娘をお姉ちゃんにしてあげたい。
台湾での卵子提供を決断し 諦めずにやり遂げたのは、 家族の支えがあったからこそ。
長女を出産後、月経がストップ!
治療や年齢に対する不安を乗り越えて、 台湾での卵子提供を選んだ順子さんと 温かく見守ってくれた家族の物語。
年齢的な焦りを正直に伝えて、結婚へ
玄関を開けて、出迎えてくれた順子さん( 44 歳)。その手に抱かれた心希くんが、すやすやと気持ち良さそうに眠っています。
心輝くんも暁彦さん( 36 歳) に見守られながらベビーベッドでお昼寝中。その傍らで元気にはしゃぐのは長女の楓ちゃん(4歳)。今年2月、双子の男の子が生まれ、賑やかで幸せな5人家族の生活が始まりました。
友人の紹介で順子さんと暁彦さんが出会ったのは7年前。順子さんは 37歳でした。「自分の年齢に焦りもあって、私はすぐにでも結婚したかったんです」と順子さん。ストレートな気持ちを暁彦さんに伝え、二人は出会ってから1年後にゴールインしました。
すぐにでも子どもが欲しいと望んでいた順子さんでしたが、妊娠反応が出るも流産を2回繰り返します。「あれ? おかしいのかな?」という不安が頭をよぎるものの、3度目に長女の楓ちゃんを自然妊娠で無事に出産。この時はまだ、自分が不妊治療をするとは想像もしていなかった、と順子さんは振り返ります。
娘から言われた言葉が、 治療を始めるきっかけに
楓ちゃんを出産したのは順子さんが 40歳の時。願いが叶い、親子3人の生活を楽しく過ごしていましたが、ある日、楓ちゃんからこんな言葉を告げられます。
「どうして、うちには赤ちゃんが来ないの? 楓はお姉ちゃんになりたいのに……」
仲良しの友達には弟や妹がいて、自分だけ一人。何度か質問されるうちに、「楓の思いを叶えてあげたい!」と、強く思うようになったのです。
しかし、順子さんには不安要素がありました。実は、楓ちゃんを出産してからずっと、無月経が続いていたのです。過去をさかのぼると、10 代の頃に1カ月で 10kg も体重を落とすという無理なダイエットをして半年ほど月経が止まったこともありました。そして、長年の生理不順も。これで2人目を望むことはできるのかと、楓ちゃんを出産した産婦人科の医師に相談し、順子さんにとって初めての不妊治療がスタートしました。
まずは投薬治療で月経を再開させ、タイミング療法を試みますが、結果が出なかったことから、次のステップとして人工授精に挑戦。2回行っていずれも着床せず、1年弱の治療の間、心身に相当なストレスを抱え込むことになります。
医師からは「もう少し頑張ってみたら」と励まされましたが、不妊専門の施設ではなかったため、できるのは人工授精まで。時間がなく、結果も出ない。日々、落ち込んでいく順子さんを励ます意味を込めて、「楓がいるんだから、2人目はいらないよ」と暁彦さんは何度も伝えました。しかし、順子さんの気持ちは変わりません。
「楓のために。ただそれだけでした」
この現状を何とかしようと、インターネットで不妊治療専門の病院を検索。そして、口コミでの評判が良く、実績もある、しかも県内にあって通いやすい、という理由から、「セントマザー産婦人科医院」への通院 を決めました。
有名な病院だし、 気分転換も兼ねて行こう
紹介状を携えて初めての通院日。第一印象は「ものすごく患者さんが多い病院」で、不妊に悩んでいる人がこんなにも多いのかと驚いたそうです。2人目不妊のため、初診では、本当に治療を受けるのか、と何度も念を押されましたが、暁彦さんを説得して、ここまでたどり着いた順子さんは治療を希望。ひと通りの必要な検査を受け、すぐに体外受精を試みました。
「人工授精はすでに経験済み。 時間的な余裕もないし、確率の高い体外受精を受けたい!と先生にお願いしたんです」
1回目の体外受精では、着床して4週目で化学流産。3カ月間、子宮を休ませてから2回目にトライしたものの妊娠に至らず。何となく、自分の卵子では無理なのかもしれないと感じ、次を最後にしようと決めた3回目では採卵自体ができません。急遽、人工授精で対応しましたが、やはり結果は出せない。「自分の卵では完全に無理だ」と、順子さんは確信します。
自分の卵子を諦めて、 台湾での卵子提供を
40歳を過ぎて始めた不妊治療。雑誌やインターネットでさまざまな情報を調べていた順子さんは、卵子提供という言葉を目にしていました。
「自分の卵子で望めない場合、何か方法はないのかなと思って調べていたんです。若い女性の卵子を提供してもらうという方法は自分に合っているかもしれないと感じました」
現段階の日本では卵子提供に関する法律が整備されていないこと、不妊の原因が年齢に起因するため、国内で定められたガイドライン上では卵子提供そのものを受けられないこと、そして、日本ではできないけれど海外では可能だということなど、院長の田中先生から丁寧に、わかりやすく説明を受けた順子さん。
さらに、具体的な情報として、台湾とアメリカを紹介。アメリカでは費用が最低でも 500万円はかかりますが、台湾では200万円前後で治療を受けられることを知り、田中先生が推奨する台湾で卵子提供を受けたいという思いが徐々に固まっていきます。
対照的に、暁彦さんは複雑な思いを募らせていました。
「どうしても楓をお姉ちゃんにしたいという気持ちが強いことはわかった。でも、それと他人の卵子を使うというのは話が別だと思ったんです」
3回目の体外受精を最後にするはずが、まったく予想もしていなかった卵子提供という選択肢。突然、「一緒に台湾に行ってほしい」と告げられた時は、ただただ驚くばかりだったと暁彦さんは言います。
順子さんにとっても、葛藤はありました。まったく知らない外国で治療することへの不安、子どもを“つくる”という感覚もよぎります。
「でも、子どもが欲しいという気持ちに変わりはなかった。主人には時間をかけて何度もお願いをして、最終的には折れてくれたんだと思います。それだけ私も必死でしたから」
他人の卵子で家族を増やすことの意味、海外で治療を受けることへの不安、夫婦お互いの温度差がなくなるまで話し合い、決断した台湾での卵子提供。
いよいよ順子さんの最後の挑戦が始まりました。