週末通院、早朝採卵で仕事を続けながら治療 原因不明の不妊に悩んだ日々。
5 年間治療を続け、最後と決めた9 回目の移植で妊娠できました。
大手通信会社の正社員として ハードな仕事をこなしていたミカさん。
早くから職場で治療のことをオープンにし 周囲の理解を得ながら治療を続けてきました。
受精までは順調なのに 移植しても妊娠しない。
ミカさんは、結婚 3年目の35歳の時、生理痛がひどくなったのを機に市大病院の婦人科を受診し、卵巣に皮様嚢腫があると診断されました。嚢腫自体は良性だったので経過観察になりましたが、「赤ちゃんが欲しいなら不妊治療を始めたほうがいい」と医師にすすめられました。
そこで ひと通り検査を受け、特に問題は見つからなかったのでタイミング療法を始めることに。しかしミカさんは正社員として働いているため、平日しか診察を行っていない市大病院には定期的に通うことができませんでした。そうしているうちに、不妊治療で子どもを授かった親戚から別のクリニックをすすめられ、転院することにしたのです。
新しいクリニックで初めて受けた子宮鏡検査で子宮ポリープが見つかり、妊娠の妨げになる可能性があるということで切除しました。その後、タイミング療法と人工授精を組み合わせながら半年くらい様子を見ました。しかしその間、一度も陽性反応が出ることはなく、医師から体外受精 をすすめられました。
「市大病院でも、双角子宮だから妊娠しにくい可能性があると言われていたので、ステップアップには抵抗ありませんでした。夫も最初から協力的で、賛成してくれました」
診察には会社が休みの週末に通い、最初の1~2回は完全自然周期で採卵。その後、排卵刺激をした時も自宅での自己注射にしてもらいました。お腹に打つ注射はとても痛かったけれど、休まず出勤するために頑張りました。採卵日は、早朝にクリニックに行って採卵し、そのまま出社というハードスケジュールをこなしていました。
採卵ではいつも1~2個良好な卵子が採れて、受精までは順調に行くことが多かったそうです。しかし最初の 1 年間で行った3回の移植ではまったく着床しませんでした。
「人工授精までは気楽に治療していたのですが、体外受精に入ってからはお金も時間もかける分、深刻になっていました。だから着床しなかったと聞いた時は本当にがっくり。病院で泣いて、眼鏡で腫れた目を隠して出社して、家に帰ってからもずっと泣いていました」
医師からは「受精卵のグレードも良かったし、双角子宮もそれほど影響があるとは思わない。特に原因が見当たらない」と言われました。なぜ自分は赤ちゃんができないんだろう…。そんな焦りと悲しみが混ざった気持ちが出てきたのはその頃でした。そんな時、ご主人は何も言わず寄り添ってくれました。二人で温泉旅行に出かけたりして気分転換をはかり、また前を向いて治療を続けていました。
残念な結果が続き、 過呼吸を起こして…
翌年、お腹の中の環境を変えれば妊娠しやすくなるかもしれないと、卵巣の皮様嚢腫を腹腔鏡で切除しました。手術後4カ月休んだあと、4回目の移植をすると、初めての陽性反応が。大喜びしたものの、 1 週間後に化学流産となってしまいました。5回目も6回目もまったく同じで、陽性反応が出るのに、2次判定では数値が下がっていました。
「6回目が一番つらかった。診察室で結果を聞いた時、過呼吸で息ができなくなってしまったんです。回数を重ねるごとに、だんだん気持ちの落ち込みが深くなっていたのだと思います」
息苦しそうなミカさんを、看護師長が別の部屋に連れて行ってくれました。そして「気持ちはすごくわかるけど、まだ諦めたほうがいいという状況ではないと思う」と言ってくれました。それでもミカさんにはもうやめたいという気持ちがあったそうです。このまま続けていたら、自分のメンタルがダメになってしまうのではないか…と。しかしご主人には「もう少し続けないか」と言われました。
「はっきりとは言わなかったけれど、やはり主人は子どもがとても欲しかったのだと思 います。私はお金をつぎ込んでも実りがないからやめようと思っていたのですが、主人は『金銭的に続けられないわけじゃない。できるところまでやってみてもいいんじゃな いか』と。それでもう少し頑張ろうと思ったのです」
できることをすべてやり 最後の移植に臨んで
着床はするけれど持続しないということが 3回続いたの で、不育症の検査を受けてみることになりました。するとわずかにプロテインSの値が低いことがわかり、次からヘパリンを使ってみようということになりました。また、ミカさんは営業職として外回りの仕事をしていたのですが、それがマイナスになっているのかもしれないと思い、内勤の仕事に異動させてもらいました。新しい部署は子どもがいる人も多く休みが取りやすい環境でもありました。
気分的にリフレッシュできて、新たな気持ちで治療に臨んだものの、 7 回目、 8 回目の移植はまた着床すらしない状態に戻ってしまったのです。「できることはやっているの に、後戻りしてしまった…」
とてもショックで、結果を聞くたびに涙があふれました。移植回数が増えると妊娠率は頭打ちになることはわかっていました。このクリニックでの治療は次の移植で最後にすると決めました。「完全に不妊治療をやめる前に、病院を変えるのも一つの選択肢かなと思ったんです」
医師にもそのことを伝えました。これまで試してきた良いと思われることを、最後の回ではすべてやることにしました。ヒアルロン酸入りの培養液を使い、ヘパリンを打ち、そして移植前に、初めての試みでリンパ球移植を行いました。そして本当にこれで最後と決めた 9 回目の移植に臨みました。
移植が終わったあと、今までの治療への感謝の気持ちを込めて、スケジュール帳のこの日の欄に「ありがとうございました」と記入しました。そして心から願いを込めて「叶いますように」と書き入れました。
1 次判定の日の朝。テレビをつけると、ミカさんの大好きな曲が流れていて、ラッキーな予感がしました。すると、久しぶりの陽性反応が出たのです。
家で待っていたご主人に電話で報告すると、ご主人もとても喜び、シチューを作って家の前で出 えてくれました。
さらに 1 週間後の 2 次判定の日。願かけで 1 次判定の日にかかっていた好きな曲を聞いてから家を出ました。祈るような気持ちで診察室に入ると、待っていた医師から「おめでとうございます」という言葉が…。
「言葉にならないくらい嬉しかったです。先生も自分のことのように喜んでくださって。スケジュール帳のこの日の欄に『感謝!感謝!』と書いています」
2013年4月、ミカさんは不妊治療を受けたクリニックの産婦人科で元気な男の子を出産。1 年後には保育園に子どもをあずけ、時間短縮勤務で仕事に復帰し、今も頑張っています。
「仕事と子育ての両立は大変ですが、子どもの顔を見ると疲れが吹き飛びます。そうして幸せだなと思う時に、治療のことを思い出しますね。苦労して毎晩泣いていた日々があったなと。職場や保育園のママ友には治療のことをオープンに話しています。少しでもこれから治療をする人や治療中の人の励みになればと思っています」