情熱のカルテ~不妊治療にかける想い
不妊治療に携わることになった理由や それにかける想いなどをお聞きし、 ドクターの歴史と情熱を紐解きます。
いくたウィメンズクリニック 生田克夫先生
不妊治療の進化に伴い 進む道が定まっていった
――先生が不妊治療に興味をもたれたきっかけはどんなことだったのでしょうか。
「医者になった当時、もともと生殖内分泌という、いわゆる女性の月経周期やホルモンの働きに興味があったこともあって産婦人科へと進みました。
不妊治療は、その延長線上にあったわけですが、正直なところ、最初は期待したほどの面白さはなかったのです。というのも、約 40年前になりますが、当時の不妊治療には今ほどの方法が何もありませんでした。排卵時期を調べるにしても内診で卵巣の大きさを診たり、頸管粘液を調べることくらいしかなく、排卵障害でも飲み薬がメインで、HMGを使うことはごく稀。超音波の機械はやっと世に出てきて、当時のお金で 1 台数千万円くらいしましたが、妊娠の3~4カ月目くらいになってお腹の上から赤ちゃんが何とか見えるかという程度の精度でした。尿でLHを調べることも採血してすぐわかるということもあり得ない時代で、治療にあたるにしてもできることがあまりに少なかったのです。
ですから当時はむしろお産のほうに興味を抱 いていました。その頃に赴任していた病院では1 年間で1200人、一晩で6人くらい生まれるのが当たり前でした。赤ちゃんが生まれると感謝される時代だったということもあり、医者としての情熱も感じていました。
ただ、そうこうするうちに、不妊治療もだん だんと進化していきました。女性ホルモンを測るキットなども次々に新しいものが出され、精度は高くなり、体の中の動きがわかるようになってきました。さらに1978年には世界で初めて体外受精で赤ちゃんが生まれて、そういう治療もあるのだと衝撃を受けました。もともと内分泌の関係に興味がありましたから、不妊治療が進化するにしたがってどんどん自分のやりたい方向が開けていく感じがしましたね」
ずっと現場の医者として 治療に携わりたいと独立
――そこから不妊治療の専門医として、開業されるまでの経緯を教えてください。
「基本的にはずっと名古屋市立大学産科婦人科において主に不妊治療を中心とした診療を行い、1986年からは体外受精の治療にもかかわってきました。ただ、大学というのは専門はあってもそれだけをしていれば許される世界ではありません。お産もすれば、腹腔鏡下手術もするし、産婦人科でやるべきことはオールマイティに携わる必要があります。時が経つにつれ、看護学部の教授という立場にもなり、一貫して治療に当たる時間が取れなくなるというジレンマもありました。
もちろん、ずっと病院に残って給料をもらっ てという選択肢もあったと思います。でも、定年まであと 10 年くらいという時に、残りの人生、自分の好きなことだけをやりたいと思ったのです。経営者になりたいわけではありませんでした。自分で患者さんと向き合って診療するのが好きなだけで、ずっと現場の医者でありたかったのです。それが現在の不妊治療専門クリニックという形での開業に繋がったのですね」
ご夫婦ごとの想いを大切に 幅広い治療法で応えたい
――不妊治療に携わる喜び、また、治療に対する先生のこだわりを教えてください。
「やはり、不妊に悩んでいる方のお役に立てて、結果が出た喜びに一緒に立ち会えるのがこの仕事の一番の喜びですね。思わずブログにも書きたくなるような妊娠例もいっぱいありますが、妊娠できていない患者さんが読んだ時の心情を考えて、ブログには成功例は一 切書かないようにしています。
不妊に関してはご夫婦ごとの想いがあり、どんな治療をしていきたいかというのも千差万別です。私ができるのは、そのご夫婦ごとの想いを大切にして、その人のもつ妊孕性(にんようせい)の手助けをすること。ですから、絶対に体外受精でなければ…というような偏った治療法へのこだわりはもたないようにしています。
ただ、なかにはこれでは妊娠しないなぁと思うケースもあります。そういった時には診療費を支払ってもらう価値がないような気がしてしまうので、ある程度こういう理由でこうされた方が良いのではとお話をします。たとえばなかなかうまくいかない人には外国の論文などの治療方法も提案してみるなど、頼ってきていただいたからにはできるだけ患者さんに喜んでもらえるため、幅広い方法で応えたいと思っています」
うまくいかない時には 開業時からのノートを開く
――今後の目標や夢などはありますか?
「夢というのは特にありませんが、不妊治療は変化の早い世界ですから、生涯、勉強はしていきたいと思っています。論文や学会の発表には頻繁に目を通しますし、日々の患者さんから学ぶこともたくさんあります。一生涯勉強が必要と思っております。
なかなか結果が出ないと、私自身もへこみますが、そういう時には開業した頃から 14年間、書き込んできた手書きのノートを開きます。今まで読んだ論文などの中で気になる箇所を書き込んだノートなのですが、それを読み返すことで何か糸口をつかんだり、それまでたいしたことがないと思っていたものでも、患者さんに役立つかもしれないというものがみつかります。よし、今度やってみようと思うと気分がアップします。
要は、私にとって不妊治療は自分の趣味であ り少しでも患者さんに喜んでもらえることが生きがいなのです。それだけに新しいことにもどんどん興味を惹かれますし、常に患者さんに合った治療法を追求していくことが、いつまでも変わらない目標だと思っています」