成育医療を推進する国立成育医療研究センター母性 医療診療部の不妊診療科医長であり、日本産科婦人 科学会の「本邦での生殖補助医療におけるゴナドト ロピン製剤在宅自己注射の実態調査に関する検討小 委員会」の委員長でもある齊藤先生。調査データな どとともに、不妊治療の現状について貴重なお話を していただきました。
出生から次世代育成までの 医療を目指す〝成育医療〞
成育医療とは、受精、妊娠に始まり、胎児期、新生児期、小児期、思春期、成人期に至るライフステージにおいて、安心して子どもを産み育てるまでの心身の健康問題を、包括的、継続的に捉えていこうというものです。
一般に認識されている産婦人科と小児科が合わさった科だと考えてもいいかもしれません。
東京・世田谷にある、国立成育医療研究センターは、その医療分野のトップランナーとして、健康な次世代を育成するための高度専門医療を推進してきました。
こちらの病院では、診療科・部門が細分化されており、妊娠出産にまつわる部門だけでも、産科、不妊診療科、不育
診療科、胎児診療科、母性内科など、専門性に特化した分類になっています。
その中の母性医療診療部「不妊診療科」医長である齊藤英和先生は、不妊症学、生殖内分泌学を専門としています。
「昔は産婦人科と小児科の中でみなやっていた診療を専門化することにより、それぞれの部門の臨床、研究を絞り込んだ形で四六時中関われるので、より深く取り組むことができます。各科の特徴も発揮でき、スムーズな形で連携できるという意味では、他の医療機関より抜きん出ているかもしれません」
不妊にはさまざまな原因があります。
もちろん、相対的に割合の高い不妊理由もありますが、それに従って漫然と治療を行っても、いい結果が得られるとは限らないというのが齊藤先生の考えです。
「そのご夫婦にとって何が妊娠を妨げているのかをきちんと調べて、原因を探ることが重要だと考えています。患者様の状況を問診や検査で把握することによって、より早く、的確に、患者様一人ひとりにとって最適な治療を進めることができるからです」
急速に広まりつつある 自己注射、その理由と背景
適切な治療戦略に基づく〝オーダーメイド医療〞において、不妊治療の精神的、時間的負担を軽減してくれる自己注
射は、積極的に活用してもらいたい治療プロセスの一つ。齊藤先生は、自己注射の現状を、こう話します。
「2008年に日本でもペン型の注射器が発売され、日本産科婦人科学会の「本邦での生殖補助医療におけるゴナドトロピン製剤在宅自己注射の実態調査に関する検討小委員会」では、昨年、その使用状況や、OHSS(卵巣過剰刺激症候群)および多胎の発生率などについて、通院による注射の症例とを比較して、どんな変化があるのかなどを調査しました。
すると、回答してくださった医療機関の53 %、つまり半数以上が、自己注射を導入しているとわかりました。
発売から半年強でこの数値に達したということは、かなり速いスピードで普及してきたと言えるでしょうね」
自己注射が広まってきた背景には、何があるのでしょうか。
「それだけ切実なニーズがあったということ。そして、安全性、ペン型の注射器による注射の簡便さなど、広く行き渡るだけの要素をすべて満たしていたからだと思います」
齊藤先生は、委員会の調査結果を提示しながら、患者側が自己注射に対して持ちやすい不安を一つひとつ解消してくださいました。
「たとえば、自己注射と通院による注射では、治療成績に差があるのかという問題がありますね。
病院側の印象では、〝今までと変わらない〞が 89 %、〝よい〞が8%を占めます。
患者様側に、自己注射に対する印象について質問してみても、〝大変よい〞〝おおむねよい〞〝今までと変わらない〞を合わせると 99 %になっています。
自己注射は、病院と患者様双方にとって、受け入れやすい治療法であることがうかがえます」
排卵誘発治療の副作用が少ない 自己注射は、メリットが大きい
また、排卵誘発注射の副作用として、OHSSや多胎妊娠のリスクが挙げられますが、その点はいかがですか。
「〝自己注射〞と〝通院による注射〞を比較してみたところ、そのどちらの副作用についても、〝増加した〞という回答は皆無でした。
〝変わらない〞は、OHSSで 84 %、多胎で 93 %。〝減少した〞という声さえあります」
実際、不妊治療における自己注射のメリットを裏づけるデータも出ています。
「日本産科婦人科学会は2008年4月に、『移植する胚は原則単一とする』という見解を発表しましたが、そうしたガイドラインが出てくる以前から、臨床レベルでは約半数が単一胚移植でしたし、現在はよりその傾向が進んでいます。
というのも、戻す胚を2つ3つと増やしても妊娠率はあまり変わらず、むしろ自信のある胚を1つ戻すほうが、いい結果に結びついていたからです。
3胎、4胎できる多胎になる確率は、 ARTより排卵誘発治療のほうが高いので、排卵誘発治療を行う時には、まずそのリスクを考慮する必要があります。
ところが、自己注射によるFSH低用量漸増法を採れば、FSH通常法よりも、OHSSも多胎妊娠も減少したという回答も出ているのです。
つまり、不妊治療をより安全に進める ためには、少しずつ薬液を投与する方法で発育卵胞数を抑えて、質のいい卵を1つ育てることがとても大切なのです」
より使いやすく痛みも軽減 ペン型の注射器は治療の味方
自己注射が一気に広まるきっかけになったペン型の注射器は、針も細く短くなり、薬液の量も少なめです。
「そうした改良によって、自己注射におけるさまざまな懸念が払拭できたことは大きいですね。
院内での筋肉注射を経験されている患者様ならなお、ペン型注射器での自己注射は負担が少ないと実感されるのではないでしょうか。
ペン型の注射器は少量から投与量を調節できるので医学的に見ても比較的安全で、副作用もむしろ減っているという感触を得ている方もいらっしゃいます。
今後はさらに広まっていくでしょう」
利便性、安全性の面で納得していても、どうしても「自分で自分に注射をする」ことに抵抗があるという人もいますが。
「一度、医師や看護師に目の前で自己注射を実演してもらったらいいと思うんですよ。
自己注射用の注射器を受け取ったら、最初から全部自分一人でやらなくてはいけないと負担に思わず、1回か2回、病院で一緒に打ってもらえば要領もわかると思います。
当院では、自分で打つ自信がないという患者様には、『では一度お持ちください。一緒に注射しましょう』と提案しています。
十分な説明と指導で、全面的にサポートしていきます」