10年間の不妊治療を経て見つけた新しい道

不妊治療中、相談できる人が欲しかった。

その気持ちと自分自身の経験を 今は不妊カウンセラーとして生かしています。

不妊治療は期待とがっかりの連続。 10 年間の治療から卒業し、 心が空っぽになっていた時に知ったのが不妊カウンセラーの資格。

自分がさまざまな想いをしながら経験してきたことを、 今、不妊で悩んでいる人たちのために役立てよう。その決意から、新しい道が開けました。

子どもができないことに30 代でふと気づいた

「結婚すれば子どもは自然に できるものと思っていました。 ところが、 25 歳で結婚し、同 居していた主人の両親の面倒 をみたり、実母を看取ったり、 慌ただしく毎日を過ごしてい たらあっという間に 30 代に。 そういえば子どもができない、 とふと気づいたのは 32 歳で義 父を亡くした頃でした」と振 り返る山中陽子さん( 61 歳)。

当時は、夫婦がいて子ども が生まれることで「家族」に なるという考え方が当たり前。 今のようにさまざまな家族の 形が受け入れられている時代 ではありませんでした。

「子どもが生まれるのが『普通』 なのに、どうやら自分はその普 通ではないらしい。両親に孫の 顔を見せたい、主人の子どもが 欲しいと思っていましたから、 まずは近くの産婦人科を受診。 特に原因が見つからないため 治療のしようがないと言われ、 大きなショックを受けました」

その後、大学病院での詳し い検査の結果、生まれつき卵 管が腹膜に癒着していること がわかり、 33 歳で不妊治療を スタート。人工授精、体外受精、 顕微授精とステップアップし ましたが、成果は得られませ んでした。

30 代後半に入ると主治医か らは、年齢が進むにつれて妊 娠できる確率が下がっていく
ことを、データをもとに説明 されるようになったそう。

「その時代にできる最善の治療 方法で試していたものの、 38 歳になっても妊娠の兆しは見 られません。徐々に一度に排 卵できる数も卵子の質も落ち ていくことは自分でもわかっ ていました。不妊治療にはタ イムリミットがあります。 40 歳で治療を卒業するといった ゴールを、自分で決めないと 精神的にもしんどいなと思う ようになりました」

妊娠して当然という 気持ちが次第に変化

しかし、 40 歳になったから といって、続けてきた治療を子どもができないことに30 代でふと気づいたスッパリとやめることはでき ないもの。やめれば子どもを 授かる可能性はゼロになりま す。しかし、続けていればわず かでも可能性は残るからです。 結局、陽子さんが不妊治療を 卒業したのは 43 歳の時でした。

「 10 年間の不妊治療は私にとっ ては仕事のような感覚。不妊 の原因は自分にあるのだから、 私自身が動かなくてはいけな いという使命感のもと、スケ ジュールをこなしていた感じ です。努力すれば必ず授かる と思っていたのでつらさや悲 壮感はなかったです。でも、 クリニックで顔見知りになっ た患者さんや友人たちが私よ りも先に妊娠した時はやはり ショックでした。祝福しながらも『次は私の番ね』と明る く言葉にすることで、自分を 励ましていたりもしました」

期待と落胆を繰り返しなが らの 10 年間で、陽子さんの気 持ちは少しずつ変化していっ たそう。さまざまな経験や思 いをする時間の流れのなかで、 「絶対に妊娠できる、それが当 然」という気持ちだったのが、 いつしか「赤ちゃんは授かりも の。いつ授かるかわからない もの」と思うようになり、そ のことが、自分に対する厳し さやプレッシャーからの解放 につながりました。

「孫の顔を見せてあげたいと 思っていた実父が亡くなった 時、父に『もういいよ』って 言われたような気がして、すっと自然に卒業することができ ました」

治療経験を生かして 不妊カウンセラーの道へ

不妊治療を卒業後、これか ら何をしていいのかわからな い喪失感から家にこもる日々 を送っていた陽子さんでした が、友人から「外に出なくちゃ だめ」と励まされ、日本不妊カ ウンセリング学会主催の公開 講座へ足を運びました。そこ で知ったのが、治療の経験を 生かせる不妊カウンセラーの 資格。直感で「これだ!」と 思い、すぐに養成講座の受講 手続きをしました。

「不妊治療中、同じ立場にいる 治療中の人ではなく、客観的 な意見をくれる相談相手がい ればいいなあと感じていまし た。不妊カウンセラーという 資格を知った時、私が経験を 生かして、その相談相手にな ればいいんだ、ってひらめい たんです」

陽子さんは2002年、 45 歳の時に資格を取得。現在 は、学会で知り合った 4 名の 不妊カウンセラーで『プラス ハート』というグループを立 ち上げ、メールでの相談を受 けているほか、総合病院の生 殖医療外来での不妊カウンセ リングや、不妊体験者が心に 溜まっていることを話せる場としてお茶会を開催するなど、 ご自身の経験と資格を生かし た活動を行っています。さら に、最近では1級心理カウン セラーの資格も取得して、大 学で学生に対するカウンセリ ングにあたるなど活躍の場を 広げています。

「相談を受けていて思うのは、 不妊治療の技術は進んでいる のに、不妊治療を受けている 人の悩みは、私の時と変わら ないということ。自分を責め たり、周りの人と比べたり。 いつまで続ければいいのだろ うと苦しんでいる方も多くい ます。治療中の方には一人で 抱え込まずに相談できるさま ざまな場があることを知っていただきたいし、卒業する方 には、私自身、不妊治療に使っ た時間やお金は決して無駄で はなく、今につながる財産に なったと感じていると伝えた いですね」

不妊治療を通して 夫婦の絆が深まった

不妊カウンセラーとして自 分自身の経験を役立てられる 充実感のほかに、実感してい るのは不妊治療を通してご主 人との絆が深まったこと。

「実は、治療中に私から離婚を 切り出したことがありました。 私は自分が原因で母親になれ なくても仕方がないけれど、私 と一緒にいるためにあなたが 父親になれないのは心苦しい。 パートナーを変えることで父 親になれるのなら別れてほし いと。その時、主人は少し考 えて、『縁があって一緒になっ たのだから、子どもがいるい ないは関係ない』と言ってく れました。その言葉にどれだ け救われたか。とても嬉しく、 ありがたい思いでいっぱいに なりました」

不妊治療をしていた 10 年間、 陽子さんの体のことを一番に 心配し、かけてくれる言葉は 少なくても、いつも見守って くれていたのはご主人でした。

「私が自分自身で卒業の決断をするまで、どんと大きくかま えていてくれたこともありが たかったです。さまざまな経 験を通してお互いへの信頼が 強くなり、この先何があって も夫婦でやっていけると思え る大きな安心感が生まれまし た。これも、不妊治療を経て 得られた財産だと思っていま す。治療をしていた頃はお互 いに忙しく、二人でゆっくり 話す、なんてことがあまりあ りませんでした。でも今はと てもよく話をする夫婦になっ たんですよ」

夫婦の形はそれぞれ。子ど もができなくてもコンプレッ クスに感じる必要はないし、 母親以外の役目や生き方が誰 にでもあるはずと陽子さんは 言います。

「もちろん、気持ちは簡単に割 り切れるものではありません から、治療中も、卒業へ向か う時も、心の中を整理してい くための時間は必要です。私 も納得して卒業するまで数年 かかりましたし、卒業後もす ぐに気持ちの整理がついたわ けではありませんでした。で も、自分で考えて決めたこと なら過去の経験を前向きにと らえ、前に進むことができる はずです。これからも、自分 の経験を生かして治療を頑 張っているご夫婦のサポート ができればと思っています」

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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