不妊治療を開始したのは 40 歳の誕生日

周囲の支えがあったからこそ、この子に出会えました 不妊治療を開始したのは 40 歳の誕生日を迎えた翌月。

厳しい道のりを覚悟して、自分たちにできる 最大限の努力をしようと決意しました。

なんとなく子どものことを先延ばしにして気づけば 40 歳。

養子縁組も考え始めたマトリョーシカさんの背中を押したのは、 「可能性が少しでもあるなら諦めずにやってみよう」という ご主人NOBUさんの一言でした。

目の前のことに必死で、 子どもを考えられない日々

初めて出会った時のマト リョーシカさんは出産を控えて 大きなお腹を抱えていましたが、 二度目の再会となる今日は元気 な男の子を抱っこして、とても 幸せそうな笑顔で待ち合わせ場 所に来てくれました。

「この子に出会えた感動の大き さは想像以上でした。あの時諦 めなくてよかったって、今でも 思っています」

結婚はマトリョーシカさんが33 歳、ご主人のNOBUさんが36 歳の時。NOBUさんが仕事 で携わったイベントに、マト リョーシカさんがお友達に誘わ れてお客さんとして参加したの が最初の出会いで、第一印象は “普通のお兄さん”に対し、NO BUさんは「この人だ!   見つけた !! 」と直感したそうです。

結婚生活は自然な流れでNO BUさんのご両親との同居でス タート。実は当時、お義父さん が末期がんで闘病中だったこと など、さまざまな事情が重なっ ていて、「目の前のことに必死で、 自分たちのことを考える余裕が まったくなかった」というのが 本音だったようです。

一人っ子のマトリョーシカさ んとしては一人でも子どもが欲 しいという思いがあったものの、 心労が絶えなかったNOBUさ んへの配慮からきちんと気持ち を聞き出せないまま、時間だけ が経ってしまいました。

「あえて言わなかったのか、言 えなかったのか……。何度かそ の話題にふれてもスルーされて いるような気がして、子どもは 別にいいって思っているのか なって感じる時もありました」

子どもが欲しいのか、夫婦だ けの生活を望んでいるのか、そ れとも諦めているのか。ちゃん と確かめられないまま、子ども に対して微妙なすれ違いがある のかなという気持ちばかり、マ トリョーシカさんの心の中で大 きくなっていったそうです。

そして迎えた 40 歳の誕生日。
「年齢的に自力での子どもは諦 めようと思う。でも、どうして も子どもは欲しいから、養子縁 組を考えてくれないかと主人に 伝えました」

急展開にとまどいながらも 同じ思いで治療スタート

過去には妊活セミナーに誘っ ても興味を示してくれなかった というNOBUさんでしたが、 養子縁組を考えているというマ トリョーシカさんの話を聞いてから、まるで別人のような変化 が。営業という仕事柄、人脈が 広く、多くの情報をもっていて、 県内でもっとも有名な不妊治療 専門クリニックの存在を以前か ら知っていたNOBUさん。さ らに、そのクリニックで治療し た友人が子どもを授かったこと を思い出したのです。

スイッチが入ると驚くほどの 行動力を発揮するNOBUさん は、「可能性が少しでもあるなら やってみようよ。早く病院に行 こう!」と、言ったのです。

「本当にびっくりしましたよ。 心の準備もあるし、今までの 悩みは何だったんだろうとか、 ちょっとパニック(笑)」とマ トリョーシカさん。「今となっ てはすべて笑い話」なドタバタ 劇を繰り広げ、2015年8月、 マトリョーシカさん 40 歳、NO BUさん 43 歳で、二人の不妊治療がスタートしました。

初診年齢 40 歳の決意。 できるかぎりの努力を

初診に出向き、基本的な検査 をひと通り受けた二人。予想は ある程度できていたものの、不 妊の原因だと考えられる要素は 年齢以外にもいろいろと判明し たそうです。

喫煙者だったNOBUさんは、 精液検査の結果、精子の量や数 は十分ながら運動率が悪いと指 摘されました。マトリョーシカ さんは月経が2カ月に1回の ペースで「自分は 40 日周期なの かなと特に心配していなかった」 そうですが、この月経不順は多 嚢胞性卵巣症候群が原因と診断 されました。また、体重は今より 10kg ほど重かったそうで、糖 尿病になりやすいと指摘された ためダイエットにも真剣に取り 組みました。

「四十の手習いではないけれど、 この年齢になって初めて母親を 目指すというのは本当に大変な ことだと自覚していたし、お金 がかかるのも覚悟のうえでした。 若さは取り戻せない。でも、最 大限できることをするんだと、 決意を固めました」

初の体外受精で妊娠反応も 子宮外という悲しい結果

年齢的に時間の余裕はないも のの、可能性を探る意味も込め てまずはタイミング法を3回。 妊娠には至らなかったのですが、 卵管造影検査では特に問題が見つからなかったので次のステッ プは体外受精を選択しました。

多嚢胞性卵巣症候群は、卵巣 過剰刺激症候群など副作用の注 意が必要ですが、その反面、卵 子がたくさん採れるから、妊娠 できる確率が高いという嬉しい 情報も。マトリョーシカさんは 7回採卵して、毎回 10 個以上の 成熟卵胞が採卵できたそうで、 特に初回のグレードのよさには 主治医も驚いたそうです。

初めての体外受精は2016 年2月。翌月に妊娠反応があり、 こんなに順調でいいのかなと 思っていたマトリョーシカさん でしたが、出血。流産かもしれ ないと掻爬してもなお反応があ り、結果は右側卵管への異所性 妊娠(子宮外妊娠)が認められ ました。それから 2 カ月後、1 つ残っていた凍結胚盤胞で移植 を試みることにしましたが、融 解後に分割が進まず、キャンセ ル。治療が急遽スタートしてか ら半年間、両立の難しさを感じ 仕事を辞めてまで、全力で治療 に賭けていたマトリョーシカさ んに瞬間的におとずれた妊娠の 喜びと、直後の子宮外だったと いう悲しみ。次こそはと寄せた 期待もかなわず、ぷつんと気持 ちが途切れてしまいました。

「一度、原点に戻ろうと思いま した。治療をお休みして、いろ んなこともリセットして、前向 きな気持ちになれた時にまた始 めようって……」

ありのままの気持ちを 受け入れて治療再開

治療中はNOBUさんの何気 ない一言でイライラすることも 多く、何度か激しいケンカに発 展したこともありましたが、常 にポジティブな彼の性格に助け られることも多かったそうです。

「不妊治療は女性のほうが大 変っていう思いが強いけど、本 当はお互いなんですよね」

個人差はありますが、女性は 治療のつらさや痛みを口に出せ ても、そうはできないのが男性。 治療の都合で勤務途中に抜ける ことを負い目に感じたり、奥さ んのイライラや悲しみを一人で 受け止めたり、男性も相当なス トレスを抱えています。それで もNOBUさんは明るくマト リョーシカさんを支え続け、時 にはケンカをしてしまうことが あってもお互いの気持ちを常に 確かめ合えるようにリードして くれたそう。

「やっぱり子どもに出会いたい、 このままやめたら必ず後悔す るって思いました。前向きにな んて簡単になれるものじゃない し、迷ったり苦しんだりするの も当たり前でいいじゃないかっ て思えるようになって、治療を 再開することにしました」

治療費を少しでも増やすため、 仕事を探し始めましたが、治療 のことを伝えると断られるなど 苦戦します。次に、馴染みのお豆腐屋さんでバイト募集してい ることを知り、ダメ元で面接を 受けに行くと、即OKしてもら えたそう。実は、お店のご主人 も治療経験があり、その大変さ を熟知していたのです。

「偶然だったけど、本当にラッ キーでした。理解してもらえる ことに感謝して、頑張る意欲が さらに湧いてきました」と語る マトリョーシカさん。約 9 カ月 間休んでいた治療を再開して、 新鮮胚と凍結胚の移植を試みて もなかなか妊娠できません。で も、 43 歳までは可能性があるか ぎり頑張ろうと決めていた二人 は、以前よりも積極的に治療に 取り組み、2017年8月の凍 結胚移植でついに妊娠反応が確 認されました。

周囲の支えに感謝して 大切に育てたい

グレード3だから厳しいかも という印象だったという凍結胚 盤胞。着床しないかもしれない というマトリョーシカさんの心 配をよそに、抜群の生命力で お腹にしがみつき、予定日より 2週間ほど早く無事に生まれた 3132g の男の子の名前はS OSUKEくん。
「いろんな人に助けられ巡り合え た子どもだから、人を助け、助 けてもらえる子に育ってほしい」

そんな夫婦二人の思いを込め てつけた名前だそうです。

>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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