【体験談】不妊治療は子どもができないからではなく自分が欲しいから選ぶ前向きな治療。

 

44歳の今なお新たな命を迎えたくて
不妊治療は子どもができないからではなく自分が欲しいから選ぶ前向きな治療。

春号の前編では3年半の治療の末、第一子を出産したところまでのストーリーをお伝えしました。そこからさらに治療し続け、かれこれ10 年。マリンさんがそこまで頑張る背景には、ある女性との出会いがありました。
<前編はこちら>

不妊治療のイメージが劇的に変わった出会い

軽い気持ちで産婦人科を受診し、「妊娠しづらい体」だと告げられたことから始まったマリンさん(44歳)の不妊治療。3年半の治療を経て体外受精で第一子を出産しました。
本来なら、そこで一区切りとなりそうですが、マリンさんは第二子の妊活をスタートさせます。「治療でも出産でもつらい思いをしました。でも、子どもが本当に可愛くて。当時36歳で、年齢的にも時間は限られている。あと1回だけ採卵しようと決めて産休育休中から治療を再開しました」 採卵は出産から1年6カ月後の2020年3月。アンタゴニスト法で誘発し、移植8回分を凍結。移植は失敗、化学流産を経て3回目で妊娠に至りました。
「1人目の時は気持ちが追い詰められていました。でも、今回は子どもがいること、そして治療の流れがわかっていることもあり、焦りはあっても、うつ状態にはなりませんでした」
第二子を出産後も第三子、そして現在は第四子の治療へ。ここまで不妊治療を続ける背景には、ある出会いがありました。第二子妊娠中、第一子の母親学級で知り合った女性との再会です。
「彼女は41歳で、1人目は自然妊娠でしたが、2人目は“最速で授かるために”最初から体外受精を選んだと話してくれました。その姿がとても前向きで。不妊だからする治療ではなく、“欲しいから選ぶ治療”という考え方に目からうろこが落ちました」
それまで後ろ向きなイメージだった不妊治療が、自ら選び取る医療へと変わった瞬間でした。以後、マリンさんは不妊治療に希望を見出すようになりました。

不妊治療10年。人生の一部として

妊娠・出産の期間以外、この10年はほぼ不妊治療と共に過ごしたマリンさん。「もう生活の一部であり、人生の一部ですね」。 その間に保険適用、自己注射の普及、治療の簡便化など不妊治療にまつわる環境もどんどん改善されていきました。
「ドラッグストアに排卵日がわかるおりものシートまで並ぶようになって驚きました。とはいえ、不妊治療が想像以上に大変なのも事実です。実際、私も検査や治療に時間がかかることに何度もイライラし、焦り、絶望的な気持ちにもなりました。時間がかかれば、費用も労力も増えますし」
それでも、マリンさんは治療を続けて良かったと言います。「治療をしなければ、わからなかったことがたくさんあります。自分らしく生きるためにはどうすればいいか、何がしたいのかを考えるきっかけにもなりました。何より義妹と本当の姉妹のように仲良くなれました。結婚当初から夫も交えて3人で夜中まで話したり、2人で旅行したり。第一子妊娠中に『マリンちゃんがすぐに妊娠していたらこんなに仲よくなれなかった』と言われた時、子どもに恵まれなくて遠回りに見えた時間も、決して無駄ではなかったと思えました」

44歳の今もまだ諦めたくなくて

第四子を目指して、治療を再開したのは2024年11月、42歳になっていました。12月に移植するも化学流産。翌年、移植の準備をしていたところ、習慣性扁桃炎と診断され、扁桃腺の摘出手術を優先させます。その直後の2月、43歳の誕生日を迎え、25年6月、8月と移植しますが、どちらもうまくいきませんでした。
焦るマリンさんと裏腹に夫ハジメさんは第四子の治療には一貫して消極的でした。3人の子育てで手一杯だったからです。
「ずっと協力的だった夫と気持ちがすれ違ってしまい、初めて不妊カウンセラーに相談しました。それでも解決には至らず私自身、ずっと不安を抱えていました。このままではマズイと思い、3回目の移植が陰性だったことが判明した夜、夫と4人目が生まれたら良いことと悪いこと(不安なこと)を書き出し、互いの気持ちを整理したんです。その結果、良いことのほうが二人とも多く、協力し合えば何とかなるだろうという結論に至りました」
そして11月、自費で最後の胚移植をするも、6週で流産し、凍結胚はゼロに。実は凍結胚がなくなったら治療は卒業するつもりでしたが、気持ちはすぐには整理できませんでした。
「スパッと諦めることができなくて、自然に任せて授かったらラッキーぐらいの感じでもいいかなと。そんな矢先、ジネコの“ステップダウン”の記事があったことを思い出しました。現在44歳になりましたが、完全に諦めなくてもいい、数パーセントでも可能性が残っているAIHにステップダウンしながら、ゆるやかに卒業していくのも一つの形かなと思うようになりました」
マリンさんがここまで続けられた背景には、互いを尊重し合う夫婦の関係があります。「彼女が自由に生きてくれるのが一番嬉しい」と語るハジメさん。
「何でも話せる彼がいたから頑張ることができたと思います。相手に嫌なことが嫌だと言えることこそが大事。その結果、直せるかどうかは別問題。そういう点で友だちのような夫婦で良かったなと思っています」
不妊治療は“できないから仕方なくするもの”ではなく、“自分がどう生きたいかを考えたうえで選択する医療”。マリンさんの10年はまさに選択し続けた時間そのもの。それぞれの家庭に、それぞれの形があるように、妊活もまた、その人の人生の一部なのだと教えてくれる歩みでした。
<前編はこちら>

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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