【体験談】不育症を乗り越えて ~前編~

妊娠するのにお腹の中で育っていかない…… つらい思いも治療の大変さもわかってくれる。

いつも寄り添ってくれる夫がいたから 「不育症」を乗り越えることができました。

昨年1月に女の子が誕生した マサキさん、カヨさんご夫婦。

不育症とたたかってきた二人の物語を 2回に分けてお伝えします。

妊娠はするのに 流産が2回続いて……

小学校の時は野球、中学以降はソフトボールをやってきたというカヨさんと、やはり小学生の頃から野球に夢中になり、高校は野球の強豪校に入学して甲子園にも出場したことがあるマサキさん。友人の紹介で知り合った二人は、すぐに惹かれ合い、お付き合いするようになりました。

「付き合っている時から結婚後の話をよくしていました。子どもは何人欲しいね、とか、スポーツは絶対させたいよね、とか」(カヨさん)

二人は2009年 12 月に結婚。マサキさんは 28 歳、カヨさんは4 歳年上の 32 歳でした。カヨさんの年齢のことも考えて、子どもはすぐにでも欲しいと思っていました。そして2月にすぐ妊娠。エコーではまだ赤ちゃんの姿は見えず、妊娠の実感はあまりなかったものの、健診を受けた病院からは「この地域は早く予約を取らないと分娩するところがなくなる」と言われ、病院を探しました。嬉しくていろいろな人に赤ちゃんができたことを伝え、名前も考え始めました。

しかし、次の健診でも嚢の中に赤ちゃんの姿は見えませんでした。そして、稽留流産と告げられます。

「妊娠がわかって、わっと舞い上がって、いきなりストンと落ちた感じ。ショックはショックだったのですが、そんなに簡単に流産しちゃうんだと、唖然とした感じでもありました。今思うと、その時はそれほど深刻にとらえていなかった気がします」(カヨさん)

マサキさんにも電話ですぐに伝えましたが、マサキさんもすぐには理解できず、「先生の見間違いではないかと、ずっと思っていた」といいます。掻爬手術を受けるために病院に付き添った時、やっと事実を受け止めることができたそう。

「中学の時の友達も、みんなちょうど結婚して子どもができ始めていました。どうしてうちだけこんなことになったんだろうと、納得いかない気持ちでした」(マサキさん)

そして手術後、体調が回復して先生の子づくりOKが出たあと、すぐに妊娠します。

「妊娠はしやすい体質みたいです。欲しいと思ったらすぐに妊娠はできるんですけど……」

この時も1度目の時とまったく同じ状態でした。8週になっても赤ちゃんの姿が確認できず、稽留流産となってしまったのです。

不育症専門病院で 第 12 因子欠乏症の診断

2度目の流産がわかった時、病院から「3回流産をした方には不育症の検査をすすめています。今は2回ですが、もし希望されるなら専門の病院で検査を受けることも考えられますよ」と言われます。

二人は年齢のことも考えて、検査を受けることにしました。

「このまま妊娠しても、また同じことをくり返すのではないかという不安が大きかったんです」とマサキさん。

カヨさんも「何か原因があるなら知りたいと思いました。このつらい思いをくり返したくはなかった」といいます。

そんな時、カヨさんが高校時代の友人から、“知り合いが何人か不育症専門の病院にかかり、赤ちゃんを産んでいる”という話を聞きます。すぐに予約を取ろうと電話をすると、初診を受けるまで4カ月待ちとのこと。翌年3月の予約でしたが、キャンセルが出て 12 月に初診を受けられることになりました。

まず、エコーで子宮の形を見てもらうと、「子宮が弓状になっていて、着床する場所によっては酸素が行きづらい」とのこと。それが原因かもしれないが、検査をすればもっと詳しくわかると言われ、高額ではありましたが、二人は迷わず検査をお願いしました。採血をして、結果が出るまで約2週間。結果は、一応すべて正常範囲内の数値。

しかし、ある数値だけがやや低いと言われました。それは、第 12 因子欠乏症――。血液が固まりやすく、子宮の中の血流が悪くなるという、不育症の原因の一つです。

グレーゾーンではあるけれど、抗凝固作用の薬であるアスピリンは金額も安く、1日1回服用するだけと大きな負担もなかったので、次の妊娠時に試してみることにしました。妊娠したと思ったら、次の生理予定の1週間前に飲み始め、生理が来て妊娠が成立していなかったら飲むのをやめるという治療方法です。

初めて心拍を確認 しかし再び……

翌年4月、妊娠検査薬で陽性反応が出たため、アスピリンの服用を始めました。これまで通っていた産婦人科病院に診察を受けに行くと、「アスピリンを服用している場合はハイリスク妊娠になるので、ここでは診られない」と言われ、大学病院の周産期センターに転院。エコーで、双子を妊娠していることがわかりました。健診に必要だから役所で母子手帳をもらってくださいと言われ、カヨさんはその日のうちに2冊分もらってきました。

「流産した2人の子たちが帰ってきたんだと思いました。嬉しかったです」(カヨさん)

しかし、嬉しさの半面、内診台でエコーを見てもらうのが毎回怖かったといいます。健診のたびに、その場の雰囲気から赤ちゃんが大丈夫なのか、読み取ろうとしていたそう。何度目かの診察で、初めて心拍が動いているのを確認しました。それは、赤ちゃんたちがチカチカと確実に命を刻んでいる証。アスピリンの効果が出たのだと思いました。

しかし、 12 週の時、その心拍は止まってしまったのです。

「妻からのメールでの報告を見て、すぐに電話をすると泣いているのがわかりました。僕自身も、心拍が見えたらほぼ大丈夫だと本で読んでいたので、つらかったですね」(マサキさん)

「私はただただ申し訳ない気持ちでした。年上の女性と結婚したことで、主人にしなくてもいい苦労をさせてしまっている。それと、両親に対して。私の両親は私のことなので納得できると思うのですが……。
主人のご両親はすごく優しくて、お義母さんも私のせいとは思っていないのはわかっているのですが、私としては自分の責任だという気持ちがあってすごく苦しかったです」(カヨさん)

専門病院の先生に結果を報告すると、「今回心拍まで見えたのは、アスピリンが効いているからだろう」と言われました。普通の妊娠でも双子の場合はリスクが高く、二人とも無事に生まれてくるのは、実は奇跡に近いのだと。今回うまくいかなかったのは双子だったから。次の妊娠もアスピリンだけで大丈夫だと考えていると言われました。

医師の説明を聞いて、二人の気持ちは、また妊娠へと向かっていました。ただその前に、二人の染色体の検査をしてみよう。調べられることはもうそれだけだから。それで、もしも染色体が合わないのなら、子どもはもたない生活を考えようと思ったのです。

 

不育症を乗り越えて ~後編~ はこちら>>

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

不妊治療に関するドクターの見解を取材してきました。本サイトの全ての記事は医師監修です。