情熱のカルテ~高橋ウイメンズクリニックの高橋先生

不妊治療に携わろうと思ったきっかけや、日頃の診療で大切にしていることをお聞きし、ドクターの歴史と情熱を紐ときます。

「産婦人科医、特に産科では目の前の患者さんに即座に対処する事が求められることが多いのです。今は不妊治療専門なのですが、いまだにその診療スタイルの流れが抜けきらないですね。

目の前の患者さんに日々必死に対応する事を黙々と積み重ねたら妊娠数2万名になりました。

高橋ウイメンズクリニック 高橋 敬一 先生
金沢大学医学部卒業。国立病院医療センター(現・国立国際医療研究センター)、虎の門病院を経て米国ワシントン大学に留学。1996年虎の門病院に復帰した後、1999年千葉市に不妊治療専門『高橋ウイメンズクリニック』を開院。2014年ベストドクター認定(ベストドクターズ社)。
2022年10月に開院から累計で妊娠2万例を達成する。

人に直接かかわって、役に立ちたい――そんな仕事がしたい

医師を志した理由をお教えください

「昔から人と接するのが好きでした。高校生になったときには、『将来は人の助けとなり、人に直接かかわる仕事がしたい』と、考えるように(肩に力が入って若かったですね~~)なり、そこで私が候補にしたのが、教師と弁護士そして医師だったのです。ただ、弁護士は、記憶することが膨大にあるというイメージで、自分には難しいかもと考えました。一方、人の成長や教育にもとても興味があったのですが、高校の先生から『給料、安いぞ』と言われて教師志望も諦めてしまったのです(この辺は打算的ですね。笑)。

医師も他の2つと同様、もちろん勉強しないとダメですが、私の実家が地方農家であり、子どもの頃からニワトリの孵化(ふか)や豚の出産などを手伝っていた経験があり、生命にかかわる医師という仕事に親しみがあったのかもしれません。そのような経緯から、高校1~2年から医師をめざすようになりました。ただ、高校卒業後にスッと医学部へ進学できたわけではなく、やはり世の中を甘く見ていたものですから入学まで2年かかりました(笑)。ただ、今だから言えるのですが、これは私にはとても良い経験でした。みんな人生かけて真剣に頑張っているのだということが身にしみて分かったのです。いい加減なことでは世の中通用しないのだと!

いろいろな科の中から産婦人科医を志したきっかけをお教えください

「私が学生だった頃は、女性と心にトラブルを抱えた方は、社会的に弱い立場にあると考えていました。(この辺はやはりまだ若くて、力が入っていますね)そういった人のサポートができる科が良いなと、産婦人科と精神科を考えていました。

そして学生研修で精神科をまわったときのことです。病気の特性上、治療の効果が分かりづらい状況が、自分の気持ちの維持やスタイルとは少し異なると理解しました。

一方、当時の産婦人科教授があまり学生への教育を重視しない方だったのと、私自身も勉強熱心な優等生ではなかった(むしろ劣等生)ので、なんと学生時代にはお産を一度も見たことがないまま卒業してしまったのです。(怖いですね~)

でもかつて立ち会った動物のお産でも生まれると、『よかったね~』とその場が明るく華やいだことを思い出し、命が誕生する場に立ち会える科は他にない!と考えるようになりました。すぐに結果がでて、その成果も実感しやすく、仕事への情熱やモチベーションを保ちやすい、そう考えて最終的に産婦人科を志望しました。

生殖医療に携わることになったきっかけはありますか。

大学を卒業し、東京の病院に勤務しました。勤務した先の病院では「分娩経験のない産婦人科(志望)医が来た!」と、ちょっと(ホラー的な)話題になりました。勤務したばかりの頃は、当時の看護師長さんは、私がその分娩の担当だとわかると、ものすごい勢いで現場へやってきて立ち会ってくれましたね。(怖かったのでしょうね~)しかし、そんな暖かなサポートのおかげもあり、4~5年後には産婦人科として(自称)ひととおりの仕事はこなせるようになりました。そうすると、産婦人科として更なるスペシャリティを目ざすなら“お産”か“がん”のどちらかでした。当時の婦人科のがん治療というのは、まだまだ治りづらい病気で、自分の無力感も少なからず感じる状況でした。

一方、もう1つの選択肢であるお産は、命の誕生に立ち会えて、すべてではないですが、エンディングが『おめでとう』のことが多い。そしてロングスパンというよりも、今現場でおこっていることに即座に対処するということの方が多かったので、産科や生殖医療のスペシャリティになろうかなと、考えていました。そしてその時期に、虎の門病院へ行く機会が巡ってきたのです。

当時、体外受精の生殖医療は、先端の医療という位置づけでした。そのため、体外受精を行っているのは大学病院がほとんど。市中の病院でおこなっているのは虎の門病院が先駆けだったのです。そこで生殖医療という分野にかかわるきっかけに恵まれました。

今ではアナログ人間に分類されると思いますが、もともと新しいもの、最先端のものに興味を感じていたので、しばらくすると体外受精の卵子の扱いを任せてもらえるようになりました。

その後、アメリカ留学でもさまざまな経験をしました。一方、生殖医療がさらに高度になっていくのにともない、産科も同時にすることが難しい状況を感じてきたのです。そして悩みましたが、生殖医療に専門的に取り組んで、多くのカップルに赤ちゃんを出産してもらいたいと考え、1999年に今のクリニックを開業しました。

日々、どのような思いで治療されていますか。

「医師を志したときと変わっていないのですが “不妊で悩むカップルの助けになりたい”という気持ちで日々、目の前の患者さんに接していますね。

うちのクリニックで治療を受けて卒業された患者さんから『赤ちゃんを産んで生活が変わりました』だけでなく、『人生が変わりました!』というお声もいただくことがあります。このような言葉は、仕事への充実感だけでなく、自分の存在意義を感じることができ、この仕事をやっていて良かったと本当に心から思えるのです。患者さんの「妊娠したい」という希望に、自分の不妊治療で応えられたとき、自分でも本当に幸せを感じるのですね。

患者さんからのこのような言葉があるから、日々、目の前で起こっていること、困っている患者さんに対して全力で向き合うことができます。実は私も患者さんから励まされ、幸福感を頂いているのですね。

2022年10月に妊娠数2万名に到達されましたが、今後の目標がありましたらお教えください。

「妊娠数が2万名に到達できた理由のひとつには、治療法を一つに決めつけたり、おしつけない、というのがあると思います。当クリニックは体外受精もおこなっていますが、高度生殖医療だけでなく、一般不妊治療も並行しておこないます。可能性があるならばその方法も並行してやってみるという方針です。この方針は今後も変わるものではなく、毎日の診療のカルテを予習して準備して診療をおこなうという地道な努力も継続していくことも大切にしています。

一方で、技術は常に進歩していますので、それに乗り遅れないように努めています。

壮大な目標はないのですが、今後も今まで通り、日々、目の前で起きている患者さんのトラブルや困りごとを、婦人科医としてなんとかし続けていきたいと思っています。そしてその積み重ねの先に、妊娠数3万名があるといいですね。

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全記事、不妊治療専門医による医師監修

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