未来のトビラ第二回

支え合いながら、未来を信じて前へ

結婚以来19年間、不妊治療と不育治療を続ける ことりmamaさんとご主人のオット君。

体力的にも精神的にもつらいことが多い治療に 諦めかけたこともありましたが、お互いを思いやる気持ちと 担当医のサポートで、二人は前に進み続けていきます。

夫の理解と協力が 長期間の治療の支えに

排卵誘発剤の副作用や採卵の痛み に耐え、妊娠後は流産を防ぐために ヘパリンの自己注射とアスピリンを 服用して絶対安静。

19 年間という長 い間、不妊治療、不育治療をしてい ることり mamaさんには、体力的に も精神的にも、つらいことや我慢の 必要なことを乗り越えていく日々が 現在も続いています。

これほど長い期間、治療を諦める ことなく続けてこられたのはなぜな のでしょう。

その問いに、ことり mamaさんは「一緒に頑張ろうとい う気持ちを、二人とも持っているか ら。

そして、私がつらい時、夫が家 事などの具体的なサポートをしてく れることも大きいです」と明るく答 えます。

たとえば、排卵誘発剤の副作用が、 私の場合はとても強く出るんです。

動悸やめまい、吐き気が一週間毎日 続きます。

そんな時期は、洗濯をす るのもつらいんです。

干す動作でめ まいがしたり……。

以前は泣きながらやっていましたが、最近は彼が洗 濯担当になってくれています」

その他の家事も積極的にしてくれ るというオット君ですが、治療を始 めた頃は、ここまで協力的ではなか ったとか。

「彼女が治療を頑張っているのはわ かっていましたが、僕も最初のうち は、その大変さを全部は理解してい なかったんです。

『奥さんなんだから 家事くらいやって当たり前でしょ?』

なんて思っていた部分もあったし、

『どうしてオレがやらなくちゃいけな いの?』と思っていた時期もありま した」(オット君)

それが変わったのは、ことり mamaさんが、心の内をすべて話し てくれるようになったことがきっか けでした。

自分一人で我慢して、『こんなに頑 張っているのに、わかってくれな い!』と気持ちを爆発させるよりも、 治療内容や副作用について細かなこ とまですべて話すことで、自分の状 態をわかってもらうほうがいいと思 って」(ことり mama* さん)

ことり mama* さんが、今どんな治療でどんな薬を使っているのか、医師 とはどんな話をしたのか、自分はどん な精神状態なのかを、細かに伝えたの だそう。

「つらい時にはつらいと言ってくれ たし、どうしてもらえたらラクなのか を素直に話してくれたので、僕も変わ れたんです。

彼女のつらさと頑張って いる気持ちが伝わったので、それなら 家事は僕がやろうと思えました。

彼女 が話してくれていなかったら、ここま で協力的ではなかったかもしれませ ん」(オット君)

顕微授精を見送った後 予想外の妊娠陽性

ことり mama* さんにとって、不妊 治療と不育治療は時間との闘いでも あります。

「一般的にはまだ治療を頑張れる年 齢だと思うんです。

でも、私の場合は 持病があるため、実年齢よりも3〜4 歳上の気持ちで治療に臨んでいます。

ですから、そろそろ妊娠・出産できる かどうかの最終段階に来ていると思 っています」

そんなことり mama* さんにとって妊娠に向けての周期は、毎回とても 貴重なものです。

2011年の夏。

排卵誘発剤を4 回自己注射し、診察を受けた時のこ とでした。

卵巣の反応が悪く卵膜も 硬いこと、顕微授精をしようにも卵 子の状態がよくないことから、今回 は見送ろうということに。

「長い間、不妊治療を続けてきたの で、体が悲鳴をあげているんだろう な。

少し休憩かな、と思いました」

ところがその後、夏の暑さで体調 を崩してしまいダウン。

生理も遅れ ていたため、「生理不順が進んでいる のかも」と落ち込みながら診察を受 けに行くと、なんと妊娠陽性が出た のです。

「最初は先生が何をおっしゃってい るのかわかりませんでした。

それく らい予想外でした」

思ってもみなかった妊娠でした。

しかし、ことり mama* さんの場合、 妊娠がわかったからといって安心は できません。

「それまで連続9回の流産をしてい ましたから、不安と恐怖で押しつぶ されそうでした。

でも、やるしかない。

今ここにある命を信じて、頑張るし かないと思いました。

10 回目の奇跡 が起こるかもしれないから」

ことり mama* さんは、すぐにヘパ リンの自己注射とアスピリンの服用 を開始。

ヘパリンは、赤ちゃんとこ とり mama* さんの命綱。

1日2回の 注射をし、自宅でできるかぎり絶対 安静に過ごす日々が始まりました。

絶対安静の日々…… そして、4カ月検診

妊娠陽性反応が出てから1週間後 には、クリニックで 10 ・7㎜の胎嚢 を確認。

「この段階でも、自分が妊婦になっ たんだという実感はまだありません でした。

自信がないのと、流産への 恐怖で、先のことを考えられないで いたんです」

ことり mama* さんには「安定期」 はありません。

妊娠が継続したとし ても、ヘパリンの注射を打ち続け、 アスピリン、ホルモン剤、漢方薬を 服用。

そして家事も一切できない、 徹底した絶対安静が出産まで続きま す。

妊娠した喜びを感じる余裕はな く、流産の不安と毎週の検診結果へ の恐怖に耐えながらの日々です。

「今の医療でできるすべてのことを させてもらいながら、お腹にいる『この命』を信じて、成長を祈ることし かないんです」

そして 10 月。

受診した4カ月検診で、ことり mama* さんは、赤ちゃん が元気に動いていることにほっとし ます。

ところが、「よかった」と安心した のも束の間、ことり mama* さんは、 先生の様子がいつもと違うことに気 が付きます。

「先生が何もおっしゃらずに、いつ もよりずっと長い時間をかけて、真 剣な顔で赤ちゃんを見ているんです ……。

ものすごく大きな不安が押し寄せてきました」

先生からことり mama* さんに告げ られたのは、赤ちゃんの頭と体にリ ンパ浮腫が見えること。

染色体異常 で、どんなに頑張ってもお腹の中で いずれ死んでしまうことでした。

「もしも、生まれてこられたとして も、母親の胎内から出た瞬間に死ん でしまうんだよ。残念だけど……」 と先生から告げられました。

赤ちゃんは元気に動いているのに、 生きようと頑張っているのに。

どん なことでもするから助けてほしい。

必死にそうくり返すことり mama* さ んに、先生が提案したのは、赤ちゃんが大きくなってもっと苦しくなる 前に産んであげることでした。

「赤ちゃん、楽にしてあげよう」

先生の言葉に、思わず腕にしがみ つき崩れ落ちたことり mama* さん。

先生は、ことり mama* さんが腕を離 すまで、ずっとそのままでいてくれ ました。

19 年間の不妊治療・不育治療のな かで一番つらい出来事だったと、ことり mama* さんは振り返ります。

心の準備もできないままに、お腹 の中で生きている赤ちゃんを諦めな ければならなくなったのです――。

(つづく)

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