夫の子どもを産み育てたい 早発閉経に苦しむ日々を 前向きに乗り越え、 卵子提供でつかんだ幸せ。
不妊治療を始めてすぐ早発閉経が判明。卵子提供の選択に迷うなか、 夫からの「生まれてきたら我が子」という言葉に背中を押され台湾の クリニックを訪問。
その 1 年後、念願の母になることができました。
26歳で早発閉経が発覚 クリニックに通う日々
高校生の時に、生理が止まっ てしまい、薬で生理を起こして いたというさやさん(仮名)。医 師から「いずれは不妊治療をし なければならない」と言われな がらも、実感のないまま学生時 代を過ごしました。不妊治療を 意識したのは、 26 歳で結婚して からのことです。地元のクリニッ クを訪れたさやさんは、そこで 初めて自分の体に起こっていた ことを知ります。
「AMH の値が出ず、計測不能 だと言われました。つまり私の 体には卵子が一つも残っていな いということ。早発閉経だと診 断されました」
不安にかられながら地元の大 学病院でセカンドオピニオンを受けましたが、結果は同じ。地 方では同様の患者は少ないため、 東京にある早発閉経専門のクリ ニックに通うことになりました。 飛行機と電車を乗りついでクリ ニックに通い、排卵誘発をし続 けましたが期待する結果はなか なか出ませんでした。通院のス トレスもあいまって心が折れそ うになったことも。
「後悔はしたくなかったんです。 だから、できることは全部やり 尽くしたいという気持ちで頑張 りました」
ご主人の前向きな言葉で 決めた卵子提供
決して受け身にならず、自分 から情報を集めて勉強する過程 で、卵子提供のことを知ります。 通っていたクリニックでも早発閉経で悩む人が多いことから卵 子提供を選択する人は珍しくあ りませんでした。地元の大学病 院の医師に相談したところ、反 対する人もいましたが、賛成す る人も。何より、一番にさやさ んの背中を押してくれたのがご 主人からの「生まれてきたら、 俺たちの子じゃないか」という 言葉でした。
「それまで私は、倫理に反した ことをしようとしているかもし れない、と思っていましたが、 夫の楽観的な言葉を聞いて一気 に肩の力が抜けちゃったんです」
卵子提供を依頼する候補とし て、アメリカ、台湾、マレーシア などの選択肢がありました。そ のなかで、渡航時間が短く、予 算も比較的安く済む台湾を選択。 過去に夫婦で訪れたことがあり、 よい印象を受けていたのもポイントでした。数あるクリニック のなかでも、日本語が通じるこ とと、最新設備が揃っているこ とから、まずコウノトリ生殖医 療センターへ問い合わせたさや さん。突然メールを送ったのに もかかわらず、丁寧な返事があっ たことで、安心して訪問を決め たそうです。
確かな医療技術と ホスピタリティに安心
初めて問い合わせをしてから 2カ月後、台湾を訪れたさやさん夫 婦は、施設のきれいさ、最新設備 の素晴らしさ、そして何より、ス タッフのホスピタリティと確かな 医療技術に感動したそうです。
「最初にメールで問い合わせた 時に対応してくれた方が最後ま で担当してくれました。ほかの 皆さんもすごく親切で、私たち 夫婦に寄り添ってくれているの が伝わりました。そして台湾の 医療レベルの高さにも驚きまし た。正直、技術は日本のほうが 上だろうと思っていたのですが、 日本で治療を受けるのと変わら ず、安心してお任せすることが できました」
地方から東京のクリニック に通っていたさやさんにとっ て、台湾に行くことは苦ではな く、しかも訪れたのは 2 回だけ。1 回目は卵子提供に関する書類 の提出と、夫の採精でした。帰 宅してからもメールでのやりと りが続きました。一番ナイーヴ になりやすいのが卵子提供をしてくれるドナーの選定。少しで も自分に似ていたほうがいいと 思ったさやさんは、事前に自分 の写真を何枚もメールで送付し たそうです。
早産のトラブルを経て 念願の母になれた
その後、ホルモン剤で調整して いる間に 3 周期が経ち、センター の担当者からドナーが決定した ことの連絡が。何かあればその 都度メールでの連絡があったこ とも安心でした。採卵の数が 18 個だったという連絡を受けて期 待を膨らませ、体外受精をして 胚盤胞が 3 つ育ったという写真 付きのメールを見た時は、いよ いよ母になれる、という実感が 湧いたそうです。そうして訪れ た移植の日は、さやさん一人で 台湾へ。移植の翌日には、自宅 に戻ることができました。
「初めての移植でしたが、私自 身はあまり緊張していませんでした。胚盤胞が 3 つあったこと で安心していたのかもしれませ ん。また、事前に日本で不育症 の検査をしていたので、移植を すればまず大丈夫という気持ち もありました」
着床は良好で無事に妊娠。そ れから出産までは、地元の大学 病院に通うことに。
「妊娠してしまえば、それが卵 子提供によるものかは関係な く、ほかの妊婦さんと同じよう に診てくれます。私自身も、妊 娠できたことが嬉しすぎて、我 が子を迎える普通の妊婦として 過ごすことができました」
妊娠中はつわりを経験しな がらも「つわりのつらさも含 めてすべてが幸せでした」と 話します。そうして無事に臨 月を迎える予定が、 25 週目で 破水してしまうというトラブ ルが発生。なんとか無事に分 娩できる周期まで持ちこたえ、29 週目に早産ながらも帝王切 開で出産できました。生まれた時の体重は1000 gほど。 初めて見る我が子のあまりの小 ささに「子犬みたい」だと驚き ましたが、今ではすくすく育ち、 生後半年を過ぎると6 kg のどっし りと大きな赤ちゃんになりまし た。ご主人にそっくりの我が子 を抱いてさやさんは言います。
「母になりたかったのはもちろ んですが、私の遺伝子は残らな くてもやっぱり主人の子どもを 育てたいという思いが強かった と思います。早発閉経という切 羽詰まった状態だからこそ、迷 わず卵子提供という選択をして、 我が子を抱くことができました。 立ち止まらずに行動していたの は、とにかく後悔したくなかっ たから。やりきった末に、今が あるんだと思います」
幸せは待っていてもやってこ ない、自分でつかみ取るもの。能 動的に情報を取りに行き、あらゆ るクリニックの門を叩き可能性 を探ってきたさやさんに、成功 の秘訣を教わった気がしました。
治療を振り返って
「卵子提供で授かった命は 紛れもなくご夫婦の子どもです」
さやさんは早発閉経により子宮が萎縮 していたため、移植の前にホルモン補充 療法による治療が必要でしたが、3カ月 にわたる治療をご主人と共に乗り越え、 1度目の移植でお母さんになることがで きました。日本から送られてきたさやさ んが赤ちゃんを抱いた写真を見て、私も とても幸せな気持ちになりました。
卵子提供治療では、精子はご主人のも のであり、赤ちゃんはお母さんのお腹の 中で9カ月を過ごした後に誕生します。 十数年にわたり卵子提供による治療をし ていますが、さやさんと同様に、ご夫婦 は皆様幸せそうです。ご夫婦は、初めは 子どもが自分たちに似ていなかったらど うしようと心配されますが、私は生まれ た子どもがご両親にまったく似ていない と感じたことはありません。
多くの赤ちゃんが当院の卵子提供治療 で誕生しています。早発閉経や卵子の老 化で悩んでいる方も、ご夫婦で支えあえ るなら諦める必要はありません。