情熱のカルテ 高橋克彦先生

広島HARTクリニック、高橋克彦先生。不妊治療に携わることになった理由や それにかける想いなどをお聞きし、 ドクターの歴史と情熱を紐解きます。

新しい生命の誕生に 携わる感動を知り、 運命に身を預けた人生

運命に導かれるように 生殖医療の道へ

―― 先生が生殖医療の分野を志したきっかけは何だったのですか?

「2010年にノーベル生理学•医学賞を受賞されたイギリスのエドワーズ教授が、世界で初めての体外受精に成功したのが1978年。

以後、生殖医療の黎明期が、私が将来の目標を探していた時期と重なっていきました。

私はいわゆる団塊世代の生まれです。

幼い頃からアメリカにとても憧れていました。

小学生の時に、広島の映画館で初めてカラー作品の洋画『十戒』を見て、こりゃあ、すごい国だなと度肝を抜かれた。

最初の動機は不純だったのかもしれませんが、医師になるということ以前に、中学生の頃には、漠然と将来はアメリカに行って勉強してみたいと考えていました」

―― そして、夢が叶ったのですね。

「そうですね。慶應義塾大学医学部を卒業し、米国空軍立川病院で1年間インターンを経験しました。

当時、私は外科を希望していたのですが、ベトナム戦争の最中ということでお産が多く、産婦人科医の手が足りずによく分娩に立ち会っていました。

そこで生命誕生の神秘に触れたことが、まさに私が周産期の分野へと突き進むきっかけとなったのです。

26 歳で念願が叶ってアメリカへ。

アメリカで医師免許を取得し、一時は永住も考えました。

しかし、私は長男なのでやはり帰国しないわけにはいかないなと。エドワーズ博士による世界初の体外受精児誕生のニュースを聞いたのはシカゴでした」

初の体外受精で誕生した命を 見守ることができる幸せ

―― 生殖医療に長年関わってこられて、一番嬉しいのはどんなことでしょうか。

「それは、やはり新しい生命の誕生に携わる仕事だということの喜びですね。

それに、目の前に困っている患者さんがいれば、何とかしたいという強い気持ちが起こり、その思いや熱意が医療へのモチベーションを上げていきます。

一番の例が顕微授精です。

当時は体外受精の適応は卵管に問題があるカップルのみで、精子に問題がある症例では受精しないことがわかっていましたので、対象にはなっていませんでした。

その後、精子は正常な原因不明不妊カップルにも体外受精を行うようになると、まったく受精しないカップルが少なくないことに気が付きました。

その頃、海外で顕微授精の報告が出始め、私も顕微授精の重要性を感じ、勉強を始めました。

しかし、このような先端技術を総合病院で実施することは困難と思い、開業して、現在では当たり前の培養室を作り、胚培養士を教育して実施に踏み切ったのです」

―― 先生は初めての体外受精で世に送り出したお子さんと、今も交流があるそうですね。

「ええ。今春、大学を卒業して社会人になりました。

かわいい女の子なんですが、今は自分の娘以上に気にかけていますよ(笑)。

彼女が高校生の頃、スポーツ大会で中国地方のチャンピオンになった時は本当に嬉しかった。

お産まで手掛けていたので、ご本人も昔から『お母さんがお世話になっている先生』くらいの意識はあったと思いますが、母親から体外受精による出生の経緯を聞いて、丁寧なお礼の手紙をくれた時は、とても胸が熱くなりました」

後継者の育成が これからの自分の役目

―― 今後、生殖医療はますます求められる時代になるでしょうね。

「2000年を過ぎた頃から、日本の生殖医療は円熟期に入りました。

不妊治療を行う施設が増えて、多胎を防ぐことやスタッフの育成など、品質管理がますます問われるようになってきます。

品質管理の向上には施設の内部だけでなく、外部からの監査が必要です。

そこで、オーストラリアの生殖医療施設認定制度をモデルに、2003年、全国の志を同じくする同業者による団体、『JISART(日本生殖補助医療標準化機関)』を設立しました。

私は初代理事長として運営に携わりましたが、2年前に退任。

自身のクリニックも今年から最前線を退き、後継者の育成に力を注いでいます。

今後、生殖医療の患者さんの高齢化は、さらに進んでいくことが考えられます。

しかし、婚期や子どもを望む年齢が上がっていっても、ヒトとしての生殖の適齢期は変わりません。

子どもが欲しい方は、できれば 40 歳までの妊娠を考えてほしい。

そのためにはその事実を周知のものにしていくことも必要だと思っています。

また近年、生殖医療を目指す若手の産婦人科医が減っていることも心配ですね。

私たちのような生殖医療の専門施設には、若手の医師を教育する責務があります。

一線を退いたのもそのため。

教育や後進の育成などの分野で、これからはもっと自由な立場から活動していきたいですね。

高橋 克彦 先生 慶應義塾大学医学部卒業。インターン時代に 立ち会ったお産に感激し、産婦人科医を目指す。 1990年に日本初の体外受精専門外来クリニッ ク、高橋産婦人科を開業。後に広島HARTク リニックと改名。2000年、東京HARTクリニッ ク開設。「日本初」の実績を次々と打ち立て、 日本の不妊治療界をリードする。
>全記事がドクター編集!

全記事がドクター編集!

不妊治療に関するドクターの見解を取材してきました。