1 年4カ月続いた別居を解消し て平成 23 年4月から二人で暮 らす生活が始まりました。

「結婚して一緒に住めば、子 どもが欲しいと思った時にで きるのが当たり前っていう感 覚で、自分がのちのち不育症 に悩まされるなんて、まった く思いもしませんでした」と 語るサチさん。

同居してす編集部に届いたメールが、 取材のきっかけにぐに自然妊娠し、翌年、第 一子となる長女を出産しまし た。この時は妊娠して1カ月 が経った頃に出血があり、切 迫流産の可能性もあったため 1週間入院。退院して職場復 帰するもその日にまた出血し てしまったため1カ月の療養 期間に入ったそう。出血の原 因は特にないとのことでした が、赤ちゃんに近い場所の絨 毛膜下血腫による出血痕があ り、「そこから血が出たんで しょうね」という程度の診断 でした。それでも、無事に生 まれてきてくれた長女。初め ての子育てながら、 30 歳を超 えての第一子ということで、 「とても落ち着いて、育児を楽しめたかなって思います」。

タケシさんには妹、サチさ んには弟がいて、2人目を望 むのは自然の流れだった二人。 出産から1年半後には生理も 再開し、第二子計画へ。この時、 サチさんは 35 歳、タケシさん は 36 歳。自宅での妊娠検査で 陽性反応が出るも病院に受診 する前にダメになることが数 回あり、それからはなかなか 妊娠もしない状態が続いたた め、県内にある一般婦人科の A病院で不妊治療を行うこと に。ここが不妊治療のために 通った最初の病院です。

子宮卵管造影検査も特に問 題が見つからなかったのです が、1年かけてタイミング療法と人工授精を数回試しても 着床さえできなかったため、 主治医の紹介で隣市のK病院 へ転院。2軒目にしてサチさ んにとって初めての不妊治療 専門クリニックです。

「名前でなく番号がテレビ画面 に表示されるし、静かで、下を 向いているか携帯を触っている か、ほかの人と目を合わせたり、 話を聞いたりしてはいけないよ うな印象を受けました」

不育症を疑うと同時に 病院への不信感が

自宅から1時間弱かけて 通ったK病院。血液検査など 基本的な検査で何も問題がな く、この時はまだ3人目まで考えていたためなるべく早い ステップアップを希望して、 人工授精を1回、次は体外受 精を試みました。

体外受精1回目は妊娠反応 が出たのに子宮内に赤ちゃん が見えず、子宮外妊娠を疑い、 掻爬手術します。2回目は妊 娠して6週目に心拍確認後、 切迫流産。3回目、4回目も まったく同じ周期で心拍確認 後に流産してしまいます。

この頃から、サチさんに「自 分は不育症なんじゃないか」 という気持ちが芽生えてきま した。職場にも不妊治療をし ている先輩がいて、その会話 のなかで「不育症」というワー ドが出ていたのは何となく頭 の片隅にあったサチさん。第一子を出産できていたため、 2人目もできるはずだと思っ ていたのですが、さすがにこ こまで流産が続くのはおかし いと先生に質問しても、「染色 体異常だろう」としか言って もらえません。流産するたび に組織検査しても異常なし、 夫婦の染色体検査でも異常は 見つからなかったのに、毎回、 染色体異常だとの診断に疑問 や不信感が募り、 2 回目の転 院を決めました。

第二子計画から2年。 すでに転院も 3 カ所に

次に望みをかけたのは、自 宅から1時間半の場所にあっ て、日本一子どもが生まれる病院として有名なF病院。初 診時には自然妊娠していたサ チさんが、それまで何度も流 産していることや、その時の 状況などを主治医に伝えると、 低用量アスピリンとヘパリン 療法をすすめられました。す ると、今までは6週しか継続 しなかった妊娠が8週まで継 続。結局は流産してしまいま すが、期間が延びた結果に薬 の効果への期待は高まります。

アスピリンとヘパリンでも なお流産したことで、F 病院 の通院は初診の1回のみ、ベ テランの主治医の判断で、す ぐに県内の大学病院を紹介さ れました。この時点で転院は 4軒目。「すぐにできて当たり 前」と始めた第二子計画から 2年が経過し、サチさんは 37 歳の年を迎えていました。

その大学病院は特に重症の 不妊患者さんが通っているた め、一人ひとりにゆっくりと 時間をかけてくれるのが特 徴。原因を追究したいという 思いに対して丁寧に答えてく れた主治医の存在に「私はこ こで癒されました」と笑うサ チさん。不育症に効くと言わ れている漢方薬や、雑誌など で調べた言葉の意味など、忘 れないようにメモに書いて診 察のたびに質問し、疑問やモ ヤモヤをその場で解消できた環境が、「とにかく原因を知り たい」というサチさんにはと ても嬉しかったそうです。

「やっぱり“人”なんだと思 います」。そうきっぱりと断言 するサチさん。受精卵で妊娠 できたものの、ここでも9週 目で心拍停止し、稽留流産し てしまいます。その後も流産 が続きました。

原因もわからずに、何度も 流産を繰り返す日々。妊娠す ると天国に昇り、流産すると 地獄に落ちる、まさにジェッ トコースターのような精神状 態で、強い女性という印象の サチさんでしたが、心は徐々 に傷ついていきました。 3 カ 月の短いスパンで気持ちが上 がったり下がったり。仕事を しながらの治療でしたが、職 場の先輩や仲間の顔を見ると 涙があふれてしまう日もあり ました。それが胚を戻した回 数分。だからこそ、最後まで 諦めずに頑張るには、心が通 い合える“人”との信頼関係 が大切だったのです。

そんなある日、大学病院の売 店で見つけた1冊の書籍がサチ さんとタケシさんにとって、新 たな不育症治療に取り組むきっ かけとなり、第二子計画も後半 戦へ突入するのでした。 (次号へつづく)

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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