45 歳手前で妊活終了を決断

街から自然豊かな土地に移住したことがきっかけに45歳手前で妊活終了を決断、一生やっていきたいと思える仕事へ。
「年老いた時に子どもがいないとどうなるか不安」と40歳で妊活をスタートした兼重真純さん。
費用負担も大きく45歳になる直前で妊活を終了しました。
現在は移住先で森林セラピストⓇとして活躍中です。

街の喧噪、ストレスからリセットできる環境を求めて

正看護師を取得後、米国留学後に訪問看護ステーションを立ち上げるなど地域医療に貢献していた真純さん。35歳で結婚、39歳の時に難病疾患を発症した母親の自宅介護中に、「自分が年老いた時、子どもがいないとどうなるのだろうか」という不安を意識し始めたことから40歳の時、妊活をスタートしました。近所の産婦人科を受診し、排卵誘発剤の内服を始めたのですがじんましんで中断。

「当時は夫の実家がある横浜に住んでいました。治療を進めていくうちに、近所の子どもの声が気になったりすることもあって、ストレスが溜まっていました。また夫関係のコミュニティも子どもを中心とした集まりなどがあって、正直いうと気疲れしていたのかもしれません」

42歳の時、母親を看取ったことをきっかけに以前から興味のあった田舎暮らしにと、横浜から山北町へ移住。「移住は私一人でした。夫は横浜に残ったのですが、いずれは転居してくれることを期待していました」。

治療費の負担が大きくなり5年間の不妊治療に終止符

夫婦別居ながら、不妊治療専門クリニックへ転院。真純さんは2時間かけて山北町からクリニックへ通院していました。人工授精を2回行いましたが妊娠しませんでした。

「当時夫は、精子を自宅で採取し、一度も来院しませんでした。今考え街の喧噪、ストレスからリセットできる環境を求めてるとその頃から夫婦間がギスギスしていたのかもしれません」

その後、さらに高度不妊治療クリニックへ転院しますが、とても混んでいて初診の予約が取れたのが半年後。43歳10カ月だった真純さんに医師から告げられたのは「遅いよ」の一言でした。「こんなにも多くの方が治療されていることにまず驚きました」と真純さん。ご主人も一緒に通院し、採卵・胚凍結と治療を進めました。しかしながら、胚移植を4回行うも妊娠に至りませんでした。

「44歳の時が不妊治療のMAX でした」と治療を頑張っていた真純さん。その頃治療を続けながら、同時に「本当に子どもが欲しいのか」「すでに母親が他界していることもあって、たとえ子どもを授かっても育児のサポートがあるのか」など自問自答し苦悩する日々。また当時、年齢的に助成金の対象から外れていることもあり、経済的な負担も大きく、貯金を切り崩す生活に将来への不安がリアリティを増していきました。

「治療も5年頑張った。ここで区切りにしよう」と、最後の凍結胚を移植したあと、自らの意志で妊活終了を決めたそうです。それからほどなくして真純さんは離婚しました。

「だんだんと夫婦であり続けるための治療となっていたのかもしれません。私は移住先で居場所を見つけ、心身共にいいバランスでいられることができたのですが、夫とは価値観が違ったようです。週末移住も挑戦してはくれたのですが…」

自然豊かな町・山北町で森林セラピストへ

真純さんが単身で移住した山北町は、神奈川県の西部に位置しています。9割が丹沢山塊に覆われた自然豊かな特性を生かし、全国的にも珍しく町の健康福祉事業として森林セラピーⓇが盛んな場所です。真純さんはそこで町の健康事業である森林セラピーガイドの講座を受講し、ガイド認定を取得しました。

「看護師として人の生死に向き合うなか、自分が本当にやりたかった“人を元気にする仕事”に就きたいと思い、出合ったガイドの仕事です」

訪問看護ステーションを開設していた移住前の生活は、24時間365日携帯電話が離せず、ストレスを抱えていたそう。心身ともに疲弊していた真純さんが、たまたま山北町の定住イベントに参加し、豊かな自然に触れたことで「自分をリセットできる素敵な場所を見つけることができました」。

さらに、46歳の時に個人で森林セラピーⓇの事業を立ち上げました。現在は、西丹沢エリアを中心に森林セラピストⓇ(森林健康指導士)として活動し、特にストレス社会で生活する働き盛り世代に、「森林セラピーⓇ」を通して、心と体のケアを行っています。また日本と米国での看護師経験や、訪問看護師として多くの看取りのケアにも携わった経験から、家族や友人、ペットなどを失った方へ、森林セラピーⓇを「グリーフケア」として活用する取り組みも行なっています。

移住先で自分らしくいられる“居場所”を見つけました

不妊治療を続けていた当時を振り返り、真純さんは言います。

「つらい治療でしたが、山北町への移住により環境を変えたことで続けることができていたと思います。縁もゆかりもなかった私に、町の人は気さくに声をかけてくれたり、野菜をいただくこともあったり…まるで親戚のようなお付き合いをしてくれました。素朴な温かさに触れるにつれ、子どもがいないというライフスタイルを考えるきっかけにもなりました。治療をやめると決断し、夫と別れる時はとても悩みもしたし落ち込みましたが、試行錯誤のうえの結論でしたので後悔はありません。今は、離婚も不妊治療も珍しくない時代、女性が主導権をもって決断してもいいのではないでしょうか」

そして取材の最後に、「この取材を通して、私の40代をしっかりと振り返ることができました。残念ながら、子どもを産んで育てるという階段を登っていくことは叶いませんでしたが、負けん気というかハングリー精神で移住先の新天地で前進してきたという自負があります。森林セラピーⓇは大人を対象として始めましたが、子どもを連れて参加というケースも多くなってきました。自然の中で子ども達と触れ合う時間は、まるで子育ての一部を体験させていただいているような気持ちになります」と素敵な笑顔でお話ししてくれました。

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

不妊治療に関するドクターの見解を取材してきました。本サイトの全ての記事は医師監修です。