AIDと養子縁組の両方の検討

東京都でスタートした新生児委託事業で里親に 夫の無精子症が明らかになって AIDと養子縁組の両方の検討を同時に開始。

“子どもと共にある生活”が私たちの望みでした。

人工授精前の検査で無精子症がわかったM男さん、 Y 子さんご夫婦。

60 、 70 歳になった時に後悔したくないと考えた二人は 医師に告げられた選択肢からAIDと里親の2つをチョイスし、 最終的に東京都の新生児委託事業で生後間もない赤ちゃんの里親になりました。

子どもを諦めるという 選択はなかった

Y子さん( 43 歳)とM男さ ん( 39 歳)夫婦が東京都の新 生児里親に登録し、生後まも ないOちゃんを迎え入れたの が約 1 年半前。今はOちゃん は戸籍にも入り、実子のよう に暮らしています。

「行動が私に似てきた気がす る」とY子さんが言うと、M男 さんも負けじと「頭がいいとこ ろは僕に似てるよ」と顔をほこ ろばせて楽しそうです。

二人が結婚したのは約 5 年 前、Y子さんが 37 歳の時でした。 年齢的なこともあり、早々に不 妊治療を開始。近くの産婦人科 でタイミング法から始めたので すが、半年経ってもできません でした。そこで医師の勧めもあり、二人揃って不妊検査を受け ました。

「その結果、私は問題なしだっ たのですが、主人が無精子症と わかって。すぐにTESE(精 巣内精子採取術)の手術を受け たところ、精子を採るのは難し いと言われました」

この時、医師から三つの選択 を告げられました。一つめは 「子どもはもう諦める」、二つめ は「AID(非配偶者間人工授 精)」、三つめは「養子縁組で里 親になる」でした。

「まず、子どもを諦めることは できないね、というのが一致し た意見でした。二人よりも子ど もがいたほうが生活も楽しくな るという思いが、お互い強かっ たからです」とM男さん。Y子 さんも「ここで子どもを諦めた ら自分が 60 歳、 70 歳になった時に悔いが残る気がして。だから、 もうやれることは全部やっちゃ おうということになり、AID を受けることと、里親になるた めの準備を同時に進めることに しました」

転職をきっかけに AIDの治療を終了

AIDとは第三者から提供さ れた精子を使って妊娠を試みる 方法のこと。Y子さんは都内の 病院に登録し、精子ドナーがい ると病院から連絡があった際は 必ず治療を受けました。

「でも、 なかなかうまくいかなかった。 ほぼ毎月、計 1 年半、治療を続 けました」

AID には抵抗を感じるご 主人も多いのですが、M男さ んにはそれがまったくなかっ
子どもを諦めるという 選択はなかったたそう。

「僕の中では正直、AIDも里 親もそんなに違いがなかったん です。子どもは神様からの授か りもの。ですから、どちらも挑 戦してダメだったらそれはそれ でしかたないかなという気持ち もありました」

そんななか、AIDの治療 を断念したのは、Y子さんの 転職がきっかけでした。それ まで金融関連の会社で働いて おり、AID診療のたびに遅 刻させてもらっていました。 しかし、新たな職場でさすが にそれはできないと思いAI Dを終了させたのです。

ところで、この時期になぜ転 職をしたのでしょうか。

「キャリアアップのためです。 実はVBAというプログラミン グの資格を取得したので、それを生かした職を探していたとこ ろ、見つかったから」

いったん不妊治療に入るとそ れだけに全力投球しがちです が、Y子さんは仕事に関する自 身の将来設計もしっかり見据え ていました。

里親に登録して 1 年後 新生児委託が始まって

AIDと併行して、里親に なるための行動も開始してい たY子さんとM男さん。最初 にまず養子縁組を支援するN PO法人の説明会に参加しま す。そこで東京都の里親制度 のことを知り、すぐに問い合 わせ、申請要件の確認を受け ます。それが済むと同時に認 定前研修を受講し、家庭調査などを経て東京都から里親の 認定・登録を受けました。

「登録すると、こんな子どもが いるけれど、どうですか?   と 連絡があるんです。それが毎月1 、 2 件。毎回エントリーする のですが、他の候補者のほうに お話がいってしまって。そんな 時期がしばらく続きましたね」 (Y子さん)

1 年ほど経った2017年10 月、東京都で新生児委託の 事業が始まりました。生後 28 日未満の赤ちゃんを、特別養 子縁組を希望する夫婦に託す というモデル事業です。その 話を聞いて、Y子さんたちは すぐに手を挙げ、新生児里親 になるための面接と 2 日間の 研修などを経て、新たに新生 児里親に登録しました。

すると、その月の下旬に突然、 東京都の担当者から連絡があり ました。「生後まもない赤ちゃ んを数日後に、乳児院に連れて 行きます。そこにお二人で来て もらえませんか」と。あまりに 急な展開でしたが、「いきなり 話がいきますよ」と事前に聞い ていたので、わりと冷静に対応 できたといいます。そこで対面 した赤ちゃんがOちゃん。愛ら しい女の子でした。

「うちで引き取ることが決ま ると同時に、私は仕事を辞め ました。乳児院へ行くとその まま3泊4日の育児研修に突 入。その間、主人は会社を休み、 Oちゃんと3人で一緒に生活 するための予行練習をしまし た」(Y子さん)

乳児院ではミルクのあげ方、抱っこのしかた、お風呂の入 れ方など乳児の扱い方をひと 通り教えてもらいました。そ のうえで、用意されていた1 カ月分のおむつとミルク、そ して乳児用の組み立てベッド などを受け取り、研修後、自 宅へ戻りました。Oちゃんが 生後 11 日目のことでした。

「うちは戸建てで、 2 階がリビ ングになっているのですが、そ こで寝かしたほうがいいとアド バイスを受けたので、急きょ部 屋のレイアウトも変えました」

家事も育児も完全分担制 子どもがいることが楽しい

本当にある日突然、コウノト リがOちゃんを運んできたかの ごとく、二人の生活スタイルも がらりと変わりました。

「夜泣き も大変だったし、熱が急に出た りすることもあるし。子育ては とにかく大変と実感しています」

それでもOちゃんが来てくれ てうれしいと二人は声を揃えて 言います。

「Oちゃんが居てくれることで すごく癒やされる。保育園のお 迎えに行くと、僕の姿を見かけ るとすぐ一目散に走ってきて抱 きついてくれる。うれしくてた まらないですね」

実はOちゃんが6カ月を過ぎ た頃から近くの保育園に預け、 Y子さんは資格を生かせる職場 を新たに見つけ、働き始めまし里親に登録して 1 年後 新生児委託が始まってた。共働きのため、家事は分担。 保育園に連れて行くのはY子さ んで、迎えに行くのはM男さん。 食事や離乳食を作るのも料理が 得意なM男さんの担当です。ち なみに夜泣き対応の「夜当番」 も交代制にしているそうです。

「Y子にも自分の好きなことを やっていてほしいんです、子ど もがいてもいなくても。結婚当 初からずっとそう思っていまし た。だから僕ができることは何 でもします」

Y子さんは大らかで、M男さ んは何でもきっちりやりたがる 性格。まったく正反対の二人で すが、「自分たちの人生にプラ スになることを積極的に取り入 れて前進していきたい」という 人生観は同じ。里親もまさにそ の価値観のもと、実現させたこ とです。

「思うような結果が出ない時は、 なぜ子どもが欲しいのか、夫婦 でもう一度話し合ってみては。 私達は血縁より子どもとの生活 を望みました。Oちゃんのよう に親を求めている子どもはたく さんいます。そういう子どもた ちの親になるのも不妊治療の選 択肢の一つとして入れていいと 思う。それによって人生がより 明るく豊かになるんですから」

血のつながりにもこだわら ず、柔軟な発想で不妊治療をと らえ、かつ仕事のキャリアも大 事にしたY子さん。その生き方、 選択に新たな風を感じます。

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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