心強い周りのサポートが私の財産!

「子宮頸がん」を乗り越え、妊娠・出産。 夫、友人、そして先生…すべては 信頼できる人との巡り合いがあってこそ。

20 ~ 30 代の罹患者数が急増しているにもかかわらず、検診率がとても 低いと言われている「子宮頸がん」検診。

ご友人のすすめがきっかけで 受けた検診が、Cさんのその後の人生を大きく変えました。

結婚後半年で、 まさかの「子宮頸がん」に

取材当日、「美馬レディースク リニック」でインタビューに対 応してくれたご夫妻。奥様のC さん曰く「いつも主人は前向き で、ざっくりタイプ」、ご主人の Kさん曰く「妻はとっても慎重 派」だそうです。性格は反対な がら、とても息の合った、仲の 良いお二人です。

そんなCさんとKさんが出 会ったのは東日本大震災の直後、 平成 23 年の春でした。その年、 やがて結婚するCさんにお友達 が「子宮頸がん」検診を受ける ことをすすめてくれました。そ のころ 30 歳だったCさん、会社 の健康診断ですすめられた通り に「子宮頸がん」検診を受けて みると「中等度異形成」という結果が。とはいえ、がんではな かったので、そのまま何も手を 打つことはなかったそうです。

Cさんのお友達は、近親者がが んで闘病されていた方。そのた め、「女性であれば、子宮頸がん の心配があるから!」とその後の Cさんの経過も心配し、 1 年後に 再検査するようすすめます。ちょ うど最初の検査後、平成 25 年に 結婚したCさん。この年末に再び 検診を受けたところ、なんと状況 は悪化し、ステージ 0 の上皮内 がんであることが判明しました。

少し回り道をしたけれど 納得して手術へ

結婚後、「子どもは少しでも早 くできたらいいね」、そんなふう に話していたCさんとご主人の Kさん。まさかの「子宮頸がん」の宣告に、ただただ茫然として しまったといいます。

いろいろな不安を抱えて行っ た初めての病院。手術以外の方 法はないのか?   何か有効な代 替治療などはないのか?   質問 をするCさんに対しての先生の 答えはガイドラインに沿った、 通り一遍のことばかりだったそ うです。気分は落ち込むばかり のCさん。「方法はそれしかない としても、がんが初めての私に は、もう少し気持ちのある答え が欲しかった」と言います。

納得できないまま、もともと 興味のあった自然療法で治癒で きないか、手探りで調べて試し てみたり、実践してみたりした そうですが、仕事をしながらの 自然療法には限界がありました。

その後、紹介を受けて別の先 生の元へ行ったCさん。この時はご主人のKさんも付き添って くれました。方法はやはり「円 錐切除」しかないと言われたも のの、図を描きながら、がんの 部分さえ切除すれば妊娠の可能 性もあることを丁寧に説明して くれました。Cさんの気持ちに 寄り添ってくれる先生の回答 に、ようやく納得でき、手術を する覚悟ができたのだそうで す。「私が妊娠したいという気 持ちを理解しようとしてくれる 先生の姿勢、会話をきちんとし てくださる気持ちが伝わってき て、手術をする決心がつきまし た」とCさん。

子宮頸がん発覚から手術まで、約 3 カ月かかりましたが、手術 は無事成功。その後の経過も良 好。約 1 年間、Cさんの回復を 待って、ようやく妊娠を本格的 に考えられる段階になりました。

体と心が安定したからこそ できた妊娠と出産

子宮頸がんの術後であったこ とから、不妊治療専門クリニッ クに通い始めたCさん。長い長 い待ち時間の末、Cさんが質問 をしても、ここでもまた通り一 遍のクールな回答ばかりが返っ てきました。忙しい先生だとわ かっているものの、コミュニ ケーションがなかなか取れな いことにストレスを感じ始めま す。さらには、仕事で少し遅れ てしまった日、走って走って駆 けつけたにもかかわらず、時間 が過ぎたことをきつく叱られた ことも。そんなクリニックの対 応にどうしても気持ちが前向き になれず、沈んでしまったせい か、薬を使っても排卵しない… そんな状況が続きました。

このままここで治療を続けてい ていいのだろうか?   そんなふう に悩んでいた時、お友達から「美 馬レディースクリニックに相談し てみたら?」と紹介されます。

最初に美馬先生のクリニック を訪れた時のこと。先生はまずCさんのアレルギー体質のこと を真っ先に心配してくれまし た。「まずはアレルギーも治し たほうがいいね」と。この時も 一緒に付き添ってくれたご主 人。美馬先生の話していること を丁寧にメモに取り、できるだ けCさんの体を理解し、妊娠の メカニズムについて知ろうと努 力してくれたそうです。

その後、ご夫妻は今後、どち らの病院で治療するか話し合う ことに。ご主人のKさんは、ど んなことでもフレンドリーに話 してくれて、またCさんの体質 のことまで心配してくれた美馬 先生に好印象をもち、「美馬先 生のお世話になろう」と提案し ます。Cさん自身もなるべく自 然に妊娠できるようにしてくれ るクリニックの姿勢に共感した といいます。

その後、美馬レディースクリ ニックへ転院を決めたお二人。 通院は必ず二人で、仕事が終
わったあとに行きました。Cさ んは、「多嚢胞性卵巣症候群」で 排卵障害がみられましたが、ま ずは、漢方やハーブのサプリメ ントなどで体調を整えることを 優先し、タイミング療法から始 めることに…。その後、なんと1 回のトライで妊娠に至ったの だそうです。転院したとたんの まさかの展開にお二人はとても 驚いたそうです。

治療のストレスが嫌になり 美馬先生のもとへ

妊娠中も、重いつわり、続く 出血、何度かのトラブルがあり 「命を育むということはいかに大 変かを痛感しました」というC さんでしたが、平成 27 年 12 月、 無事に女の子を出産。子宮頸が ん発覚から 2 年の歳月が流れた 時のことでした。

とても穏やかで、慎重なCさ んの傍らには、いつも元気で前From Doctor 治療を振り返って向きなご主人のKさんが寄り 添っていました。男性が不妊治 療に理解を示してくれるのは、 難しいことが多いなか、ご主人 のKさんは「彼女とはいつも“共 通言語”で話をしたかったんで す。彼女が子宮頸がんと闘って いるなか、僕が現状をわからな いことで彼女がつらい思いをし ないように、僕自身もがんや妊 娠の可能性について知りたいと 思い、わからない言葉は先生に 質問してメモを取って、最後は 彼女に説明できるくらいになっ ていたかな。あと、彼女はどん なことでも“ありがとう”と言っ てくれます。感謝されたら嬉し いですよね。男は褒められると 動きますよ!(笑)」。どんな時 でも協力体制のご主人にCさん も救われたそうです。

また、Cさんには子宮頸がん の検診をすすめてくれたお友達 の存在も!

「あの時、検診を受 けていなかったら…と思うと怖いですよね。彼女は私の命の恩 人です」と力強く語ります。

そして、妊娠にたどりつくま でに、路頭に迷っていたCさん を救ってくれた美馬先生。「先 生のクリニックに来てからは、 クリニックに来ること自体が楽 しくなるくらい、笑った記憶し かないんです。いつも私たちを 励ましてくれ、病院のスタッフ の方もとても優しくて。病院を 卒業する時にお手紙をくださっ たのもありがたかったです」。 そのくらい美馬先生のクリニッ クは、気持ちを安定させてくれ、 信頼させてくれる場所だったそ うです。

「妊娠するまでに、お金も時間も 労力もかかりました。でも、一 つひとつ自分の目で確かめ、納 得することが大切。私が妊娠に 至ったのは、いろいろな信頼で きる人との巡り合わせだと思っ ています。友人、主人、先生と の出会いは、私の財産です」

治療を振り返って

美馬 博史 先生 東京慈恵会医科大学医学部卒業。同大学附属病院産 婦人科、美馬産婦人科院長を経て現職。妊孕性(妊娠 する力)を守る力を訴え、体にやさしいホルモン治療、カウ ンセリング療法、抗酸化食事療法等を積極的に啓蒙。
「ご主人のサポートと本人の 前向きな姿勢が妊娠に」
 子宮頸がんの元となる、ヒトパピローマ ウイルスに罹っている人は現在4人に1 人とも言われています。このウイルスは腸 内環境が整っていれば消えていくものです が、整っていない場合、最悪子宮頸がんへ とつながるものです。Cさんの場合はお友 達のすすめで、検診を受けたことが幸いで したが、検診率がなかなか上がっていない ことが問題となっています。  Cさんが術後に当院へ来た時は、多嚢胞 性卵巣症候群に高プロラクチン血症を合併 している状況でしたが、まずはCさんの アレルギー体質の改善から始めようと提案 しました。その時、付き添いで来ていたご 主人が実に頼りになる人。奥さんの基礎体 温まで管理するくらい熱心で、こんな心強 いご主人は見たことがないですね。処方し たのは、冷え性を治したりするハーブやサ プリメントなど。そのほか知り合いの鍼灸 院も紹介したところ、真面目に通ってくれ ました。そんな二人の前向きな姿勢が妊娠 につながったのだと思います。
>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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