
持病をコントロールしながら進めた治療計画
2人目の妊活を終えた10年目の秋、家族の新たな挑戦が始まりました。
「この子をお兄ちゃんにしてあげたい」という一心で再開した二人目治療。持病の再発や陰性を繰り返し、これが最後と決めた移植も陰性でした。初めての治療から10年が過ぎ、揺れる気持ちも少しずつ整理しながら、Sさん家族は新たなステージに突入します。
タイミング法に挑戦するも妊娠しないまま持病が再発
中学1年生の時にネフローゼ症候群を発症したSさん(36歳)。倦怠感やむくみなど気になる症状はあったそうですが、突然、自宅で起き上がれなくなり、5カ月もの入院生活を余儀なくされたのが始まりでした。その後、2年に1回程度の割合で再発。治療薬のステロイドの影響からか体重が激しく減り、生理もピタリと止まってしまったそうです。
同じ会社で働くTさん(39歳)と3年間の交際期間を経て結婚。本格的に不妊治療を始めるために産婦人科を受診したSさんでしたが、痩せすぎで体重が増加するまで治療に入れないという状況に。
「結局、体重は増えないまま空白の1年間を過ごしてしまい…。年齢的にも焦っていたので、先生に治療をゴリ押ししました」
投薬で生理をこさせ、タイミング法で妊娠を目指しましたが、その兆しは一向に訪れません。大学病院、不妊専門クリニックへと転院し、いずれもタイミング法で結果が出ないまま時間だけが経つうちに、ネフローゼ症候群を再発。治療を中断し、再びステロイドの投薬治療が始まりました。

長男の出産から1年後、2人目の治療を始めたが…
2021年3月、31歳になっていたSさんは、治療の再開と同時に主治医の提案で体外受精にステップアップ。1回目の採卵で3個中2個が胚盤胞になり、最初の移植で着床! 持病の再発を防ぎつつもお腹の子どもに影響が出ないようにステロイドの量をギリギリまで調整するなど、専門の先生同士の連携も頼もしく、その後も順調に妊娠を継続。母子ともに健康状態を保ったまま、無事に出産までたどり着きました。
「この子をお兄ちゃんにしてあげたくて」と、約1年後には2人目治療を開始。凍結しておいた胚盤胞1個を移植するも結果は陰性だったため、すぐに採卵に進んだSさんでしたが、原因不明のイライラした感情が膨れ上がり、Tさんとの喧嘩も増えていきます。「冷戦状態になっても職場が一緒だから仕事中は話さないといけなくて、そのうち私が折れて仲直り。でも、根本は何も解決していないから、なんだか誤魔化されているような気持ちになっていました」
それでも、治療を経験したからこそ本音でぶつかり合えるようになり、「結婚前より話し合う時間を大事にするようになりました」とSさんは振り返ります。
SNSなどで情報を検索しすぎて「あれもダメ」「これもダメ」とダメなものばかりに頭が支配されていたことも。
「結局ストレスになるだけで続かず、ある日、もう気にするのはやめようって思ったんです。その代わりに白砂糖をきび砂糖に替えたり、ルイボスティーを飲むなど本当に無理なくできることだけ日常生活に取り入れることにしました」
頭では理解しつつ、諦めきれない2人目の夢
不妊治療を決意した25歳の時に「10年間だけ」と約束していたSさんとTさん。2人目の胚盤胞移植に挑戦しても陰性と流産を繰り返し、最後の1個を移植する時期はまさに10年目。結果は流産でした。「移植前にこれで終わりにしようと決めていたけど、どうしても諦めきれなくて…。もう少し治療をさせてほしいと夫に泣きながらお願いしました」
保険で移植できる残りの1回を新たな期限に決めて、再び採卵に挑戦。5個採卵できて、1個のみ胚盤胞まで育ってくれましたが、最後の1個だと思えば思うほど、決心がつかず、採卵から3〜4カ月経ってようやく移植。着床したものの8週目に出血し、流産という結果を迎えました。
頭ではわかっていても、諦めたくない思いを拭えず揺れ動いていたSさん。職場では妊娠中の社員さんと子どもの話題で盛り上がっていて、友人にはちょうど第二子が生まれる頃とも重なっていたため、「彼女たちの顔を見るだけでつらく、距離を置きたくなった時期もありました」。不妊専門カウンセラーに相談しても解決の糸口は見出せず。Tさんは励ますつもりで「一人でもいい。この子を大切にしていこう」と伝えましたが、当のSさんは「それとこれとは話が別で、兄弟をつくってあげたいっていう気持ちをわかってほしい。でも、選択肢は一つしかないこともわかっていて…」ともどかしさを募らせる日々が続きました。

治療の終結を決めた今、家族は新たなステージへ
そんなSさんが前を向けるようになったのは、家族の日常にさまざまな急展開が起きたから。突如知らされたTさんの単身赴任は特に大きなできごとでした。
「父親がいなくなる寂しさで息子が精神的に不安定になって、私自身もふとした瞬間に涙がこぼれるような精神状態になったんです。でも、現実はやらないといけないことが山積みでそれどころじゃなく、治療に対して引きずっていた感情も時間とともに吹っ切れていきました」
不妊治療中は勤務地を配慮してもらっていたTさんでしたが、終了を機にキャリアアップに挑戦する道を選択。転勤続きになりそうですが、離れて暮らしながら新たな家族像を築き上げていくのがSさんたちの目標になりました。
10年間の不妊治療中、時には「いつになったら終わるの?」と心ない言葉を投げかける人もいて、当事者にしかわからない治療の大変さや心の悩みをオープンにできる環境が必要だと身をもって感じていたSさん。「自分を大切に、どんな時でも一人で抱え込みすぎないで」と、治療を頑張っているすべての皆さんへ優しい言葉を発信してくれました。