【体験談】妊活が人生と向き合うきっかけに。 貴重な経験だからリアルを配信し続けます。

 

数々の疾患を抱えながら不妊治療に挑む
妊活が人生と向き合うきっかけに。貴重な経験だからリアルを配信し続けます。

YouTubeチャンネル「たこさんうぃんなー」で不妊治療にまつわる出来事を発信しているたこさんうぃんなーさん。いくつか疾患を抱えていることもあり、なかなか結果が出ないなかでの心境を赤裸々に語ってくれました。

重い生理痛を機に受診し、チョコレート囊胞が発覚

自らの波瀾万丈な人生や単発バイトの体験、そして妊活での悲喜こもごもを包み隠さず届けているYouTuber「たこさんうぃんなー」さん(26歳・以下、たこさん)。チャンネル登録者数は1万人を超え、多くの人気を集めています。
「リアルにもがく姿に、人は心を動かされる。だから私は、人生すべてを発信しています」
たこさんがご主人・Hさん(31歳)と結婚したのは2022年。2年経った24年初め頃から「そろそろ子どもを」と自己流で妊活を始めました。しかし、思うように行きませんでした。そんななか、同年10月、立っていられないほどの激しい生理痛に襲われ、初めて産婦人科を受診します。
検査を受けると、左卵巣に3㎝のチョコレート囊胞が見つかりました。けれど、手術適応外の大きさだからと経過観察に。「1年後に来てください」と言われたものの、このまま何もしなければ妊娠できないのでは…と居ても立ってもいられなくなり、翌月、Hさんと共に不妊専門クリニックを訪ねました。
検査結果は想像以上に厳しいものでした。Hさんに問題がなかった一方で、たこさんはチョコレート囊胞が子宮内膜症の重度ステージ4のレベル、右卵管は狭窄、多発性子宮内膜ポリープがあり、さらにAMHは2・38と37歳相当の数値だったのです。
「もう八方塞がりで、絶望しかなく、一気に暗闇に突き落とされた気分でした」
それでも、医師の力強いひと言に勇気づけられました。「この病院に来たから妊娠できるよ」。そして、1週間後にはチョコレート囊胞摘出手術というスピード感ある対応のお陰で気持ちを切り替えることができました。

人工授精から体外受精へそして不全流産を経験

年が明けた今年1月、子宮内膜ポリープを切除し、3月には左排卵周期で初めて人工授精に挑戦。ところが結果は陰性。泣き崩れるたこさんに、「体外受精へ進もう」とHさんは言いました。
「夫が早い段階でそう言ってくれたことで救われました。以前から人工授精がダメなら体外受精にしようかと話し合っていたので、私もすぐに決意できました」
二人は早々にステップアップを決意。未来への歩みを進めます。採卵直前に囊胞再発の疑いで再手術となったものの、再発はなく膿の吸引のみで済み、何とか4月に採卵。採れた卵子は8個、胚盤胞まで育ったのは2個でした。
「顕微授精とふりかけ法の半々でトライしました。採れたことに感謝しましたが、正直、2個かと現実の厳しさを痛感しました」
その後、ジエノゲストというホルモン治療薬で排卵を止め、子宮の状態を整えてから、6月に移植。これが何と待望の陽性判定! hCG値も上昇し、胎嚢も確認できました。
ところがようやく見えた希望の光は、まさかの大量出血によって打ち消されます。その後、いったん収まったのですが、3日後に再び出血。「貧血がひどくてクリニックに駆け込んだものの、その時はまだ胎囊が確認できてたので安心していたのですが…」。帰宅後にまたしても大量に出血。それでもまだ、つわりの症状があったので赤ちゃんは無事と信じていました。
「でも、1週間後にクリニックを受診した時、もう胎囊は見えなくなっていて。不全流産でした」
喜びから絶望へ――。その落差はあまりに大きく、憔悴しきってしまいました。この時も今の自身を伝えたいと動画を配信。タイトルは「もう消えたい」。たこさんの悲しみの深さが突き刺さります。

子どもを望む理由に変化が訪れた

Hさんは「(流産を)気にすることはないよ。子どもが居なくても二人で十分幸せだから」と変わらぬ優しさで寄り添ってくれます。けれど、だからこそ、たこさんは流産で自分に問い直しました。「なぜ私はこんなにも子どもを望むのか」と。その背景には幼少期の体験がありました。
「母が壮絶な亡くなり方をして、祖父母に育てられたこともあり、ずっと心のどこかで孤独を感じ、にぎやかな家庭へのあこがれがありました。子どもがいれば、この寂しさも癒えると思っていたんです」
でも、占い師に「母親と向き合いなさい」と言われたことで気づきました。
「子どもは孤独を埋める存在ではない。子どもには子どもの人生がある。だから、期待や依存しすぎないためにも、まずは自分の軸を確立することが先だと強く思うようになりました」
たこさんは妊活を始めた当初の配信で「妊活の『にん』は忍耐の忍」といった発言をしていました。それが今は「経験して良かった」と心から言えるそうです。
「自分の原点を見つめ直し、人生と真正面から向き合えるようになったからです」
流産後、今度は不育症が発覚する一方で、妊娠によって囊胞が消え、AMHが2・38から3・00へ改善するという嬉しい変化もありました。現在は2回目の採卵を終え、移植のタイミングを見計らっているところです。
「妊活の日々は本当に濃厚で、貴重な経験だと実感しています。これからもつらいことがあるかもしれない。でも諦めず、やりきったと思える日まで、前を向いて進みたいと思います」
もし、心が折れそうになったら、たこさんのYouTubeを訪ねてみてください。笑いも涙も詰まった等身大の言葉に、きっと気持ちがふっと軽くなります。

第二子妊活も歩みを止めず、突き進んでいるものの…

長女・K ちゃんが1歳を迎えた翌年9月、第二子妊活をスタート。AMHは0・39ng/mlとさらに低下していました。
残っていた胚盤胞1個で陽性反応が出たものの、心拍確認できず流産。12月に3回目の採卵、翌年1月の5回目移植も流産でした。「何とか38歳のうちに2人目を授かりたくて、4月から毎月採卵していました。でも、胚盤胞が一つもできず…。先生から『少し休みませんか』と言われてしまって」
それでも「歩みを止めたくない」と思いを伝えると、医師から人工授精へのステップダウンを提案され、7月から挑戦することに。
「焦りはあるものの、今は結構忙しく過ごせていることで気持ちの切り替えができています。育児中心ではありますが、在宅で仕事を始めたり、今後のキャリアを考えて資格の勉強を始めたりしています」とSさん。
日々追われることで他人をうらやんだり、自分を責めたりする時間は格段に減ったと言います。ヨガなどの体づくりも「やらねば」ではなく、楽しい気持ちで行えているとのこと。
なお、第二子妊活は「38歳中」か、「移植の保険適用4回分」を使い切るかのいずれか“遅い方”までと決めているそうです。

つらい気持ちを受けとめ支えてくれたのは夫

「思い返せば、第一子妊活の2年半は本当に苦しかった。排卵誘発のため、決まった時間に注射を打ったり、薬を飲んだりするのもストレスで、焦りと不安で毎日イライラしていました。なぜ自分だけがこんなにつらいのかと悲劇のヒロインぶっていました」
そんなSさんをずっと支えてくれていたのが夫Tさんでした。「どんなに感情をぶつけても逃げずに、すべて受けとめてくれるんです。ドッグランに放たれた犬が私で、待っている飼い主が夫。私が好き放題動き回って、疲れて彼のところに戻るって感じです」
ある日、Sさんは泣きながら、「こんな私なら別れたほうがいい」と言ったことがありました。その時、「君と一緒に居たいから結婚したんだよ」とTさんが言ってくれたそうです。「このひと言にどれだけ救われたかわかりません」。
一方、Tさんはこう振り返ります。「妻のつらさは、僕には計り知れない。でも、だからこそ、せめて話を聞き、そばで寄り添うことは絶対にしようと決めていました。第二子妊活中の今も、それは変わらないです」。
どんなにつらくてもそばに居てくれる――。Sさんの妊活はまさにTさんの愛情深い言葉と行動によって支えられているといっても過言ではないでしょう。

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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