46歳で妊娠、 47 歳で出産。

46 歳で妊娠、 47 歳で出産。

10 年に及ぶ治療を乗り越えられたのは 寄り添ってくれる先生がいたから「体外受精の回数をある時から数えるのをやめました」 そう語る白雪さん。

少しの可能性を信じて、前へ前へ と進み続けた白雪さんには、常に患者に寄り添って治 療を進めるドクターのサポートがあったのです。

37歳で始めた不妊治療。 迷いはなく体外受精を決意

現在 2 歳半になる女の子の ママである白雪さん。

50 歳手 前とは思えないほどテキパキ としたキャリアウーマンです。

白雪さんとご主人との出会い は学生のころ。

卒業してからお 付き合いが始まったものの結婚 には特にこだわらず 30 代半ばを 迎えた時、ご両親の勧めで入籍 をしました。

もともと子どもが 欲しいと思っていた白雪さん は、入籍を機会に本格的に子づ くりをスタートしましたが、半 年間妊娠に至らず、近所の婦人 科を訪れました。

そこでのタイ ミング法でも結果が出ず、卵管通水検査を受けたところ、両方 の卵管が詰まっていることが判 明。

「そこで先生に『赤ちゃん が欲しいのなら、体外受精しか 妊娠への道はないですよ』と言 われ、迷うことなく不妊治療専 門のクリニックを紹介してもら いました」

繰り返す体外受精に とことん付き合ってくれる 先生との出会い

不妊治療へ積極的に歩み出 した白雪さんですが、ご両親 からは少し反対があったとい います。

「両親は不妊治療なん て怖いから…、と言っていま したが年齢や体のリスクを説明し、納得してもらいました」。

保坂先生に出会ったのは、不 妊治療専門クリニックに通い始 めてしばらく経ってからのこ と。

「とっても気さくな先生で …患者との間にまったく壁がな いんですよ。

正直びっくりした くらいです。

その時点ですでに 相当な数の体外受精を繰り返し ていた私に、『もう回数をカウ ントするのはやめましょう。

数 えてもネガティブにしかならな いからね』とアドバイスしてく れたのも保坂先生。

その時から スパッと回数を数えることをや めました」。

たび重なる体外受精を経て 2010年、ようやく「妊娠」 の判定が!

半信半疑だったものの、赤ちゃんの心拍が確認で き「これはいける!」と確信し たのもつかの間、突然、流産し てしまいます。

この時白雪さん、44 歳。

「自分のなかでなんとな く 45 歳がタイムリミットだと 思っていたので…この時ばかり は本当に焦ったし、落ち込んで しまいました」。

しかし、まだかろうじて卵子 が採れているという事実、可能 性があるならそれにかけてみた い!

そう思った白雪さんはも う一度立ち上がろうと決意しま す。

そんな時、保坂先生が独立 することを知ります。

「保坂先 生は、絶対に『それは無理』と は言いません。

私の意志を尊重 して、とことん付き合ってくださいました。

もし、私の妊活が 終わるとしたら、保坂先生のも とで終わりたい…そう思ったか ら先生のクリニックに転院する ことを決めました」。

子宮筋腫の手術を経て ようやく願いが叶った!

保坂先生のクリニックに転院 後、しばらくして白雪さんは子 宮筋腫の手術を受けることに。

不妊治療を始めてすぐに行っ た、卵管水腫の手術の時に見つ かった筋腫。

そのころは、特に 不妊治療に影響はなし、と診断 されていましたが、数年経過し てソフトボール大になっていたのです。

タイムロスになるとも 考えられた手術でしたが、保坂 先生の勧めなら、と白雪さんは 迷うことなく手術を決意。

この時点で 45 歳になってい た白雪さん、すでに不妊治療 は 9 年近くにもなっていまし た。

その長い治療期間を支え ていたものは、「仕事」でした。

「仕事がとにかく好きなので、 落ち込んだ時もリフレッシュ したい時も、仕事に打ち込む ことで気分転換ができていま した。

小さな会社なので、不 妊治療をしていることはすぐ に社長に話をしました。

病院 に行かなくてはならない時間 のロスは、自分で帳尻を合わ さなければなりませんでした が、仕事を辞めてしまったら 気持ちのバランスが取れなく なってしまいますから」

時には仕事を仕上げるため、 不規則な生活になりながらも、 保坂先生のもとでさらに治療を 続けていた2013年のこと。

42 歳の時に採卵した最後の凍結 卵(しかもグレードが低いもの) 胚移植をしたあと、今までに はない出血が続きます。

「これ はダメだ…と思いクリニックに 電話をしましたが、判定日まで 待ってください、と言われ、半 ば諦めてその日を待ちました」。

気が重いまま迎えた判定日。白 雪さんは、まさかの「妊娠」の 報告を受けることに!

??   嘘ですよね?」。

最初 に出たのはこんな言葉。

とにか く「びっくり」の一言でした。

超高齢・超ハイリスク。

そんな壁も見事にクリアし 無事に女の子を出産46歳でとうとう、今度こそ授 かった命。

嬉しい反面、その後 も続く出血に悩まされ、怖くて なかなか保坂先生のもとを離れ られず、クリニックに通い続け た白雪さん。

そんな時にも先生 は「大丈夫だから」と心強い言葉をかけ続けてくれたといいま す。

そして 1 カ月が経過して、 ようやく産院へ転院。

「体外受精の痛みに比べたらつ わりなんて、たいしたことはな かったです。

でも、産院では“超 高齢・超ハイリスク”といわれ、 どんな子どもが生まれてくるの か、不安は尽きませんでした」

そして2014年 2 月、白雪 さんは無事3164gの元気な 女の子を出産。

最後、帝王切開 になったものの、母子ともに本 当に健康なお産でした。

慌ただしく月日は流れ、今は 育児と仕事に追われる日々の白 雪さん。

約 10 年に及ぶ不妊治療 を継続できたのは、「私に寄り 添ってくれる先生がいたこと と、ルーティンワークのように なってしまう不妊治療のなか、 私の場合は仕事という“逃げ道” があったことで、前へ進ませて くれたんだと思います。

治療中 の方は、ぜひ一日も早い採卵を おすすめしたいです」。

fromドクター 治療を振り返って

「白雪さんの強い信念に応えたい」 励まし、励まされた不妊治療 

もともと決して早いとはいえない不妊治療のスタートだった白雪さ ん。

なかなか妊娠に至らなかったのは、やはり年齢による卵質不良、そ してだんだん大きくなった子宮筋腫にありました。

以前は全摘が普通と されていた子宮筋腫の手術ですが、今では不妊治療に向けてトライでき るように子宮を残すことがスタンダードとなっています。

白雪さんの場 合、当時45歳という年齢だったこと、そこで生じるタイムロスを考え ると相当手術を迷いましたが、彼女の諦めない姿勢に、より良い方向を 目指して手術を勧めました。

それが最良の結果になり、白雪さんにとっ て価値ある治療であったことを嬉しく思っています。

当クリニックで はさまざまな年齢、体のトラブルを抱えて不妊治療に臨む方が数多くい らっしゃいますが、患者さんの「赤ちゃんが欲しい」という希望がつい えない限り、何とか治療をサポートしていきたい、そう考えています。

保坂 猛 先生 聖マリアンナ医科大学卒業。大田原赤十字病院 勤務。聖マリアンナ医科大学産婦人科医長、聖マ リアンナ医科大学産婦人科非常勤講師。ファティ リティクリニック東京勤務を経て、2011 年三軒茶 屋ウィメンズクリニックを開院。最近、若い頃はなか なかできなかった名所めぐり、美術館めぐりをするの が休日の楽しみだそう。
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全記事、不妊治療専門医による医師監修

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