「親になりたい」という思いを諦めきれない
もう少し治療を続けながら、納得できる家族の在り方を探します。
Kさんは40歳で治療をはじめ、年齢なども考慮して顕微授精からスタート。3年間で採卵17回、移植7回、流産3回を経験。養子縁組なども検討し始めていますが、やはり夫婦の遺伝子を残したいという思いが強く、もう少し治療を頑張ろうかなと考えているところです。
病気と年齢もあって顕微授精から治療開始
自分とは違う面をもっている点に互いに惹かれ合い、共に歩んでいくと決め、結婚したというKさん(43歳)と夫・Tさん(44歳)。
子どもが欲しかったK さんはすぐ自分で排卵予測を立てて妊活をスタートさせます。しかし、半年経っても結果が出ないため、不妊治療
専門のクリニックに通うことにしました。
初診時には40歳だったため、年齢と持病の観点から顕微授精から始めることになりました。
「実は結婚前に、抗セントロメア抗体が陽性だと判明していました。妊娠しづらい体だとわかっていても、不妊治療をすれば、多少苦戦したとしても子どもは授かれるはずだと楽観的に考えていました」。本格的に治療を始めるにあたり、Kさんの43歳の誕生日まで頑張ろうと二人は決めます。
いつしか採卵・移植が毎月のルーティンに
Kさんは慣れない頻繁の採血、経腟エコー、そして連日の自己注射に
耐えながら、治療を続けました。3年間で実に採卵を17回、移植を7回行いました。その間に化学流産1回、稽留流産を2回経験しています。
「採卵はもはや毎月のルーティンになっていました。大体1回の採卵で1個から多くて5個。そのうち胚盤胞になるのもごくわずかで。ホルモン値が異常に上がってしまって採卵時には排卵していたり、採卵したものの空胞だったり。毎月、期待と不安と絶望をあたかもジェットコースターのように繰り返していました。時には、怒りにも似た感情もありました。それをどう消化すればいいのかわからず苦しかったです」
そこまで追い詰められながらも間
を空けずに治療を続けたのは、年齢的な焦りに加え、医師から「薬でホルモン値が整っている状況をキープしたほうが、次の周期もホルモンが安定しやすい」と言われたことが大きかったそう。
「それで休むことが怖くなり、治療を頑張ってしまいました」
感情をコントロールできなくなってしまうKさんにそっと寄り添い続けてくれたのがTさんでした。
「その優しさがありがたい反面、感情が乱れない夫に対して苛立ち、『あなたは悲しくないの?』と問い正したことも。夫は『悲しいに決まっている。一緒に感情をあらわにしていたら共倒れしてしまうよ』と。夫の包容力を頼もしく感じ、もっと彼と幸せになりたいと思いました」
大学病院の医師の言葉がショックで何も言い返せず
この3年間で特につらかったのは2回目の妊娠の時だったとKさんは振り返ります。すでにリミットの43歳となり、貯卵もラスト。7回目の移植だったこともあり、これでダメだったら妊活をやめようと思っていました。
「移植した受精卵は2個で、一つは胎囊を確認できました。ただ、もう一つが子宮外妊娠の可能性があると言われてしまって。それで大学病院へ転院することになりました」
そこで担当医師から「あなたは見た目が若いけれど、実年齢は高いから今回も流産するだろう。国が不妊治療の保険適用を42歳までと定めているのも妊娠継続が期待できないからだ」と言われます。「子宮外妊娠だとしたら胎囊確認できた子までダメになってしまうことを恐れていました。この状況でこんな厳しいことを言うなんてと怒りを感じましたが、あまりにも残酷な言葉を言われて、何も言い返せませんでした」
隣にいたTさんはすかさず「それは今あなたが言うべきことではない。子宮外妊娠かどうかの話をしてほしい」と反論。K さんのショックが伝わってきたからです。
その後、子宮外妊娠ではないと判明したものの、胎囊まで育った子の成長はとまり、稽留流産となってしまいました。
このことがあって以降、Kさんは治療を休んでいます。医師の言葉が頭から離れず、「治療を継続しても何も変わらないかも」と思うようになっていました。
「ただ、この3年間、子どものいる生活を夢見て日々を過ごしてきたので、将来、夫婦二人で過ごすということが想像できなくて。そこで検討し始めたのが養子縁組です。血のつながりにこだわらなければ、親になれるかもしれないと考え、自治体のセミナーなどに参加し、情報収集を始めました」
今は治療を小休止。養子縁組、里親も視野に
ただ、Tさんは養子縁組をすぐに選択肢として受け入れることができなかったと言います。「本当に自分の子として愛せるのか不安です。そもそも男親がどんな気持ちで養子を迎え入れているかという情報もほとんどなくて、判断が難しいところです」と正直な気持ちを話してくれました。
Kさんも完全に実子を諦めたわけではありません。「夫の遺伝子や私の遺伝子をこの世に残したいという気持ちがまだ強く私の中にあるからです」。そのため、近いうちに治療をまた再開したいと考えているそうです。
「大学病院の医師の言葉があったからこそ、今は立ち止まって妊活をとらえることができるようになった気がします。実は治療を休んだら、心身がとても楽なんです。妊活中は体を酷使しすぎて精神的にも疲弊していたのだと改めて気づきました。これからは治療を無理せず続けながら、養子縁組に関する情報収集も行い、私たち夫婦が納得できる家族の在り方を探していきたいと思っています
とKさん。Tさんも「まだ、選択肢の狭間にいますが、二人で悩みながら自分たちの答えを見つけたい」と言います。まだ試練が続くかもしれませんが、互いを思いやる気持ちに満ちあふれている二人はきっと乗り越えていくことでしょう。