不妊治療も出産でも苦難を経験。 でも産んで良かったと思える幸せ
結婚 年目にしてようやく第一子を授かった小見結子さん。
体外受精を選択し、何度も試練を乗り越え妊娠した喜びもつかの間、妊娠中はつわり、不正出血に苦しみ、出産時にも壮絶な経験をします。健康体でも油断は大敵。結子さんはそう実感しています。
子宮も卵巣も問題なかったのに…。
現在、 4 歳の女の子・梨愛那ちゃんのママである結子さん( 47 歳)。今でこそ幸せな日々を送っていますが、不妊治療から出産後まで数々の試練がありました。
3つ年下のダンナさんと結婚したのは 25 歳の時。交際期間が短かっ たのもあり、「子どもは欲しいね」と話しつつも 30代半ばまで二人の 時間を謳歌していました。
「 36歳頃から本気で子どものことを考え始め、 1 年半ほどタイミング法を試しました」と結子さん。しかしなかなか恵まれず、病院で検査を受けることにします。
「ダンナさんの精子も運動率 86 %と元気。私もひと通り検査を受けましたが子宮も健康、卵巣もほぼ20代と言われたほどまったく問題はありませんでした」。ただ、その時には 38歳近くになっていたのもあり、すぐに体外受精を始めます。
「ホルモン注射を打ち、12 個の卵子を採取。そのうち 9個が受精卵に なり、 6個が胚盤胞の段階まで進んだのですが、最終的にグレード の高い卵個を凍3結保存しました」 3個のうち最もグレードが良い受精卵を移植したところ、早速、翌週には陽性判定が出ました。「不妊症ではないんだな」と安心したのもつかの間、5日後には着床継続できなかったことが判明。
「冷え性なのでもう少し体を温めてから再チャレンジしましょうということになり、 40歳になってから 2 回目の移植を行いました」
その際もすぐ陽性が出て妊娠を確認。結子さんは食べていないと気持ちが悪くなる“ 食べづわり” に耐えつつも出産を心待ちにしていました。
ところが 9週目に入った頃、医師から「心拍の確認がとれない」と告げられてしまいます。
「あまりにショックで、そのことを受け止めきれずもう一度病院で診てもらいました。でも結果は同じでした。悲しみをこらえながら翌週、取り出す手術を受けました。何でも心疾患系の染色体異常で、生まれていたら男の子。でも、半年ももたなかったと言われました」
最後の卵を使うのが怖くてステップダウン
残りの受精卵は 1つ。これでダメになってしまったら…。怖くて移植に踏み切ることができず人工授精へのステップダウンを決意。しかもこの頃、ダンナさんの精子の運動率が 10 %台に落ち、奇形精 子が増えていたことでさらに不安は募ります。それでもまずは人工授精にトライ。しかし、妊娠できませんでした。
もう後がない。最後の移植に備え、よもぎの温感シートや生姜湯などでとことん体を温めたそうです。
「実は前回まで葉酸サプリを妊娠が判明してから飲んでいました。妊娠前の摂取が肝心だと知り、今回は事前に飲み始めました」
そして 42歳を迎えたある日、祈るような気持ちで 3回目の移植手術を受けます。
「妊娠はできました。ただ、9週目に心拍停止を経験した恐怖があったので、それを過ぎるまでは安心できませんでした」
不正出血と切迫早産を経て43歳でようやく出産
9週の壁は突破できたものの、週目に入った頃に不正出血してし まいます。医師から「切迫早産する危険性が高いので、出産するまで入 院してほしい」と言われます。
「でも家や飼い猫のことが心配で 一週間先延ばしにしてもらったら、その間に問題のない状態になり、 入院は回避できました」
今回の妊娠では食べるのがつらいつわりに苦しみました。スーパーなどで脂ものの臭いがしただけで 気持ち悪くなり、何も食べられません。当然、体重もまったく増えないので、途中から栄養点滴を打ってもらっていたそうです。
再び不正出血に襲われたのは 32 週目に入った頃。切迫早産の可能性があり、緊急入院しますが大事にいたらず翌日には退院。その後はなるべく安静にしつつ、気分が 良いときには食べられるだけ食べて体重を増やすようにしました。
そして 39週目。夜中にトイレに行こうと起きた途端、破水。そのまま病院へ向かいます。
「それが分娩台で陣痛がきたらいきむ、を繰り返してもすぐにおさまり、なかなか産まれない。どうも微弱陣痛になっていたようです。先生が陣痛促進剤を打ってくれたのですがそれでも無理でした」
実は産道が極度に狭いため、赤ちゃんが出られなかったそう。最終的に医師がグッと結子さんのお腹を押し、腟を割いて吸引して赤ちゃんをとり上げました。
「その後、腟の縫合を行いました。陣痛よりそちらの痛みのほうがきつかった。しかも、大量に出血したため、極度の貧血になってしまい、おっぱいもほとんど出ませんでした」
子どもの成長とともに親として育っていきたい
梨愛那ちゃんが 7カ月になるまでは自身も体調の悪い状態が続き、 精神的にもつらかったそう。それでも今は「産んで良かったと心底思っています」と言い切ります。
「妊娠中は私がイライラしているとダンナさんの機嫌も悪くなり、ケンカしたこともありましたが、私がつ らい時は家事も率先してやってくれました。感謝しています」
支えてくれたのはダンナさんだけではありません。結子さんは友人、両親、知人の励ましがあった からこそ、多くの試練を乗り越えることができたと言います。
結婚 17年目にして授かった我が子。2705gで生まれた梨愛那ちゃんも4歳の今は18㎏。保育園でも大きいほうで、とびきり元気です。
「出会えなかった“ 2 つの卵”たちも私にとっては大切な子ども。その子たちと一緒にいる気持ちで梨愛那を大事に育て、私たち夫婦も親として育っていきたいです」