「妊娠や出産は誰でも自然にできること」 流産や不妊治療を経験して、 それが当たり前ではないことがわかりました。
「いつか妊娠できる」、 そんな思いで続けてきた不妊治療。
やっと出会えたわが子を抱きながら、 さくらさんが今までの経験を振り返ります。
9週目での流産、希望の仕事も失い……
「こんにちわぁー!」と元 気な笑顔で取材場所に現れ た横沢さくらさん(仮名・40 歳)。
その隣には、やはり ニコニコと優しそうな微笑 みを浮かべるご主人の健司さ ん(仮名・ 40 歳)が。
健司さ んの腕の中では、クリクリと した大きな瞳の可愛らしい男 の子が興味深そうにこちらを うかがっています。
男の子は昨年の4月、こ の世に生を受け、横沢家の 家族の一員になりました。
こうしてお父さんとお母さ んに出会うまで、6年間。少し時間がかかったけれど、 その分、今、家族3人でと ても濃密で幸せな時間を過 ごしています。
健司さんはさくらさんよ り1学年下。
共通の趣味で あるスノーボードがきっか けで知り合い、出会ってか ら4年後に結婚。
さくらさ んが 31 歳の時です。
「もう 30 歳を超えていたし、 二人とも既婚の兄と姉がい ましたが子どもがいなかっ たので、親からの“孫! 孫!”というプレッシャー が半端じゃなかったですね (笑)。
私は、それまではホテ ルに勤めていましたが、勤 務時間や休みが不規則だったので、結婚を機に退職し、 早く子どもをつくろうと 思っていました」(さくらさん)
欲しいと思い続けていた ら、結婚の約1年後に自然 妊娠。
「実はその頃、ホテル学校 の非常勤講師の仕事に就い ていました。
すごくやりた かった仕事で、やっと希望 の職種に就けたと喜んでい たんです。
4月に就任して、 妊娠がわかったのは6月く らい。
体調も少し悪くなっ てきましたが、授業は突発 的に休めません。
悩みまし たが、仕事より、やっぱり 赤ちゃんのほうが大事。
講 師を辞めて体をいたわることに専念しようと思った矢 先、稽留流産してしまった んです」(さくらさん)
妊娠9週目で医師から「赤 ちゃんの心拍がない」と告 げられたさくらさん。
「とても落ち込みました。
私のせいで赤ちゃんが死ん でしまったのかもしれない。
そして仕事も失ってしまっ たというダブルのショックで した。
掻爬手術の後はずっと 家にこもって、することもな いので、“これからどうしたら いいんだろう?”ということ ばかり考えていました」
一方、ご主人の健司さん はあまりくよくよとは考え なかったとか。
「まだ妻は年齢的に若いの で、僕は“次に頑張ればい いよ”と思っていました。
いつかは絶対赤ちゃんを授か れると思っていたので、ここ で止まらないで、次の妊娠へ と気持ちを切り替えるように したんです」(健司さん)
さくらさんも、ご主人の 言葉に救われていったとか。
「顔を合わせるたびに、主 人は私に“まだ大丈夫、ま だ大丈夫!”って言うんで す。
初めは体も心も疲れて いたので、“そうじゃないよ” と反発していたけれど、言わ れ続けていたら“ああ、そう かな”って前向きに思うよう になりました」(さくらさん)
人工授精を続けて 12 回それでも妊娠できるはず
その後、体調は順調に戻 り、翌年には基礎体温をつ け始め、自己タイミングを とるようになったとか。
と ころが、半年経っても妊娠 の兆候はなし……。
「もしか したら何か不妊の原因があ るのかも」と思ったさくら さんは、ちょうど家の近く にオープンしたレディース クリニックを受診すること にしました。
「子宮卵管造影や血液検査 では異常なし。
その時、年 齢は 33 歳になっていました が、医師から“まだ平気”と 言われて、まずはタイミング法から入って半年間続け、 その後は人工授精に6回ト ライしました」 治療の間、さくらさんの お父さんとお母さんが続け て病気で倒れ、その看護を したり、パートも始めるよ うに。
気がついたら通院し 始めて1年、2年……と月 日が経っていました。
「焦りつつも、その時は“早 くステップアップしなく ちゃ”とは思いませんでし た。
私には昔から固定観念 のようなものがあって、“赤 ちゃんは自然にできるはず なのに、何で手を加えなく てはいけないのだろう”と 思っていたんです。
それに、一度は自然妊娠 しているから絶対できる と、変な自信みたいなもの があって。不妊の原因が不 明ということも、そういう 気持ちにさせたのかも。
体 外受精や顕微授精など、イ ンターネットで不妊治療の 情報はいろいろ見たけれど、 自分には関係ないと思って いたんです。
人工授精を6回以上くり返 しても妊娠の確率は上がらな いと言われながらも、その後 も5~6回続けていました」 (さくらさん)
確かに自分の過信もあっ たけれど、同じ治療を続け ていても毎回「まだ平気」 としか言わず、新たな治療 法も提案してくれなかった 医師に少し疑問を感じ始め たさくらさんとご主人。
思 い切って、一駅離れたとこ ろにある、妊娠率の高さを 誇る不妊専門クリニックに 転院することにしました。
“当たり前”ではなくやっと出会えた赤ちゃん
「その時にはもう 35 歳を過ぎ ていましたが、ホルモン値を 調べて異常がなかったので、 やはりそこでもタイミング法 6回、人工授精を6回するこ とに。
その後は、先生から体 外受精へのステップアップを提案されました。
年齢的なリ ミットが近かったので、さ すがに体外受精への抵抗は消 え、夫も“高度な治療ができ るなら頑張ってみようよ”と 言ってくれたので、トライす ることになったんです」(さ くらさん)
初めての体外受精はロング 法による卵巣刺激で、採れた 卵子は 16 個。新鮮胚を2個移 植しましたが、残念ながら妊 娠しませんでした。
凍結した 胚盤胞が3個あったので、2 度目の移植では胚盤胞を移植 することに。
「妊娠判定の結果は陽性。
も う落胆するのは慣れていたの で、自分の気持ちはごまかせ るようになっていて、どちら でも平気とクールに構えてい たのですが、先生に“おめで とう”と言われた時は、涙が ワーッと溢れてしまいまし た」(さくらさん)
前回の妊娠では流産という 結果になったので、今回は慎 重に、つわりが出る3カ月く らいまでは身内にも妊娠を報 告しなかったというお二人。
昨年の4月、出産予定日と なってもなかなか子宮口が開 かず、帝王切開で出産。
赤ちゃ んの呼吸が弱く、その後、入 院することになり、 10 日後に 家族そろって家に戻ることが できました。
「子どもを産む前は、妊娠も 出産も当たり前のことだと 思っていました。
でも、そう じゃないということがよくわ かりました。
こうして、やっ とこの子に会えたんです。
流 産や不妊治療はつらいことで したが、私の偏った考え方を がらりと変えて、より家族や 夫婦の絆を強くしてくれた と、今はその経験に感謝して います」(さくらさん)