不妊治療に携わることになった理由や それにかける想いなどをお聞きし、 ドクターの歴史と情熱を紐解きます。
神谷レディースクリニック神谷博文先生 未知の世界への挑戦と いくつもの出会いが この仕事に導いてくれた
新生児医療を志し あえて回り道を選択
先生が札幌医科大学を卒業された後、生殖医療の分野を志すようになるまでの経緯はどのようなものだったのですか?
神谷先生「医学部6年目の頃、どの方向に進むべきか決める時期に、新生児医療に関わってみたいという気持ちが芽生えていたのが始まりです。
ところが、僕が卒業した1973年当時、産婦人科では、新生児医療について学べる環境が整っていなかったのです。
新生児医療には、先天奇形、内分泌、内科的な領域など、幅広い知識が必要です。
そこで、あらゆる分野を見渡せる麻酔科で3年間学んだうえで、産婦人科に移りました。
産婦人科では、麻酔科で修得した蘇生や呼吸管理などの知識や技術を生かし、診療にあたりました。
当時はなかった新生児用の人工呼吸器を自作するなど、それまでの産婦人科ではできなかった処置もできるように尽力しました」
いったん回り道をしたうえで、新生児医療に携わるという夢を叶えられたのですね。
神谷先生「そうですね。でも、その3年後、今度は臨床から病理学講座に移ったんです(笑)」
それは、なぜですか?
神谷先生「その頃、リンパ球の働きなどが解明されてきて、免疫という概念が出てきました。
それを勉強しているうちにもっと学びたくなり、大学内留学のような形で病理学講座に入局し、そこで博士号も取得しました。
麻酔学、新生児の診療、そして病理学講座での腫瘍抗原に関する研究。
枠にとらわれず、さまざまな分野の知識を吸収したことは、今の仕事にとても役立っています」
生殖医療を ライフワークに選んだ理由
では、生殖医療に携わることになったのは?
神谷先生「病理学講座での3年間を経て、札幌の斗南病院の産婦人科に移りました。
そこに不妊症専門の酒井先生がいらっしゃった影響で、不妊治療に興味をもったことが大きな転機の一つでした。
もともと僕は、〝患者さんを一貫して診ていきたい〟という強い希望がありました。
しかし、当時の環境では、放射線治療が必要になった腫瘍の患者さんは、設備のある他の病院に転院してもらわなければなりませんでした。
それで、患者さんを最後まで診られないことに忸怩 たる思いを抱いていたんです。
しかし不妊症治療の場合は、大規模な病院でなくても原因から治療まですべて診ることができます。
そうして、酒井先生から多くのことを教わったり、他の病院を経験して技術と知識を身につけていきました」
先生にとって、とても大きな出会いだったのですね。
神谷先生「そうですね。
思い返してみると、いくつものよい出会いがあったから、今の自分があるということを強く感じます。
新生児医療を目指す僕に、産婦人科に入る前に外で学ぶことをアドバイスしてくれた先輩。
そして、産婦人科の臨床から病理へ進みたいと希望を出した時に、周囲が反対するなかで、たった一人、背中を押してくれた当時の上司だった橋本教授。
あの時、『君みたいな者を待っていた。どんどん外で学び、その知識を持って帰ってきてくれ』と言ってくださった、橋本教授の応援がなければ、僕は産婦人科を辞めて病理学講座へ移る形になり、臨床には戻れなかったかもしれません。
患者さんと直接関わる仕事をしたい僕にとって、橋本教授もまた、大きな転機をくれた恩人だと思っています」
治療の充実とアメニティを 最優先させた新クリニック
開業 15 年目を迎える今年、クリニックを移転オープンされましたが、今後の展望や想いをお聞かせください。
神谷先生「以前のクリニックに対して新クリニックでは、患者数に対して十分なスペースをとることと、待ち時間を短縮することが課題でした。
そこで、待合室を広くし、電子カルテや自動支払いシステムなどを導入し、待ち時間の快適性アップや、診察や精算の効率化を図りました。
また、クリーン度クラス1000の培養室を設けるなど、施設設備は全国でもトップレベルだと思います。
しかし、一番大切なのは、患者さん一人ひとりに向き合い、きめ細かにフォローすること。
ですから、効率化を図ると同時に、スタッフ数を以前の約 30 名から倍の約 60 名に増やしました。
生殖医療に携わる者として、ご夫婦の切実な想いに応えていきたいという気持ちが第一にあります。
その一方で、生殖医療はご夫婦だけの問題ではなく、生まれてくる子どものことも考えていかなくてはならない分野。
常に倫理観や道徳、コンプライアンスに配慮していかなくてはなりません。
不妊治療を取り巻くすべてのことを常に考えながら、取り組んでいきたいです。
また、これまでにいろいろな出会いがあり、多くの先生方にお世話になり、一緒に働いてくれる優秀なスタッフたちに囲まれてここまで来ることができました。
さまざまな分野で学んだ知識と経験、人脈を大切にしながら、さらにこの道を進んでいきたいですね」