病気を抱えながらの不妊症と不育治療
ことり mama* さんとご主人のオット君は、 結婚以来 19 年間、不妊治療と不育治療を続けています。
10 代の頃からの月経困難症、男性不妊、膠原病、 そして、つらい流産と死産……
さまざまな想いを抱えながらも 前を向いて歩き続ける二人の物語。
今回から 4 回連載でお届けします。
すぐにでも子どもが欲しい。 結婚後から治療スタート
一つひとつ言葉を選びながら、こ れまでの体験や思いを明るい表情で 語ることり mama* さん。
隣で微笑み ながら、ことり mama* さんが言葉に 詰まるとさりげなく助け舟を出す、 ご主人のオット君。
二人は、結婚以 来 19 年間、不妊治療と不育治療を続 けています。
二人の出会いは 22 年前。
オット君 が勤務していた会社にアルバイトと してやって来たのが、当時学生だっ たことり mama* さんでした。
自然に 交際がスタートし、ことり mama* さ んの卒業後、しばらくしてから結婚。
「私はもともと結婚や家庭への憧れ が強く、子どもはすぐにでも欲しい と思っていました。ただ、 10 代の頃 から重い月経困難症で……。中学時 代に貧血で倒れて病院に運ばれた時 の検査で、自分は子どもができにく い体質だということがわかっていた んです。そこで、結婚後、すぐに不妊治療を始めました」(ことり mama*さん)
20 代と若かったため、タイミング 療法からスタート。
当時は二人とも 不妊への焦りはなかったようです。
「彼女が治療のために病院に通い始 めた頃、僕は不妊について、あまり 深く考えていませんでした。そのう ちできるだろうという感覚でしたね」 (オット君)
しかし思うようには妊娠に至らず、 さらに、ことり mama* さんは結婚後 の環境の変化で体調をくずしてしま ったのです。
「二人とも北海道出身・在住なので すが、私が生まれ育った町は、北海道のなかでも比較的おだやかな気候 でした。でも結婚して最初に住んだ 町は、冬の寒さが厳しくて。雪かき を1日に何度もしているうちに体を 冷やしてしまったのがいけなかった のでしょうね。そして、翌年の夏は 猛暑。汗がかけない体質なので、熱 中症になって血圧が200まで上が ったり、胃から出血したりしてしま って」(ことり mama* さん)
日常生活を送るのもつらいほど弱ってしまったことり mama* さん。
このままではいけないと、オット君はこ とり mama* さんが生まれ育った町へ の転居と、転職を決意したのです。
男性不妊と 膠原病が発覚して……
引っ越しを機に、二人は本格的な不妊治療をスタートさせることに。
体にさまざまな不調を抱えることり mama* さんは詳しい検査を、オット 君も精液検査を受けました。
もともと、不妊治療には協力的だっ たというオット君ですが、精液検査を 受けることに抵抗は感じなかったの でしょうか。
そんな質問に、オット君 はさらりと答えます。
「検査を嫌がる方も多いようですが、 僕は気になりませんでした。
結婚以来、 子どもが欲しいという希望は、彼女に とって本当に大きくて大切なことだ というのが伝わってきていましたし、 頑張っている姿もそばで見ています。
もしも不妊の原因が自分にあったら、 彼女がいくら頑張ったところで無駄 になってしまいますから」
しかし、一緒に頑張ろう、そんな 気持ちを固めていた二人にとって、 検査結果は喜ばしいものではありま せんでした。
オット君が精子の数が 少ない男性不妊であることがわかっ たのです。
また、ことり mama* さんには膠原病の疑いがあり、検査の結果、抗リ ン脂質抗体症候群や橋本病などの自己免疫疾患があることが判明。
これ らの病気は不妊症や不育症の要因になるともいわれています。
「タイミング療法では2年間妊娠し なかったこと、私にも夫にも不妊要 因があることから、新しい病院では 早い時期から人工授精に進み、4回 行いました。本当は早く体外受精に ステップアップしたいという気持ち があったのですが、そこは設備がな く、人工授精までの治療だったので」
その後、二人の主治医が独立し、 体外受精のできるクリニックを開業。
ことり mama* さんとオット君は、そ れをきっかけに転院し、体外受精へ進むことになりました。
体外受精で妊娠しても 流産をくり返してしまう 不育症のつらさ
転院先で治療を始めたことり mama* さんとオット君は体外受精でついに 妊娠。
しかし、連続で流産してしま います。
「流産は9回経験しました。
私の場 合、やっと妊娠できても、自己免疫 疾患があるため、自分の持っている 抗体が胎芽を異物として認識して攻 撃し、流産してしまう。
不育症なん ですね……」(ことり mama* さん)
不育症とわかってからは、妊娠後 には流産の怖さと闘わなければなら ないのです。
「妊娠したら赤ちゃんは生まれてく るもの、というのが普通の感覚だと 思います。でも不育症の場合、妊娠 はゴールではなく、スタート。私の 場合ですが、妊娠したらそこからど う頑張れるか、そして不安と恐怖に産まれるまで耐え続け、うち勝つこ とができるかだと思っています」(こ とり mama* さん)
妊娠がわかるたびに、ことり mama* さんは一切の家事をやめ、ト イレ以外は起きない絶対安静の日々 を送ります。
そして、持病の抗リン 脂質抗体症候群の症状の1つ、血液 が固まりやすくなるのを防ぐため、 毎日、朝晩のヘパリンの自己注射とアスピリンの服用を続けます。
胎盤 への細い血管に血液が通るようにす ることで、赤ちゃんに栄養と酸素を送り、妊娠を継続させる治療方法で す。
「体質なのか、注射したところが内 出血してあざになるんです。お腹と か太ももとか、洋服で隠れる場所に 打つのですが、もう、あざがない場所はないくらいです。でも、赤ちゃ んの命をつなぐ方法はそれだけですから、痛くても、あざになっても続 けるしかないのです」
しかし、流産はくり返されました。
排卵誘発剤の注射の副作用に耐え、 採卵、体外受精を行い、やっとの思 いで妊娠しても流産してしまう。
身を切られるような思いです。
今は、前よりは気持ちの切り替え ができるようになったけれど、以前 は流産直後に病院に行くこと、人と 会うことがつらかったと、静かに話 すことり mama* さん。
「病院で、同じくらいの時期に妊娠 した人のお腹が大きくなっていくの を見るのはせつなかったです。誰に も会えなくなって、引きこもった時 期もありました。相手に気を遣わせたくなくて『だ いじょうぶよ!』なんて無理にテン ションを上げてしまうのですが、一 人になった時に、どっと疲れてしま うんです。実際の気持ちは、だいじ ょうぶじゃないので……」
悲しい体験をいくつも乗り越えな がらも、二人は治療を続けていきま す。(つづく)