患者さんの大切な卵子や精子、 受精卵を預かる培養室(通称ラボ)。 通常時はもちろん、非常時にも、 胚培養士一人ひとりが正確な技術力や 冷静な判断力を発揮しなければなりません。 京野アートクリニックの京野先生に 日頃の胚培養士に対する教育姿勢や ラボの安全管理体制などについて伺いました。
こちらのクリニックでは、培養に関してどのようなこだわりを持っていますか?
京野先生 まず、培養液ですね。
当院では常に2種類以上の培養液を準備しています。
同じメーカーの培養液でも、製品のロットごとに多少成績が変わってくることがあるので、毎回必ずデータをとり、チェックするようにしています。
患者さんによって合う培養液、合わない培養液がありますか。
京野先生 採れた卵子の数が多い場合は、1人の患者さんで2種類の培養液を使うようにしています。
どちらの培養液が合ったか調べていくと、全体の1~2割の方は培養液によって差が出ることがあるようです。
その場合は、反応がよかったほうを使っていきますが、患者さんからご希望があれば、常備している2種類以外の培養液を取り寄せて使うこともできるようにしています。
現在、国内では何種類の培養液を使うことができるのでしょうか。
京野先生 だいたい8~9種類の培養液を使うことができます。
これらは、それぞれ成分の種類や構成内容が微妙に違います。
ピルビン酸や乳酸、グルコースの量、アミノ酸やビタミン剤の内容の他、浸透圧や pH も異なります。
ということは、それぞれ卵子や精子、受精卵の反応も違ってくる可能性があります。
そのため当院では、前述したように、培養液ごと、ロットごとに毎回データをとって患者さんの卵子や精子、受精卵との相性を調べ、それでもその患者さんに合わない場合は、別の培養液を取り寄せて試す、という柔軟な対応をしています。
ラボの安全管理の面では、どんなことに気を配っていますか?
京野先生 ラボにおいては基本的なことだと思いますが、ダブルチェックが重要です。
とにかく複数で確認すること。
そして患者さんがいるシチュエーションでは、必ず患者さんにも自己申告をしてもらいます。
人工授精や採卵、胚移植の時に、まず診察時にお名前を確認します。
そして診察台に上がっていただいてからもう一度、患者さんの口から名前と生年月日を申告していただきます。
現場では医師、看護師、胚培養士、そして患者さんも含めた4人で、必ず確認し合うということを必須にしています。
そのように徹底した確認体制ならば、間違いは起こりにくいですね。
京野先生 検体の取り違えは決してあってはならないことです。
ですから当院では、1つのインキュベーターの中には1人の患者さんの検体しか置かないようにしています。
次の検体に入れ替える時は、必ず前の検体を取り出した後に入れるようにしています。
現在、胚培養士は 11 名いらっしゃるということですが、技術のスキルアップも安全管理同様、徹底されているのでしょうか。
京野先生 卵子や精子、受精卵は、本来は体内にあるものですから、インキュベーターの中では温度を常に37 ℃に保つほか、炭酸ガスの濃度や浸透圧も厳密に管理しています。
それを、たとえば室温 25 ℃のところに出したら、 12 ℃も寒い環境の中にさらしてしまうことになります。
ですから、外に出したら正確かつ迅速に作業を済ませ、インキュベーターの中に戻さなければなりません。
2~3℃温度が変わっただけでもダメージを受けてしまうデリケートなものなのです。
また、受精卵を吸うピペッティングや顕微授精の操作も、受精卵にストレスをかけないよう微妙なさじ加減が要求されます。
「常に卵子や精子、受精卵の身になって作業するように」、これはいつも胚培養士に言い聞かせていることですね。
手技が合格かどうかは主任がチェックしていきますが、当院では、精液検査ができるまでに1年、顕微授精や胚を凍結するまでには最低3年かかります。
胚培養士はそれだけ重要な作業を担当しているということですね。
クリニックの妊娠率を上げるために、ラボの力は欠かせませんね。
京野先生 ラボの力は大きい、というより一番大事なのではないでしょうか。
当院では胚培養士も、少なくとも1年に2~3回は学会に出席させ、発表もさせています。
海外を含め、他の施設を見学する機会にも、必ず同行させるようにしていますね。
自分のラボだけではなく、外でもさまざまな情報を見聞きして、常にモチベーションをキープすることが大切だと思っています。
また、当院では2~3週間おきに受精率や胚発生率、妊娠率などの成績のデータを出しているのですが、もしも一定の基準が落ちてきた場合には、すぐにラボの点検に入り、何が悪かったのか問題点を探すようにしています。
胚培養士ごとに顕微授精の成績も出すようにしています。
それは意識が高まりますね。
京野先生 もちろん、胚培養士だけではありません。
医師も、その医師ごとに移植後の妊娠率を出しています。また、他の施設から医師を呼んで診察からラボまで見てもらい、客観的な意見も聞くようにしています。
胚培養士も医師も、一人ひとり緊張感をキープすることが、必ずいい成績につながっていくと思いますから。
お話は変わりますが、去る3月 11日、東北地方に甚大な被害をもたらした大地震が発生しました。こちらのクリニックがある仙台市街でも震度6強を記録しましたが、被害の状況はいかがでしたか?
京野先生 揺れと同時に停電になりました。
自家発電機を準備してあり、軽油は満タン状態でしたが、それでも6時間しかもちません。
地震後、ガソリンや軽油も入手できなくなり、発電機も使えなくなることを考えて、受精卵はすべて凍結しました。
液体窒素タンクは、窒素が入っていれば停電しても問題なく使用できますから。
その判断が正しく、受精卵はすべて無事でした。
機器の倒壊は?
京野先生 以前、他の施設で、地震でインキュベーターが棚から落ちたり転倒したという話を聞いていたので、当院では震災前からインキュベーターそのものを床に打ち込んで固定していました。
液体窒素タンクもスポンジのクッションで囲んでいましたので、ラボの機器に損傷はまったくありませんでした。
今回のような想定外の災害や、万が一の時、患者さんの大切な卵子や精子、受精卵をお守りするために、日頃から準備を怠らず、危機管理体制をしっかりしておくことが本当に重要だと、改めて実感しました。
★胚培養のポイント
胚の培養環境をベストに整えるために培養液のクオリティを保つことはもちろん、培養用オイルの管理も重要なポイントに。
このオイルは、培養液を保護するような役割があり、水分の蒸発を最小限に抑え、浸透圧や pHの変化を防止するために培養液に重層して使う。
培養液と同様に品質管理をきちんと行い、受精卵の育つ環境をベストな状態に保つことが大切。