男性不妊、不育症を7年の治療で克服

諦めたら終わってしまう。 「いつかは光が見えるはず」と 二人でひたすら前に進んだ日々

長い長い治療を乗り越え、 この秋、出産を迎えるフミさん。 ご主人とともに歩んできた軌跡を 今号と次号で振り返ります。

不妊治療を前提に決めた結婚 検査では問題ないはずが……

フミさんがご主人と出会ったのは、 25 歳の時。

友人に誘われて障害者スポーツの車いすバスケットを見に行ったのですが、彼はその選手の一人でした。

その後、フミさんもチームのお手伝いをするようになり、二人は知り合いに。

特にお付き合いをすることもなく友人関係のまま5年が過ぎましたが、フミさんが 30 歳を迎えた頃、二人でたまに食事に行くようになりました。

物静かで話をよく聞いてくれて、ここぞという時にはしっかり発言する彼の男らしさに、フミさんはどんどん惹かれていきました。

彼もまた、明るく前向きなフミさんに、特別な思いを抱くように。

「私の年齢が 30 歳を超えていたことや、彼の体のこともあり、〝付き合うなら結婚しよう。

結婚しないなら付き合うのもやめよう〞と話していました」

最初は反対していたフミさんのご両親も、彼の人柄を知るにつれ、結婚を喜んでくれるようになりました。

29 歳の時に事故で脊髄を損傷した彼が男性不妊であることは、最初からわかっていました。

不妊治療でしか妊娠はできないとわかっていたので、結婚前に、彼は精液検査を受けに病院に行っていました。

その時は電気刺激で精子が採取でき、運動率もあったので、治療を始めればすぐに妊娠できるのではということでした。

付き合い始めて9カ月後に二人は結婚。

そして、すぐに不妊治療を始めます。

最初は、ご主人が精液検査をした病院で紹介された総合病院に行くことにしました。

ご主人から電気刺激で精子を採取し、フミさんは毎日注射を打って採卵。

すぐに顕微授精して、その周期で胚移植をして退院という治療でした。

1回目は結果が出ず、2回目の顕微授精をしようという時、ご主人の精子が電気刺激では採取できず、TESE(精巣内精子回収術)を行うことに。

しかし精子が見つからず、病院の医師から心ない言葉で「妊娠は諦めたほうがいい」と告げられます。

「治療の方法はきっとまだあるはず。ここで諦めたら、終わってしまう」

二人は転院して、治療を続けることを決意しました。

治療を続けても 結果の出ないまま流れる月日

転院先は、男性不妊にも力を入れている不妊専門クリニック。

以前の病院は、「車いすなのだから男性不妊だろう」というところから始まったので、検査らしい検査もしていませんでした。

そこで、ご主人の睾丸の大きさを測ったり、フミさんの卵巣年齢を調べる、基本的な検査から治療をスタート。

その結果、特に問題はなく、精子が採取できれば妊娠できるだろうということでした。

すぐにMDーTESEを行い、顕微授精7回分ほどの精子が採取できました。

医師は「微動精子が数個あるくらいですが、方法はありますから、できることは何でもしていきましょう」と言ってくれました。

しかし、ここからまた二人の長い治療の旅が始まります。

顕微授精のたびに培養液を変えたり、電気刺激を与えたり、カルシウムイオノフォアを試したりしました。

採卵は毎回行い、3個以上授精したら胚盤胞まで培養して移植、受精卵が少なければ早めに戻す、という方法をとりました。

転院して2回目の顕微授精で初めて陽性反応が出ますが、妊娠5週で化学流産。

その時、医師から、「もしかしたらフミさんが不育症なのでは」と言われます。

血液検査をした結果、抗リン脂質抗体症候群だということがわかりました。

それからは、ヘパリン注射を朝晩打ち、バファリンを飲む日々が始まりました。

3回、4回、5回……と顕微授精を続け、凍結胚移植も行ってみますが、なかなか結果は出ません。

もう一度精子を採取し直したほうがいいということになり、2回目のMDーTESEを行い、さらに治療を続けました。

治療をしていけば、いつかうまくいくのではないか……。

そんな気持ちで、治療を続けていきました。

「子どもを抱かせてあげたい」 強い気持ちでひたすら前へ

長く治療を続けていく中で、フミさんは、治療のたびに自分の体の変化を感じていました。

「ホルモン注射をするたびに生理が重くなっていったり、汗が出るなどの更年期障害のような症状が出たり、急にイライラしたり……。

体によくないことをしているんだなという感じはずっとしていました」

それでも頑張ってきたのは、ご主人が子どもを強く望んでいることを知っていたから。

ご主人は、どんなに仕事が忙しくても、採卵や移植日には付き添ってくれました。

一緒に治療の大変さを共有していたからこそ、結果が出ない時は言葉がきつくなることもあったそう。

しかし、そのたびに二人で話をしたり、旅行に出掛けたりして気持ちを切り替え、乗り越えてきました。

一度、ご主人のほうから「もう治療をやめないか」という話が出たことがありました。

ちょうど医師からも「こんなに頑張って大丈夫?」と心配されていた時期でもありました。

治療回数が多くなり、金銭面でもかなり負担が大きくなっていたこともありました。

しかし、フミさんの中では、諦めきれない気持ちがありました。

「ここで諦めたら、すべてが終わってしまう。

主人に子どもを抱っこさせてあげたい。

主人の両親や私の両親に、孫を見せてあげたい」

彼女の強い思いで、治療は続けていくことになりました。

とはいえ、フミさんにも治療を少し休みたいと思った時期がありました。

それは、治療を始めてから3年が経ち、顕微授精は7回、移植回数は 10 回になっていた頃でした。

フミさんは結婚するまで、保育士として働いていました。

結婚したらすぐに不妊治療を始めたいと思っていましたが、職場で治療のことを理解してもらうのは難しかったそうです。

また、職業柄、下を向くことが多く、首を傷めて医師からストップがかかっていたこともあって退職。

それからは保育の仕事から遠ざかっていました。

少し治療を休みたいと思い始めていたある日、保育園の仕事を広告で見つけ、気分転換に働いてみたいとご主人に相談。

ご主人は快く賛成してくれて、アルバイトで仕事をすることになりました。

この時の保育の仕事が、次の治療に向けた、フミさんの原動力となっていきます。(後編へつづく)

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不妊治療に関するドクターの見解を取材してきました。