不妊治療に携わることになった理由やそれにかける想いなどをお聞きし、ドクターの歴史と情熱を紐解きます。
院長である父の部屋にびっしり貼られていた患者さんからの手紙に感動
――松本先生が生殖医療に携わるようになったのは何かきっかけがあったのですか?
「私は当家の産婦人科医としては3代目。祖父も父も産婦人科医、叔父もいとこも同業ということで、松本家は産婦人科医の家系なんです。
かといってこの道が決められていたというわけではなく、当家の教育方針としては「好きなことをしていい」という考え方でした。実際、弟は会計士ですし、妹は芸術系の仕事に就いています。
高校3年生くらいまでは医者の道以外に進むことも考えていましたが、熟考した末、最終的に医学部に進むことを決めました。
一生、生殖医療に携わっていこうと心に決めたのは産婦人科医になってすぐのこと。父のクリニックを手伝う機会があり、院長室に入ったら、壁一面に「おかげさまで元気な赤ちゃんが生まれました」など、患者さんからいただいた感謝の手紙がびっしり貼ってありました。「こんなに患者さんが喜んでくれる医療なんだ」と感動して、それ以来、これからは生殖医療の世界で頑張っていこうと決心しました。
戦争に翻弄された祖父の時代は「安心して出産ができる場所を作る」、不妊治療創世期の父の時代は「生殖医療はこれから必ず日本に必要になってくる。それをしっかり発展させていく」というのがミッション。現在当院では、「不妊治療を通じて日本の未来に貢献する」ということを掲げ、臨床はもちろん、研究にも力を入れています」
患者さんへの説明は落語と同じと考えて
――日頃、診療に関して大事にしていることはありますか。
「それは患者さんとのコミュニケーションです。まだ私が20代で研修期間をやっと終えたばかりの頃、忘れられないエピソードがありました。ダウン症のお子さんを妊娠した方の入院管理を担当する機会があったのですが、その頃は力量不足。それを補うかのように毎日病室を訪れ、お話しする時間を取るようにしていました。
夢中だったので自分ではよくわかりませんが、患者さんにとってそれが心に響いたのか、生まれたお子さんに私と同じ「玲央奈」という名前をつけられたんです。そのことは一生忘れられません。
これから医師としての経験値が増したとしても、患者さんに寄り添うことはもっとも大切にしたいと思っています。
昔、私の研修医時代の恩師に「患者さんに説明するのは落語と一緒だよ」と言われたことがあります。古典落語のように治療について説明する内容はどの方でも同じなのですが、さじ加減を変える。落語家が場の温まり具合で話し方を変えるように、患者さんの微妙な変化を察知して、どこに重点を置くか、どこに熱を込めるかなど、お一人おひとり変えるようにしています。そのような非言語型のコミュニケーションを重視するよう、心がけています」
宇宙生殖学・宇宙産科学の学問確立に貢献していきたい
――不妊治療に関して、将来、チャレンジしてみたいことは?
「今、宇宙開発が進んでいますが、そう遠くない未来、人間が宇宙空間で生まれて一生を過ごすという時代が来ると思っています。
そうすると宇宙生殖学・宇宙産科学も必要とされるようになるのではないでしょうか。「核分裂の際に紡錘体が伸びるためには重力が必要なのでは?」「無重力だと子宮内膜症になりやすくなるのでは?」など、まだわかっていないことや解決しなければいけないことがたくさんあります。すぐに実現とまではいかなくても、私たちの時代で、ある程度の学問を確立させることに貢献していきたいと思っています。
このような未来に向けた生殖医療を含め、現状に満足せず、研究の継続や最新の技術や知識を学ぶなど、つねに努力をしていくことは必要です。
私はいつも「当院でダメならどこの施設でもダメ」という気持ちでいます。自分がナンバー1と思えないようならやれない。そのためには努力をし続けていかなければいけないでしょう。もしかしたら一流の料理人が考えていることと近いかもしれませんね。自分を甘やかさず、本当のプロフェッショナルを目指していきたいと思っています」