二人だからこそ、選ぶことができた道
治療の終結から5年経った今、二人で決めた新たな人生を歩み始めました。
「不妊治療は夫婦力を試されることの連続でした」。何度も訪れる決断の瞬間、常にお互いを思いやりながらベストな選択をしてきた法雄さんと友美さんは、45歳を機に、夫婦二人で生きていく道を選びました。
2回目の体外受精で治療のつらさを知った
法雄さん(45歳) と友美さん(45歳)が出会ったのは19歳の時。すぐに交際に発展し、34歳で結婚しました。「両親の家系が不妊治療で子どもを授かっていたり、流産も多かったから、私も妊娠しづらい体質かもしれないと思っていました。まずは自然妊娠できるかを試す意味で自己流の妊活をしてみたけれど1年経ってもできず、地元の不妊専門クリニックに行ってみることにしました」。
治療開始は2015年5月。卵管造影検査で卵管狭窄を指摘され、タイミング指導を受けても結果は出ず。翌年受けた腹腔鏡検査では左卵管水腫と左卵巣周囲癒着、右卵管采開口偏位が判明。手術で水腫を摘出し、再度タイミング法を数回行ってから体外受精にステップアップしました。
「初回はそこまで体の負担を感じなかったのですが、2回目は薬の量も期間も一気に増えたんです。つらくてやめたいと思いながらも、まだ2回なのにやめていいのかって迷いもあって……」
第三者の意見を欲していた友美さんはある日、院内で治療をやめたご夫婦の話を聞く会があることを知り、二人で参加することにしました。
「子どもより彼女を優先する」彼の本音に衝撃を受けて
治療を終結された方や治療中の当事者の言葉を直接聞くことができ、「本当にいい経験だった」と友美さん。法雄さんはその場で、心に秘めていた思いを口にしました。
「心身に直接的な負担がかかるのは常に女性です。二人の子どものために頑張ってくれているのに、やめてもいいんじゃないかなんて軽々しく言えませんよね。でも、2回目の移植後、彼女はつらいと言った。そんな思いをさせたくない。僕自身、子どもより彼女を優先する気持ちが強くなったんです」
すべてを理解していたつもりなのに、思いがけず聞いた本音に衝撃を受けた友美さん。帰り道も帰宅してからも何時間もかけてお互いの気持ちを確かめ合い、「前に進もう。まだ頑張れる」と、友美さんは治療の継続を決めました。
一番頑張ってくれた命と本気で向き合った時間
保険適用の開始前で、自己注射もなかった時代。排卵誘発剤だけ別のクリニックで注射してもらっていたのですが、職場から近いとはいえ仕事帰りに3週間毎日通い続けることもあり、ホルモン剤による独特の顔のむくみと心のゆらぎ、筋肉注射の激痛、仕事と治療の両立が大きなストレスになっていく友美さん。その負担を少しでも和らげるために、法雄さんはつらい時や話したい時は聞き役に徹し、答えが必要な時は納得するまで時間をかけるように心がけたそう。
採卵4回、胚移植を3回実施するも着床せず、時間だけが過ぎていくなか、日本産科婦人科学会で着床前スクリーニング(PGS)の臨床試験が始まりました。認定施設になったクリニックで二人の受精卵も検査に出すことができましたが、結果は「解析できず」。
「でも、胚盤胞の一つひとつが命。私たちは当時の助成金の回数を使い切ったところで治療をやめようと決めていたので、グレードとか考えずに残りの回数制限いっぱいお腹に戻すことにしました」
5回目の移植をした2018年7月に初めての陽性判定。5週目に胎囊を確認できたのですが、妊娠継続はかないませんでした。
「夫婦染色体検査で異常はなく、少しでも可能性がある順に移植しても着床すらしなかったから、不安はありました。独特の強い痛みがあり、立った瞬間に……」
体内から流れ落ちた血の塊を受け止めて法雄さんのもとへ行き、「形はわからないけど、この中にいるよ」と伝えた友美さん。「着床してくれる可能性はゼロに近いって皆が思っていたこの子が、一番頑張ってくれたんです」
子どもが生まれてからのことを想像し、仕事中も自然と鼻歌を歌っていた法雄さん。悲しい現実に触れてもなお、友美さんの前では平常心を保っていたそうですが、「会社に着いて仲のいい同僚の前で号泣してしまって。すぐに有給をとって早退し、河川敷でただただ時間が過ぎるのを待っていました」。あの日、法雄さんも自分なりに命と向き合っていたことを、初めて明かしてくれました。
夫婦力を試された日々すべてが二人の人生の糧に
少しの間でも妊娠したのだから可能性があるかもしれない……。回数上限で終了と決めていましたが、迷いが生じました。しかし、参加した会で「これから続いていく自分たち自身の人生のことも考えなければいけない」と話していたご夫婦の言葉を思い出し、治療の終結を決めました。
特別養子縁組も「選択肢の一つ」と児童相談所の説明会に足を運んだこともあったそうですが、「彼女の気持ちが揺れ動いているのは感じていました。将来を決める大切なことだからすぐに答えが出なくて当然。養子縁組をするかを45歳までゆっくり考えていこうよと提案しました」と法雄さん。友美さんの気持ちを尊重する。友美さんが悩んでいればそっと背中を押してあげる。「それが自分の覚悟であり、役割だから」と法雄さんは教えてくれました。
治療の終結から5年、45歳になった友美さんと法雄さんは二人で生きていく人生を選択。ようやく当時を振り返ることができるようにもなり、「少しでも役に立てるなら」と、今度は経験を話す立場で治療終結の会に出向きました。
「不妊治療は夫婦力が試される治療だと思うんです。だからこそ、一番伝えたかったのは、夫婦二人の問題として話し合い、支え合ってほしい、ということ。今はまだ将来の答えは出なくても、お互いを大切にし、些細な変化も見逃さずに向き合ってもらえるようになったなら、私たちの経験も大きな意味があったんだねって思います」
友美さんの「ジネコ」活用方法
「治療中はいろんな情報を知りたくて、院内にあった不妊治療の専門誌をたくさん読みました」と語る友美さん。ジネコではセカンドオピニオンのページなど、応援ドクターの具体的な治療の話に興味をもってくれていたそう。