夫婦で乗り越えた不妊治療

「卵巣手術から体外受精へ。 気持ちの持ち方を大切に、 夫婦で乗り越えた不妊治療」

20 代の後半に、右側の卵巣手術を行っためぇさん。

医師からはすぐに体外受精による治療を提案されましたが、 事前に情報収集をしていたため、驚きや迷いは少なかったようです。

「絶対に妊娠できる!」という根拠のない自信、 そしてダメでもともとという気持ちで挑んだ体外受精は、 1回目の採卵、胚移植で見事に成功しました。

卵巣嚢腫のため20 代で卵巣を手術

20 代の後半に、重症化した 卵巣嚢腫を取り除くため、右 側の卵巣を部分的に切除した めぇさん。

当時、交際中だっ たご主人とは「子どもができ たら結婚しよう」と約束し合っ ていましたが、妊娠には至ら ず、 31 歳で結婚することにな りました。

「結婚すると、周囲に必ず『子 どもは?』って聞かれますよ ね。

手術をした後は体調もすご くよかったんですけど、結婚 後、手術した病院で不妊の原 因をいろいろ調べていくうち に、卵管に水腫があることが わかりました。

主治医の先生から、『卵管が詰まっているか らこのままでは自然妊娠は難 しい。

うちには不妊外来がな いから、一度、専門医に相談し たほうがいいと思うよ』と言 われ、紹介されたのが『英ウィ メンズクリニック』でした」

治療を決意したのはちょうど 33 歳のとき。

35 歳を目前に して焦り始めていためぇさん だったが、緊張しながら訪れ たクリニックでは、思ったよ りも周囲の患者さんの年齢層 が高くて少しホッとしました。

「治療してダメだったときはダ メだったときのこと。

自然に 任せて待っているより、チャ レンジしてもできなかったら、 そこで諦めたらいい。

とりあ えず行ってみるか!」。

ダメでもともと、どこかそんなすが すがしい気分でした。

医師からは 体外受精の治療提案が

以前の病院のMRI検査で 卵管水腫と診断され、両側の 卵管が閉塞した状態だったの で、医師からはすぐに体外受精による治療が提案されまし た。

「いきなり『それではいつ にしましょうか?』という感じ でしたが、驚いたり迷ったり することはありませんでした。

図書館へ行って体外受精につ いて自分なりに調べるなどし て、その内容を主人に教えて あげたりしていましたので」

次の生理周期を待ち、約1カ月後に排卵誘発からスタート。

自己注射も経験しました。

初 回の採卵で受精した2個の受 精卵のうち、1個が順調に成 長し、それを初期胚の段階で 子宮へと戻したところ、順調 に着床。

ダメでもともとの気 持ちで挑んだ体外受精は、1 回目の採卵、胚移植で見事に 成功しました。

「通院期間は5カ月ほど。全て がすごく順調でした」と、めぇ さん。

ご主人には「体外受精 をしたから必ず生まれるとい うわけではない。これはすご いことなんだよ」とあえて説 明したくらいでした。

「妊娠がわかったときはもちろ んですが、受精卵が順調に分 裂する様子を写真で見たときは、『ここから進んでいくんだ な』と思って一番嬉しかったで すね。

今でも写真を大切に持っ ています。移植の瞬間はモニ ターで。

『今、赤ちゃんがお腹 に入った!』と思いました」

母になるためと思えば、 禁酒も減量も頑張れた

妊娠に向けて、最も努力した のが、禁酒と減量でした。

血液 検査の肝臓の数値から、「お酒 の飲み過ぎかな。

それとも甘い ものが好き?

出産にも影響す るので減量したほうがいいです よ」と、最初に先生からやんわ り注意を受けためぇさんは、3、 4カ月ほどで約 10 kg の減量に 成功しました。

「お酒は今も大好きなんです が、妊活中はもちろん禁酒。

お 酒をやめたら食べる量も減っ て、自然と、苦しくなく、痩 せていきました」

電車は前の駅で降りて、ひ と駅分よけいに歩き、食べ物 も玄米や雑穀、青汁、豆乳と、 体によいものを選んで献立を 考えるようになり、体重はみ るみる落ちていきました。

「なぜか私は『絶対に妊娠でき る!』という根拠のない自信が あったので、今はその手続きを 踏んでいるんだと思えば、不思 議とつらくなかったですね」

当時、彼女は介護福祉士とし てハードな仕事と通院を両立 していましたが、通院の日は 重い気持ちや、マイナスの気 分を払拭するための「リフレッ シュの日」ととらえるように。

診察が終わった後はショッピ ングなどを楽しみ、いつも気 持ちに余裕を持つことを心が けていたといいます。

いいタイミングで 専門医と出会えてよかった

めぇさんがご主人と知り 合ったのは、およそ 10 年前の こと。

当時、彼女の働いてい たお店に、一人暮らしのご主 人がよくご飯を食べに来てい ました。

ほとんど毎日のよう に顔を合わせるうちに、大ら かで優しい性格のご主人に惹 かれるように。

振り返れば、子どもが生まれ るまでの 10 年間は、卵巣嚢腫の 手術、仕事、結婚、不妊治療と、 慌ただしく過ぎていきました。

今は仕事も休んで、愛娘と家族3人の信じられないほど穏やか な毎日だそうです。

「 35 歳が一つのボーダーライン ととらえていたので、早く治療 しなければと焦っていたのは事 実ですね。

でも、いいタイミン グで専門医を紹介されて、早い 時期に、いい流れで治療できた なと思っています。

仕事も大変 な時期だったけれど、通院が嫌 だと思ったことは一度もありま せんでした」

交際中から折に触れ、「子ども はできなくてもかまわない」と 言ってくれていたご主人にも救 われました。

知人に子どものい ない仲睦まじい 50 代のカップル がいて、「こういう夫婦の関係も いいよね」と、二人で話したこ とも。

そんな日々が懐かしく、 愛おしく思えるほど、今は三人 で幸せをかみしめています。

fromドクター 治療を振り返って

35歳以下での訪院、治療の決断が 初回の初期胚移植で成功を導くカギに

英ウィメンズクリニック 山田 聡 先生
卵巣嚢腫のせいで卵管に問題があり、不妊期間が2年を越えていたことから、前院の婦人科の先生は 体外受精を勧められたのでしょう。卵巣嚢腫は再発する可能性が高いので、再発する前に早めに専門医 の受診をと提案されたのかもしれません。めぇさんの場合、おそらく手術の影響で、卵巣予備能の指標となるAMHの値が2.81ng/mLと決し て高くはない状態でした。排卵誘発は、クロミフェンとHGC注射を併用する、いわゆるマイルド法。結果、2個の採卵で、そのうち1個の受精卵を7分割の初期胚で移植することになりました。子宮側の環境に問題があれば、凍結して時期を改めるのですが、彼女の場合は特に問題なく、せっか く育った1個の胚を大切にしようということで行った初回の初期胚移植がよい結果につながりました。 やはり35歳以下という年齢によるところが大きいと思います。卵巣や卵管の問題を自覚し、早期に相 談していただいたことがよかったのではないでしょうか。妊娠中の減量についても彼女は頑張られたようですね。私たちの不妊治療は、決して妊娠をゴールと は考えていません。糖尿病、甲状腺疾患、肝機能障害などの症状は妊娠中に重くなりますから、そうす ると早産の原因になったり、出産後の母体の健康状態を損なう可能性もあるのです。妊娠中のトラブル を少しでも減らすためにも体重のコントロールは重要です。
>全記事、不妊治療専門医による医師監修

全記事、不妊治療専門医による医師監修

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