あえて仕事をセーブしないで不妊治療

経験して不妊治療のイメージがガラッと変わった!

あえて仕事をセーブしないで不妊治療。

つらいこともたくさんあったけれど、 自分らしくトライできてよかったです。

まつげエクステサロン「MANHATTAN」を経営する 目元プロデューサー垣内綾子さん。

最初は不妊治療に対し、ネガティブな印象しかなかったそうですが、 実際に経験し、お子さんを出産してからは 本当にやってよかったと実感しています。

支給年齢40歳と言われ 人工授精を開始

国内・海外で 8 店舗のまつ げエクステサロン「MANH ATTAN」を経営する目元 プロデューサー・垣内綾子さ ん( 37 歳)。その優れた技術と 施術への真摯な姿勢が評判を 呼び、多くの芸能人やモデル から支持されています。第一 線で活躍する垣内さんも実は 不妊治療の経験者です。

「ビジネスとは違い、不妊治 療はどれだけ頑張ったからと いって成果が必ず出るわけで はありません。そこが一番つらかったですね」

ご主人も垣内さんも子ども が大好きで早く子どもが欲し いと思い、結婚前から子づく りにトライしていました。

「できれば自然に産みたい」と いう思いもあり、結婚後もタ イミングをとり続けましたが、 なかなかうまくいきませんで した。だからといって次の段 階に踏み切る勇気もなかった のですが、産婦人科で検査を 受けたのをきっかけに人工授 精を開始しました。

「特に検査結果に問題はなかっ たのですが、当時私は 35 歳だっ たのに、先生に子宮年齢が 40歳と言われたんです。これは 急がないとまずいなと。同時 に、子どもができない原因は 自分にあるんだと内心、自分 を責めていました」

転院した病院では1 回の体外受精で妊娠!

人工授精を 4 回行いました が、うまくいきませんでした。 その後、体外受精にステップ アップしたものの、移植して も、卵が着床しませんでした。 「先生に他の病院へ行けば、培 養液なども変わり、可能性も 広がると思うからと転院をす子宮年齢 40 歳と言われ 人工授精を開始すめられ、そうしました」

転院先で着床障害があるか もしれないということで詳し い検査をするとなりましたが、 よく話を聞いていくとそれ 以前に受精卵のグレードをよ いものを選別して戻していな かったことが判明しました。

「受精卵のグレードが重要なん だと知ってショックでした。前 の病院ではそんなことを聞いた ことがなかったので。もっと早 くに転院すればよかったなと ちょっと後悔しました」

少しくらい体がつらくても肌 が荒れてもいい、とにかく一番 確率が高くなる方法でトライしたいと先生に申し出て、やや強 めの排卵誘発剤を多く打つこと に。すると 10 個以上の質のよい 卵が採れたので、半分ずつ体外 受精と顕微授精を行い、その中 のグレードのよい胚盤胞を移 植。するとうまく着床して、よ うやく妊娠にこぎつけました。

「実は病院へ行く数日前に、妊 娠検査薬でチェックしちゃっ たんです。陽性が出たので思 わず震えましたね。ただ、確 かな結果ではないので、病院 で結果を聞くまでは主人に話 しませんでした」

ご主人はもちろん、妊娠を喜 んでくれましたが、それ以上に 垣内さんが、不妊治療の苦しみ から解放されたことを我が事の ように喜んでくれました。それが何より嬉しかったといいます。

ダメだった日の帰り 勝手に涙があふれてきて

垣内さんが最もつらかった のは治療を始めた当初だった と振り返ります。なかなか結 果が出ないこともあり、悶々 とした日々が続きました。

「ホルモン剤によって精神的に も不安定になり、また、体に アレルギー反応が出たりしな がらも、期待して病院へ向かっ たのに、『今回もダメでした』 と結果を聞いた日は、本当に 何もやりたくなくて、誰にも 会いたくなくて。電車に乗っ ていても勝手に涙があふれて 止まりませんでした」

今まで我慢していたことが 全部ムダになってしまった、 こんなに頑張っているのにな ぜ自分には子どもができない のだろうと気持ちも落ち込む ばかりで、仕事も次第に中途 半端になっていきました。

そんななか、休日に買い物 に出かけた時、大きな鏡に映っ た自分の姿を見て垣内さんは 驚きます。「ノーメイクで髪も ボサボサ。なんて暗い顔をして いるんだろう」と。このままで はまずい、どんどん自分らしさ がなくなってしまうと思った垣 内さんはそれ以降、不妊治療一 辺倒の生活ではなく、もっと自 分が楽しめることを積極的にし ていくことにしました。

「私は何より仕事が好きなんで す。それなのに、仕事をやって いるから子どもができないのか な、などと考えてセーブしよう としていました。そうではなく、 自分の好きなことは全部やる。 いつもの自分のスタイルを貫く ことにしたのです。実際、仕事 をしているほうが、採卵がうま くいかなくても前ほどは落ち込 まなくてすみました」

また、ご主人も大きな存在で した。不妊治療で悩んだり、時 に落ち込んでいる垣内さんを、 そばで支えてくれました。

「ある時、僕は子どもが欲しく て結婚したんじゃない、あな たと一緒にいたいから結婚し たんだからねって。一気に気持ちも楽になりました」

ご主人はもともと協力的で 診察にもたいてい付き添い、 積極的に検査も受け、診察で も先生に気になることをどん どん質問してくれました。

「私も不妊治療の1から 10 まで 全部主人に話し、排卵誘発剤 の注射や、ホルモン剤の貼付 なども一緒にやってもらいま した。だから、注射を打つ時 の痛さとかも彼はわかってく れているんです。そこはあり がたかったですね」

子どもが大きくなったら 受精卵の写真を見せたい

妊娠してからも仕事を続けた 垣内さん。不妊治療中に出版が 決まった書籍『人生が動き出 す!   ナチュラルデカ目の作り 方』(ワニブックス)の撮影や 原稿作成が、通常の業務にプラ スされたことでより忙しくなり ました。

「つわりがひどい時もあった し、何度か切迫早産しかけたし、33 週目には胃腸炎で緊急入院 も。生まれてくるまでいろいろ 怖さはありましたが、でも、あ とはもう神様が決めてくれるん だからと思って、悔いのないよ う日々を過ごしました」

35 週の健診で体重が2000 グラム以上あったので、飛行機 に乗っても大丈夫と先生から許 可をもらい、そのまま出産する子どもが大きくなったら 受精卵の写真を見せたい土地へ移動しました。到着して3 日後に破水し、 36 週目に早産。

「陣痛促進剤を入れるたびに赤 ちゃんの心拍が下がったので、 最終的には帝王切開に。破水後18 時間で生まれました。その間 に主人が到着し、何とか生まれ る瞬間に立ち会ってくれまし た。泣き声を聞いた瞬間の感動 は忘れられないですね」

生まれた子どもは今、 3 カ 月を過ぎたところ。すくすく 順調に育っています。「子ど もは居てくれるだけで本当に たくさんの幸せをくれるんだ なって実感しています」と幸 せオーラ全開で話す垣内さん。

「体外受精、顕微授精で子ども を産むことに後ろめたさを感じ る人もいると思います。私もそ うだったから気持ちはよくわか る。でも、できてしまえば自然 妊娠の子どもと何ら変わりませ ん。普通に育ちます。むしろ受 精卵の写真を見せてあげられる など、自然妊娠では体験できな いことをさせてあげることがで きます。子どもは神様からの授 かりものですが、衰えていく卵 子は取り戻せません。ステップ アップに悩んでいるのであれ ば、ぜひ一歩を踏み出してほし いですね」

不妊治療にさえ、自分らしさ を求めて実践した垣内さんの生 き方はとても新鮮。今後は仕事、 育児において自分スタイルを貫 いていくとのことです。

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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