子宮内膜症や年齢的な問題で採卵ができない…
治療も手術も、できることはしてきました。
残された治療はあと数回。 今は、これからできることを考えています
若い頃から重症の子宮内膜症に 苦しんできたまぴぱんださん。
つらい治療や手術を乗り越えながら 治療を続ける彼女の 今の気持ちをお聞きしました。
癒着、高いFSH値…… もう子どもは産めないの?
20歳の時、突然激しい痛みに襲われ、重症の子宮内膜症で手術を受けた、まぴぱんださん( 41 歳)。
その後、結婚、離婚を経験し、 29 歳の時に運命の人、くにょんさんと出会い、 31 歳の時に再婚。
優しい夫と幸せな日々を過ごしながらも、病気のことがいつも頭の片隅に……。
1年経ち、2年経ち、「赤ちゃんができないかも」という不安が現実となり、不妊治療を受けることを決意しました。
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不妊治療で有名な県内のクリニックを訪れたまぴぱんださん。
検査もそこそこにタイミング療法を始めましたが、数回行ったのち、医師から早々に人工授精へのステップアップを提案されました。
「そして、人工授精も2~3回。すぐに体外受精をすすめられました」
注射などで卵巣刺激をし、エコーで卵胞を確認すると、見えた数は6個。
チョコレートのう胞で卵巣を手術しているのに、思ったよりも数が育っていて少し驚いたそうです。
そして、採卵当日――。
「処置室から戻ってきた時、何か嫌な予感がしたんです。麻酔をしていたのでほとんど意識はなかったのですが、“採卵にかかった時間がやけに短いな”という感覚がありました」
その感覚は間違いなく、麻酔から覚めて先生に告げられたのは「採卵はできなかった」という言葉でした。
「癒着で卵巣の位置が子宮の裏側にずれてしまっているとのこと。採卵するためには子宮に針を通さなければならず、もし位置を間違えて動脈を傷つけてしまうと大量に出血してしまう。危険なため処置できなかったということでした」
その後はショックで何も考えられず、しばらく呆然としていたというまぴぱんださん。
体外受精が難しいということがわかり、その後はまた人工授精に。8回トライしましたが、やはり結果は出ませんでした。
「治療はしていたのですが、ホルモンの状態が悪く、FSHの値が常に 20 以上と、すごく高かったんです。ある時、先生から“FSHはもう下げられないから”と言われて……。
それって、“もううちでは面倒見られない”ってこと?
“子 どもは諦めて”と言われたような気がして、地の底に突き落とされたように絶望したのを覚えています」
つらい時、いつも夫が私を すくいあげてくれました
採卵できなかった時もそうですが、つらくてつらくて耐えきれない時にまぴぱんださんをいつも支えていたのが、1歳年下の夫、くにょんさん。
「私は極端な性格なので、くにょんにガーッとつらい気持ちをぶつけた後、最後は“別れようか”みたいな感じになってしまう。
彼はそんな私の話を黙って聞いて、最後にはいつも“じゃあ、子どもは諦めよう。
二人でいいよ”って言ってくれるんです。
その言葉が私にとってどれだけ大事で、救われたことか。
子どもを産めないということにすごく引け目を感じていましたから、それがなかったら私は離婚していたかもしれません」
口数は少ないけれど、ほかにもさりげない方法でまぴぱんださんを励ましてくれるというくにょんさん。
「病院でつらいことを言われた時は、くにょんに必ずメールを入れるのですが、その内容で落ち込みようがわかるのか、私のお気に入りのお菓子をおみやげに買ってきてくれたり、気晴らしになるよう、さりげなく遊びの計画を立ててくれる。
少しでも私をすくいあげてくれようとする優しさを感じます」
しばらく落ち込みましたが、立ち直りも早いというまぴぱんださん。
ほかに何か方法はないかと模索していた時、地元の広報誌に掲載されていた記事に目が留まりました。
「女医さんが経営するクリニックの記事だったのですが、何かピンと来るものがあり、そこでセカンドオピニオンを受けることにしたんです」
診察が丁寧で、話もしやすい先生。ここで治療を受けよう、と決めかけた時、先生から治療の選択肢を提案されました。
「腹腔鏡手術で癒着を剥離し、卵巣を正常な位置に戻してから採卵に臨むか。
それとも、強い刺激でたくさん卵子をつくり、採れそうなところだけ採るか。
私は、とりあえず目先の数だけを確保するのではなく、手術をしたほうがその後につながるかなと思い、手術を選択したんです」
その施設では手術の設備がなかったので、紹介してもらった市内の総合病院で腹腔鏡の手術を受けることに。
「お腹の中を見てみると、卵巣や卵管がかなり癒着していて、とても卵子をピックアップできる状態ではなかったそうです。
人工授精をくり返しても妊娠できなかったわけですよね」
癒着をきれいに剥がし、卵巣の位置も正常な位置に。
自然妊娠も可能な状態になりました。
「でも、やっぱりFSHの値は依然高く、カウフマン療法を2~3周期続け、値が下がったら排卵誘発をするという治療が続きました」
子宮内膜症の手術による影響はもちろん、この時、まぴぱんださんはすでに 38 歳。
年齢による卵巣機能の低下もあったのかもしれません。
「排卵誘発をしても卵胞が育たないんです。
育つことがあっても1年に1回くらい。
一度だけ採卵できる段階までいきましたが、空胞だったのか、包んでいる膜は採れても、卵子そのものは採れませんでした」
「卵子提供」も 考え始めています
40歳を過ぎた現在もチャレンジしていますが、採卵まで進まない状態だといいます。
「先生からは“あと3回くらいかな”と言われています。
体的にも年齢的にもそれが限界かなと。
それは私も薄々感じています。
でも、現実をつきつけられるとやっぱりつらい。
結果が出なくても、やめることが怖いんです。
治療をやめてしまったら、そこですべてが終わってしまうから……」
葛藤した末に、今、まぴぱんださんが考え始めたのが「卵子提供」という選択。
「本人にはまだ伝えていませんが、すでに子どもが2人いる妹に卵子を提供してもらい治療することを考えています。
くにょんは養子を望みましたが、私はどうしても血縁にこだわりたいので。
今、少しずつ、そのステップへの準備を始めています」
「二人だけでも楽しいし、すごく幸せ」というまぴぱんださん。
なぜ、そこまでつらく、困難なことにトライし続けるのでしょうか。
「私は夫婦二人だけでもいいと思っています。
でも、やっぱり夫をお父さんにしてあげたい、それだけ。だから、できるだけのことをしようと思っています」