不妊治療に携わることになった理由や それにかける想いなどをお聞きし、 ドクターの歴史と情熱を紐解きます。
京野アートクリニック 京野廣一先生
「何のために この仕事をするのか」 常に心にそれを問い、 理想のクリニック設立へ――
東日本大震災での経験が 気持ちを奮い立たせた
――東北における不妊治療のリーディング・クリニックとして多くの患者さんの支持を得ている京野アートクリニック。このほど、2012年 10 月1日に、「京野アートクリニック高輪」をオープンしました。これまで仙台で生殖医療を続けてきて、なぜ、新たな施設の開設に至ったのでしょうか。
京野先生 「実は2~3年前までは、そろそろ仕事からリタイアしようと考えていました。
年齢も年齢だし、仕事も自分ではどこかやり尽くした感があった。
ところが、ご存じのように2011年3月 11 日に東日本大震災が起こって……。
ガツンと頭を叩かれて、今までの呑気な考えがすべて吹き飛んでしまったんです。
みんな苦しい状況ながら頑張っているのに自分だけ辞めていいのか、まだまだ続けていかなければいけない、と思ったんです。
これまで通り仙台のクリニックを継続していくことはもちろん、東京という日本の中心部、海外にも発信できるグローバルな地で、理想的な不妊治療専門クリニックをつくっていこうと決意しました」
100年以上継続する クリニックを理想に掲げて
――理想のクリニックとは?
京野先生 「100年以上継続するクリニックです。
2004年、オーストラリアのサンダース医師がJISARTの審査のために当院に来られました。
その時、彼に『あなたが急に亡くなったらどうするんですか?
患者さんは?
預かっている卵・精子・胚は?』と問われて、ハッとしました。
確かにそうです。
医師はどんどん高齢化していく。
あるいは若くても急死するかもしれない。
そうなったら、凍結保存しておいた大切な受精卵も維持できなくなりますよね。
指摘を受けて医師の数を増やしましたが、途中で辞めてしまう場合を考えれば根本的な解決策にはならない。
もっとクリニックを長く継続できるシステムをつくらなければいけないと、ずっと考えていたんです」
――それを、新しいクリニックで実現していこうということなんですね。
京野先生 「国内外から高い評価を受けているアメリカの総合病院、メイヨー・クリニックをご存じでしょうか。
1846年、小さな診療所からスタートし、150年以上質の高い医療を提供し続けている同院のミッションは"総合的な医療活動、教育、研究を通じて、毎日、すべての患者に最善の治療を提供する"というもの。
このメイヨー・クリニックをお手本にしたいと思っていますが、特に重要と考えているのはスタッフの教育です。
施設を継続するために、若いスタッフを育てるのはとても大切だと思っています。
僕が指導することはもちろん、高輪院は竹内巧先生に院長をお願いするのですが、先生には何十年後か勤務が終わった後も指導者として後進を育てていただきたい。
培養室のスタッフや看護師も同様です。
特に生殖医療の場合、継続がしっかり保証されている環境であれば、患者さんも安心ですよね」
女性も男性も治療ができる 究極の生殖補助医療施設を
――では、今回開院された高輪院の具体的な特徴を教えていただけますか。
京野先生 「一番の特徴は、男性不妊の治療が充実していることです。
高い技術と豊富な経験を持つ泌尿器科医による、顕微鏡下精巣精子採取術(micro︱TESE)や精索静脈瘤の手術を受けることができます。
女性の治療に関しては、まだ都内ではあまり実施されていないIVMという治療を積極的に取り入れています。
これは、主に多嚢胞性卵巣症候群の方を対象に、未成熟卵子を体外で成熟培養する方法です。
卵巣刺激の注射が必要ないなど患者さんへの負担が少なく、妊娠率も徐々に上がってきています。
それともう1つ、当院では卵管鏡下卵管形成術(FT)も実施しています。
これは、腟のほうから子宮に内視鏡を挿入し、バルーンで卵管の詰まりを広げる施術ですが、保険が適用されるうえ、日帰りで受けることができます。
これら男性不妊と女性不妊の電子カルテは共有しているので、ご夫婦での治療がスムーズに。
当院は現在できる不妊症のほとんどの治療を網羅しているので、一つの施設でそれぞれの患者さんの状況に合ったベストな治療ができると思います。
また、当院は患者さんとじっくり向き合うことも理念に掲げています。
患者さんの数を増やすのではなく、ある程度絞り、一人ひとりにきちんと対応していく。
時間に追われないことは医師やスタッフにとってもメリットのあることで、診察だけではなく、研究にも時間を費やすことができます。
教育に加え研究も、質の高い医療を提供していくために欠かせないことですから」
――最後に、先生が大事にされている言葉やモットーはありますか。
京野先生 「"厳しさのなかにあっても楽観しろ"でしょうか。
震災での経験もそうですし、この年齢で新しいことを始めるのは厳しいこともたくさんあります。
でも、そんななかでも、未来への希望を信じて常に積極的でいたい。
また、経営者としては"何のためにこの仕事をするのか"ということをいつも考えています。
お金や地位のためではなく、やはり、すべては患者さんのためなのです」