着床不全の診断や子宮外妊娠を乗り越えて 「納得いくまでほかを探そう。」 あの日の夫の言葉がなかったら この子は、ここにいなかった 。
はじめは「病院に行ってまで子どもが必要かな?」と 不妊治療に乗り気でなかったご主人。
けれども徐々に、同じ方向に、同じ歩調で歩き始め 4年をかけて待望の我が子を授かった夫婦のストーリーです。
当初の気がかりは ご主人との気持ちの温度差
結婚後、子どもが欲しいなと 考え出してから2年ほどしても 妊娠に至らなかったというクミ コさん(仮名)。ちょっと診て もらおうかな? と、まずは近 所の総合病院の婦人科へ足を運 んだそうです。多忙な専門職 だったことから時間のやりくり が難しく、一通りの検査を受け 終わった時点ですでに半年が経 過。ようやく、卵管が両方とも 詰まりぎみであるため、自然妊 娠は難しい状況であることがわ かりました。
結果を受けてマミコさんはご 主人に「専門の病院に通ったほ うがいいのかな」と相談。ですが返ってきたのは「そこまでし なくてもいいんじゃない? 無 理してまで頑張る必要はない よ」というのんびりとした返事 でした。そしてそのまま1年ほ どが経過。「このままじゃいつ までも子どもができない」と一 念発起したクミコさんは、夫婦 を対象とした不妊治療の説明会 にご主人を誘ってみました。
説明会をきっかけにご主人も 検査を受けてみたところ、精子 の状態が良くないことが判明。 自分にも原因があるということ にショックを受けた様子のご主 人でしたが、それでも積極的に 治療をしようという気持ちには 至りませんでした。
「私は気になってネットで調べ たりしていたので、主人とは知識の量も、焦燥感も段違いでし た。当初は、夫婦間のそうした 認識の隔たりが課題でしたね」
私は普通じゃないんだ…4 年間で一番つらかった日
そのまま説明会を主催したク リニックに通い始めたクミコさ ん。まず、卵管の癒着を剥がす 手術を受けました。
「夫婦ともに子どもができにく い体質なので、手術しても自然 妊娠は難しいだろうという説明 は受けていました。それを承知 であえて受けようと決めたのは、 入院・手術という一大事を通し て、主人の気持ちをもっと動か したいという思いからでした」
クミコさんの期待通り、ご主人の心境は徐々に変わり、 少しずつ協力的になっていっ たそうです。
次の段階では、精子の状態か ら判断して人工授精ではなく一 気に体外受精を試みることにな りました。一度目の移植の結果 は化学流産、二度目は子宮外妊 娠。子宮外妊娠はクリニックが 休みになる年末年始の時期と重 なったこともあり、クミコさん はいっそう不安でつらい時間を 過ごさねばなりませんでした。 そして三度目に卵を戻した際に は、着床も見られないという結 果に。「着床不全」という診断が下り、先が見えない思いに心 がしぼみました。
ですが唯一の救いは、つらい 経験を通してご主人の気持ちが しっかりとクミコさんに追いつ いてきたこと。この頃には二人 は同じ熱量で、積極的に不妊治 療に向かい合うようになってい たそうです。
そしてクミコさんが一人でク リニックを訪れたある日、今後 の方針を話し合うなかで、いっ たん子宮を休ませるためのホル モン剤の服用を提案されます。 服用する期間は未定との説明で した。とはいえ一般的にはどのくらいの期間が必要となるの か、目安が知りたかったクミコ さんは「普通はどのくらい飲み 続けるものなんですか?」と尋 ねました。その問いに対して、 医師は「普通は、もうすでに妊 娠して、うちの病院から卒業し てるんですよ」と…。
もしかしたら、叱咤激励のつ もりで、あえて答えになってい ない厳しい言葉を投げかけたの かもしれません。けれどその答 えにクミコさんは「私は普通 じゃないんだ」と頭が真っ白に なり、言葉も出ないほどの大き な衝撃を受けました。
その夜、ご主人に病院でのこ とを報告すると、ご主人は「ク ミコは今の病院のやり方では納 得できないんじゃない? 納得 できるところに出会うまで、二 人で他の病院も回ろうよ」と背 中を押してくれたそう。そうし て夫妻は、より自分たちに合う クリニック探しを始めたのです。
ターニングポイントは 納得できる医師との出会い
いくつか他の不妊治療専門 のクリニックに当たってみた 中で、二人が転院を決めたのは 「古賀文敏ウイメンズクリニッ ク」でした。決め手は、あまり 期待せずに送った質問メール に、古賀先生自身から真摯な返 事が送られてきたこと。それ に、転院枠があり最短の2カ月 待ちで受診することができた こと、の二点です。
実際に会った古賀先生に、前 の病院で着床不全といわれまし たが…と相談すると、「僕はそ うは思わない。妊娠する可能性 は十分にあると思います!」と、 励ましてくれました。
よし、頑張ろうという気持ち で迎えた転院後初の移植では、 胎嚢が見えたものの流産に。ク ミコさんは、その時にクリニッ クの看護師が一緒に涙を流して 悲しんでくれたことを、ありが たく思い出します。「もし古賀 先生のところでもうまくいかな かったら、その時は納得して不 妊治療を諦められるな」という 心境にまで至ったそうです。
そして、次の移植にチャレン ジ。またうまくいかないかも… という心配を打ち明けると、古 賀先生は「もう一度同じ治療を する意味は十分にあると思う よ」と、請けあってくれました。 心穏やかに挑めたそのタイミン グで、二人は、元気な赤ちゃん を授かることができたのです。
今振り返ってみると、 悪いことだけじゃなかった
こうして、望んでいた形で不 妊治療を終えたクミコさん。思 い返すと、お仕事と治療とを両 立した日々は過酷なものだった そうです。
「急に次の日また病院に行かな ければならなくなって、詰め込 んでいた予定を調整しなければ いけなくなることもたびたび。 お腹が痛くて冷や汗をかきながら仕事に行ったこともあります」
ですが仕事のスケジュールを 優先していたら、不妊治療は停 滞してしまいます。
「途中から割り切って、優先順 位を変えるようにしました。直 属の上司が理解のある方だっ たことに、ずいぶん助けられ ました」 そしてやはり、治療をしなが らも仕事を続けてきて良かった という気持ちがあるそうです。
「不妊治療だけに専念していた ら、私の場合抱え込みすぎてもっ と辛い思いをしたと思います」
不妊治療の大変さは、経験し た人でないとわからないもの。 ですが、自分にとって悪いこと だけではなかったとクミコさん は振り返ります。
「自分が体験した分、誰しもそ れぞれにつらいことがあると思 いを巡らすことができるように なりました。私なりに、不妊治 療を頑張っている後輩の相談に 乗ることができるのも、いいこ となのかなと。
不妊治療の最中には、なん で自分だけ…と塞ぎ込むこと もあると思います。周囲の声 にショックを受けることも多 かったり。私もそうでした。で も、一人ぼっちじゃないです! たくさんの方が頑張っていま す。それに、不妊治療専門の クリニックは、方針もやり方 もそれぞれ。一つのクリニッ クで無理だったからと諦めず、 相性のいい先生を探してみる ことをおすすめします」