突然わかった子宮頸がんの疑い─。
「もう子どもは望めないかも…」 失意のなか、出会った主人とともに 夫婦で乗り越え、思いを叶えました。
子宮頸がんの疑い、男性更年期障害、 家族の介護と別れ…。
数々の壁を乗り越え 待望の命を授かった容子さんご夫婦。
二人のこれまでを振り返ります。
早く結婚して妊娠したい… その思いが運命の出会いに
5 歳の時、勤務先の定期検 診がきっかけで、医師から子 宮頸がんの一歩手前であるこ とを告げられた小林容子さん ( 39 歳)。
「がんになっても切除すれば 完治できる。
でもふつうの妊 娠・出産は望めなくなってし まう」。
頭が真っ白になった といいます。
医師には「この 先、お子さんを望むのであれ ば、早く結婚して妊娠を」と いわれるものの、当時お付き 合いしている男性もいませんでした。
「もう子どもは望めないか も」。
つらい現実と向き合う容 子さんとは対照的に、周りの 友人はすでに結婚し、子育て の真っ最中。
そんな友人とは 距離を置くようになり、「嫌な 自分でした」と振り返ります。
しかし、2年後に思いが けない出会いがおとずれま す。
休日にたまたま手伝って いた実家のお店で、 18 歳年上 のご主人から食事の誘いを受 け、交際に発展。
2回デート を重ねた後、容子さんはご主 人に、子宮頸がんの疑いで通 院中であること、早く結婚して子どもを望んでいることな ど、心の内をすべて打ち明け ました。
それを聞いたご主人 は、容子さんの通院に付き添 い、医師の話を聞くと「それ なら早く結婚して、子どもを つくろう」とプロポーズした といいます。
お互いを思いやり 二人三脚での不妊治療
その5カ月後、二人は結婚。
同時に不妊治療をはじめま す。
しかし、2回のタイミン グ法と3回の人工授精にチャ レンジするも思うような結果が出ません。
実は、ご主人が 結婚前から男性の更年期障害 を患い、ホルモン治療を受け ていたために、精子の形成が むずかしくなっていました。
さらにご主人のお母さまの介 護も重なり、不妊治療への負 担は大きかったといいます。
「主人は自分のせいで結果が 出ないと思い、はがゆさを感 じていたようでした。
心身と もにつらかったと思います」。
一方、容子さんも不妊治療へ の期待が大きく、結果を聞く たびに落ち込みました。
そん な時、「できないものはしょ うがない。次でいいじゃない」。
容子さんのお母さまと お姉さまの明るい励ましに支 えられ、気持ちを切り替えら れたといいます。
「先生を信頼していれば大丈 夫」その思いを支えに、漢方 やサプリメントを取り入れた り、食事を工夫して夫婦で体 質改善に取り組みました。
「と にかく夫婦で必死でした。
主 人は私のお願いをなんでも聞 いてくれる人。
大変な思いを させているぶん、主人のため にできることをしようと思い ました」。
更年期障害や介護 の負担を和らげるため治療の 話をなるべく控えたり、時には、容子さんが実家に行き、 ご主人が一人になれる時間を つくるようにしました。
顕微授精の大きな決断 まさかの偶然が…
そして1年後、顕微授精に ステップアップします。
する と1回目の治療で妊娠が判明。
さらに妊娠がわかった日は、 ご主人のお誕生日。
「もっと時 間がかかると思っていたし、 あまりの偶然にびっくりしま した」。
早速、ご主人に電話で 結果を伝えると、一気に力が 抜けた様子だったとか。
実は、 少し前にお母さまを亡くし、大きな喪失感と喜びに同時に 直面することになったご主人。
そんなご主人の複雑な思いを 察し、「つわりでつらくても主 人の前では弱音を吐かないよ うにしていました。
私が子ど もを欲しくて望んだことだか ら」と容子さん。
そして安定 期に入ると、ようやく容子さ んの体調とご主人の気持ちも 安定。
二人で赤ちゃんを迎え る準備を楽しめるようになっ たといいます。
一時は、二人が高齢である ことに不安を感じ、羊水検査 を考えたこともありました。
そんな時、「ここまで不妊治療 を続けてきて、簡単に子どもを諦められる?
もっとどん と構えて」。
友人の言葉にはっ とさせられたといいます。
「何があっても受け止めよう。
でも大丈夫。
元気に産まれて くれる」。
お腹をさすり、赤 ちゃんにこう話しかけていま す。
妊娠9カ月になったいま、 容子さんは笑顔でいいます。
「私たちは恋愛期間もなく、こ れまで不妊治療や家族の介護 で、夫婦らしい時間がほとん ど持てませんでした。
いまこ うして二人で産まれてくる子 を待つ時間がすごく幸せ。
主 人に感謝しています」