3つの医療機関で計7年、全てやりつくし妊娠しました

妊活をやめざるを得なくなった時、後悔しないために3つの医療機関で計7年、やれることをやり尽くしてようやく妊娠できました。

34歳から計7年、不妊治療を続けてきたMさん。生理不順、単角子宮、高FSH、低AMHという現実と向き合いながら採卵を31回、移植を計8回行い、昨年12月、念願の第一子を授かりました。

順調にはいかないと覚悟はしていたけれど……

Mさん(42歳)が、職場の同期で7歳年下のYさん(35歳)と結婚したのは33歳の時。不妊治療のクリニックに通い始めたのは結婚から1年経った頃でした。
中学時代から生理不順だったこともあり、ピルで生理周期を整えてもらい、タイミング法からスタート。しかし、7カ月経っても結果は出ませんでした。早く授かりたかったMさんは一気に体外受精へステップアップしました。「採卵を5回行いましたが、卵子は採れても未成熟卵や変性卵ばかり。多精子受精の時もあり、結局、一つも凍結できませんでした。

2つめのクリニックで単角子宮と判明

結果が出ないので約1年後、県内で評判のクリニックへ転院します。この時、検査でAMHが0.5ng/mlとかなり低いことがわかり、最初から顕微授精に。すでに36歳ということもあり、採卵を繰り返し、ある程度貯卵してから戻していくことにしました。「5回目の採卵が終わった段階で何とか4個凍結できました。それで移植することに。万全を期すためにいろいろ検査を受けたところ、単角子宮であることが判明。子宮奇形で子宮の左側がない状態です。そのため、子宮があるほうに体を傾けて移植しました」
妊娠反応が出たものの5週6日で出血し、流産。それでもめげずにMさんは続けて2回目の移植を行いました。反応がなかったので、2度続けて採卵した後、3回目の移植。しかし、うまくいきませんでした。「それで子宮内を内視鏡検査したところ、子宮内膜が細菌に感染していたことがわかり、後日、全身麻酔をして子宮内膜搔爬術という手術を受けました」
手術後、感染予防で子宮の中を清潔に保つため、避妊リングを入れました。Mさんはこの時が特にきつかったと振り返ります。「妊娠を望む私がどうして避妊具を入れなければならないのかとやるせなかった。装着中の1カ月間、性交渉ももたないようにと先生に言われました」

妊娠反応があってもうまくいかなくて……

リングを抜いた後、採卵を行いますがやはり卵子は採れません。そのため、以前に凍結した受精卵で4、5回目の移植を行いました。「4回目は妊娠反応があったものの出血。5回目は妊娠したものの、胎囊が見えず、子宮外妊娠の疑いが出てしまいました」
原因を調べるため、紹介された総合病院で翌日受診。それでもわからなかったので同日の午後、大学病院へ行き検査をしました。その4日後、出血があったため大学病院で受診したら病院で大量出血。大事をとり1泊入院しました。
「ちょうどこの入院が年末で。何かいろいろありすぎたので気分を変えたくなって、年明け早々3回目の転院をしました」

実績のあるクリニックへ 片道2時間かけて通院

次に選んだのは家からかなり遠いものの、実績の高さで有名なクリニック。ここには約1年通い、計9回採卵し5個凍結。しかし、移植はしませんでした。「片道2 時間の通院と、毎回の採血、それと行くたびに先生が替わるシステムに疲れてしまって。結局、凍結受精卵5 個をそこに残したまま、以前通院していたクリニックに戻りました」
新たに計9回採卵し、3個凍結。そして3回移植し、ついに妊娠。
この時Mさんは41歳でした。「妊娠したのは嬉しかったけど、不安のほうがまだ大きかった」実際、5週目の朝、職場で大量出血し、2カ月間休職しました。「健診や検査で医師の結果説明を聞く度にホッとするのも束の間、また心配の日々が始まる…。その繰り返しで、無事に出産するまで安心できませんでした」さらにその後、切迫早産になってしまい、安静に過ごすため、1カ月少々入院。そしてそのまま産休に入りました。「だから妊娠してからあまり働けていないのですが、幸い理解のある職場だったので精神的に救われましたね」
そしてようやく41週目に出産。2790グラムの女の子です。

母親になりたかったし夫との家族を作りたかった

Mさんはかなり前のめりに妊活に取り組んでいた時期もあったそうです。しかし、途中からは意識して淡々と過ごすようにしていました。「採卵もダメだったからと落ち込まず、次を考える。気分を変えたくなったら美味しいものを食べたりしてリフレッシュするようにしていました」
何歳まで頑張ろうといった区切りもあえて設けませんでした。「いつかやめたくなる時がくるだろうと思ってました。ただ、その時に後悔したくなかったので、鍼灸や漢方、食生活の改善などやれることはすべてやりましたね」そんなMさんをそばで静かに支えてくれたのがYさんです。「夫はふだんから言葉が少ないのですが、後で聞いたら余計なことは言わず見守る、私のやりたいようにさせてあげると決めていたそう。それが彼の優しさでした。実は私の母も不妊の末、私を産んでいるので、先輩として話を聞いてくれて心強かったです」
7年もの間、治療を頑張り続けたのはなぜだったのか。そう聞くと「夫との子どもが欲しかったのもありますが、自分の新しい役割として母親になりたかったから」と。そろそろ残りの凍結受精卵で第二子の妊活を開始したいと考えているそうです。

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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