まさか自分が「不妊症」!?
気軽な気持ちで受けた検査で、 思いもよらないAMHの低い数値。
「すぐできる」という思いで 治療を始めました。
30 代で結婚し、自然に妊娠できればいい、 そう考えていたジュンコさんとヒサノリさんご夫婦。
治療への前向きな思いを抱きながらも 数度の流産と闘ってきた二人の物語を 2回に分けてお伝えします。
自分に治療が必要だなんて 思ってもみなかった
二人が結婚したのは6年前。
看護師として働いていたジュ ンコさん( 40 歳)は、興味があっ て通っていた心理学の講座で 4歳年下のご主人、ヒサノリ さん( 36 歳)と出会いました。
当時は、お互いにお付き合い している相手がいたため、最 初は仲のいい異性の友人同士、 半年後に恋人同士として付き 合うようになったといいます。
「私はもともと1~2年は じっくり付き合わないと結婚 は考えられないタイプ。
でも、彼と一緒にいるうちにこの人 ならどんなことがあっても大 丈夫、という気持ちになれて …。
最初は年下だからと反対 していた両親も、彼の落ち着 いた雰囲気と、結婚を前提に と挨拶してくれたことで安心 したみたいでした」
正式にお付き合いをしてから 10 カ月後には入籍。
ジュン コさんが 34 歳、ご主人は 30 歳 でした。
結婚した当初は、すぐに子 どもがほしいとは思っていな かったといいます。
「恋人期間 が短かったので、正直、1~ 2年は二人の時間を楽しみたいと思っていました。
でも、 彼はもともと子ども好きな人。
自然にできるならそれでもい いと考えていましたし、いつ でもできるだろうとも思って いました」
ところが、3年ほど過ぎて も子どもができる気配はいっ こうにありません。
当時、 36 歳になっていたジュンコさん も一度、体のことをきちんと 調べたほうがいいのかなと思 い始めました。
ちょうど自宅 から歩いていける距離に不妊 治療専門のクリニックもあっ たため、気軽な気持ちで検査 へ。
「その時点でもまだ、自分に治療が必要だとは思ってい なかったのです」
確実な方法を選択したいから 迷いなくステップアップへ
しかし、検査の結果はAMH0.5ng/ml と低い数値。
ただ、 卵管や卵巣には問題なく、精 子の所見も正常範囲でした。
「卵の数が少ないから治療が必 要だとは言われましたが、特 に心配はしていませんでした。
じゃあ、治療すればすぐにで きるのだろう」と。
あくまで も楽観的な気持ちで、治療を スタートしたといいます。
ところが、3回のタイミン グ療法の後、人工授精にステッ プアップするも思うような結 果は出ませんでした。
FSH とHMGの注射でスタートし た人工授精は、刺激を強くしても採卵数に変わりはないだ ろうからと、すぐにクロミフェ ン採卵の低刺激へと移行。
さらに、3回の人工授精の 間に一度は妊娠反応がありま したが、2カ月目に心音が聞 こえなくなり堕胎手術も受け ます。
「ショックでした。
でも、着 床はするんだ、着床障害はな いんだと前向きに考えるよう にしていました。
それに、年 齢のこともありましたし、子 どもをつくるなら早いほうが いいと思って、とにかく確実 な方法でいこうという気持ち が強かったですね。
お金のこ とも、私も働いているし、何 とかなるでしょうと思ってま した」。
ヒサノリさんも同じ気 持ちだったといいます。
そして、躊躇することなく 体外受精へのステップアップを選択。
治療を始めて約1年 目のことでした。
体外受精後も続く流産。 前向きな心にも次第に影が
体外受精を始めて、それま でになく体のことを考えるよ うになったというジュンコさ ん。
「不妊治療をしていること は、治療を始めてすぐに職場 で公表していましたから、3 カ月間夜勤をなくしてもらっ たり、夜更かしをしない、体 を温めるなど生活のリズムを 整えるようになりました。
自 分の体の何が原因で赤ちゃん ができないのかがわからない 分、思いつくことは何でもやっ てみようと思っていました」
しかし、そんな気持ちを挫く ように、体外受精後初の移植で も妊娠反応が出るものの、すぐ確実な方法を選択したいから 迷いなくステップアップへに心音が止まってしまい、2回 目の堕胎手術を受けることに。
「堕胎手術のあとは、すぐに 涙が出てくるわけではなくて、 しばらくたって家にいる時と かにふと泣けてくるんです」。
そんな時は、気が済むまで泣 いたり、ヒサノリさんと話を することで、気持ちを切り替 えていたというジュンコさん。
それでもたまらない時は、ヒ サノリさんに思いのたけをぶ つけることもありました。
「一度、主人に『お腹の中に いたはずの子どもがすぐにい なくなってしまう。
妊娠とか 堕胎という体の中の違和感が あなたにわかるの?』って聞 いたこともあるんです」
そんな時、ヒサノリさんは「子 どもができてもすぐ流れてしま うことは、もちろん僕も悲しい です。
でも、一番つらいのはやっぱり彼女。
自分が大騒ぎしたら、 余計に彼女の負担になる。
だか ら、できるだけ普段通りにそば にいて、平常心で彼女の話を聞 くことを心がけていました」と いう。
ジュンコさんも「今思えば、 そんな彼の気持ちに支えられて いたからこそ、落ち込むことは あっても前向きに治療を続けて こられました」といいます。
思うように結果が出なくと も、自分の体に果敢に向き合い、 治療に挑むジュンコさん。
そ して、その気持ちに寄り添って 支えるヒサノリさん。
しかし、当時、そんな二人に は周囲の言葉も追い討ちになり つつありました。
「親とか周り の人が心配してくれるのはあり がたいのですが、その心配を言 葉にされることもつらくなって いましたね。
なぜできないのか とか、体外受精ではなく自然に はできないのかとか…。
もうで きた?
ってお腹に触ってくる 人もいて、単純に様子を聞きた かっただけなんでしょうけれ ど、自分の心配で精一杯で、周 囲の心配まで抱え込めなかった ですね」とジュンコさん。
その後も採卵、移植を重ねる も結果が出ず、前向きだった ジュンコさんの心にも次第に影 が射すようになっていきます。 (後編に続く)