高い技術が必要とされるのは当然のことながら、 生命を扱う培養室には、安全管理も強く求められます。 胚の取り違えはないのだろうか? 停電になったら培養中の胚はどうなるの? など、心配な方も多いのでは。 実際に胚培養士はどのような意識で関わり、 管理をしているのか、木場公園クリニックの 培養室主任・田中美穂さんにお話を伺いました。
田中さんは、木場公園クリニックの培養室(ラボ)で主任としてスタッフを統括されていますが、現在、胚培養士は何人いらっしゃるのですか?
田中さん 18 名いますが、そのうち顕微授精の作業に携わっているのは5名の精鋭スタッフのみです。
私たちの仕事は、自分の技術がダイレクトに治療結果に反映されます。
それだけ責任が大きいので、一定の技術レベルに達しないと顕微授精はもちろん、胚操作に関わることはできません。
顕微授精に携わることができる胚培養士になるまで、どのようなプロセスを踏んでいくのでしょうか。
田中さん 当院では、顕微授精ができるようになるまで5年ほどかけてトレーニングを積んでいきます。
一人前の胚培養士として承認される基準は、おそらく他の施設よりも厳しいのではないでしょうか。
胚培養士としてラボに入ったら、まず、技術を修得する前に「臨床の現場ではいつでも検体の取り違えが起こる可能性がある」ということを頭と体を使って覚えていきます。
ラボには複数の患者さんの検体が入ってきます。
また、培養室の中は、培養液を交換したり、精液を洗浄して次の新しい容器に入れるなど、容器から容器に移す、という作業がとても多い。
ですから容器が入れ替わるときに間違いが起こる場合があるんですね。
当たり前のことですが、常に冷静に、Aの容器に書いてある名前とBの容器に書いてある名前が同じであることを確認する、ということを徹底して教えていきます。
それも当院では、必ず声出しと指さしをしながらの確認が原則です。
指導しているスタッフに、毎回きちんとそれが伝わらないと評価はもらえません。
ラボのスタッフは、「ミスは絶対に許されない」という意識を常に持ち続けているんですね。
田中さん 患者さんの人生までも左右する大切なものをお預かりしているのですから、当然です。
入って2年ほどは指導するスタッフと2人で作業を進めるのですが、常に2人でチェックし合う体制はすべてにおいて実施しています。
胚の観察や、★インキュベーターから検体を出す作業、胚を凍結するチューブにおいても、当院ではすべてダブルチェックをします。
患者さんにお渡しする検査結果も必ずダブルチェックをして、記録と結果が合っているかどうかを確認します。
そんな体制の中で5年ほどかけてスキルアップさせていくのですが、顕微授精に携われるようになったとしても、トレーニングや緊張感はまだまだ続いていきます。
このような徹底的な教育姿勢は、治療成績を上げるための当院のこだわりの一つでもありますね。
他にこだわられている点はありますか? たとえば培養液についてはどうでしょうか。
田中さん 当院では2種類の培養液を使って胚の培養をしています。
一組の患者さんから 10 個の卵子が採れた場合、5個はAの培養液、5個はBの培養液、と培養液を使い分けるようにしています。
それぞれの培養液との相性によって発育の状態が変わる場合もありますし、品質管理はきちんとしていますが、培養液のロットによっても多少の違いが出ることも考えられます。
2種類使っていれば、1つがうまくいかなくても、もう1つは移植まで持っていくことができる場合もあります。
患者さんの大切な受精卵を1つでも無駄にしないために、このような形をとっています。
培養液のメーカー選びも重要ですか?
田中さん はい。メーカーはたくさんありますが、当院の信念と合うメーカーの安心して使えるものを厳選しています。
品質チェックや情報開示、輸送時の温度管理なども培養液の質を左右し、結果につながる重要な要素の一つとなってきます。
ですから、こちらのリクエストにきちんと応えていただけないメーカーは、発注をやめることもあります。
細部までチェックされているのですね。
田中さん 培養液は、受精卵が長時間いる場所です。
もしそこで息ができなかったり、快適な温度でなかったらストレスを感じてしまいますよね。
受精卵の気持ちにならないと管理はできません。自分自身の子どもがその中にいたらどう思うか―― 。
当院のラボのスタッフは、常にそう考えながら作業をしています。
危機管理についてもお伺いしたいのですが、今回の東日本大震災を受けて、災害があった際のラボの対応について心配された患者さんも多くいらっしゃったと思います。こちらのラボではどのような対策をしていますか?
田中さん 普段から胚の管理は 24 時間体制で行っています。
何か異常があったら、スタッフの携帯電話にアラームが来るように設定し、すぐ駆けつけられるように、職員はクリニックの近くに住むようにしています。
地震によるものはもちろん、今回の震災では計画停電もあり、患者さんが最も心配されたのは有事の際の電源の確保ではないでしょうか。
当院ではすべての機器にバックアップ電源をとっています。
インキュベーターや顕微鏡、培養液を保管する保冷庫など、いつ停電があっても大丈夫なよう、常に非常用の電源につないでいます。
発電機を準備されているということですね。
田中さん はい。それも当院の発電機は数時間で止まってしまうものではなく、軽油を入れ続ければ永遠に動くタイプです。
今回の震災後からではなく、 10 年前から導入しています。
実は、とても高価なものなのですが、院長は導入を決して譲りませんでした。
それは受精卵に対する強いこだわりでもあります。
院長のそんな信念を受け、ラボのスタッフも開院以来、ぶれずに管理を怠らず、努力を続けて皆様の大切な受精卵を
守っています。
★インキュベーター
胚を培養するための機器。
簡単に言えば、お母さんのお腹の代わりをする箱です。
温度は常に体内環境と同じ 37℃に保たれ、炭酸ガスを利用して培養液の pHを安定させています。
いい培養液を使っても高い技術を持ってしても、この箱の環境がよくないと受精成立しません。
インキュベーターにおいては、胚がストレスを感じない「安定した培養環境」が重要なカギになります。